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婚約破棄!?どうぞ!ただし、私がいないとこの国、明日には滅びますけど?  作者: 渚月(なづき)


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第7話 仮面が剥がれる日

リンデの街の結界修繕を完了するのに、さらに十日を要した。


二十本すべての結界杭に可変式の魔法式を刻み、地脈の季節変動に対応したパラメータを設定した。


全体の連動テストに三日かけた。連動テストとは、全杭を同時に起動し、結界の隙間がないか確認する作業だ。一箇所でも隙間があれば、そこから魔物が侵入する。


最後の杭に手を当てたとき、結界全体が低く安定した振動を響かせた。泣き声ではない。健全な結界の音だ。二十の杭が一つの楽器のように調和している。


「……完了です」


街の人々が歓声を上げた。自治会長は涙ぐんでいた。鍛冶屋のおじさんが「よくやった」と肩を叩き、パン屋の女主人が焼きたてのパイを持ってきた。


「三年だ。三年ぶりに、安心して眠れる」


私は笑って、作業道具を片付けた。リンデの街は、もう大丈夫だ。


翌日。ヴェルナーと二人で、王都へ向かった。


馬車の中で、彼はずっと黙っていた。窓の外を見つめ、考え込んでいる顔だ。


「何を考えていますか」


「筆跡鑑定の結果次第で、この国の政治が動く可能性がある。聖女が虚偽であると公式に認定されれば、ディートリヒ殿下の判断能力が問われる。王位継承にも影響が出る」


「公爵としての分析ですか」


「半分は。もう半分は——あなたの身の安全を考えていました。真実を暴くことで、敵を作る可能性がある」


「敵は、もうすでに作っていますよ。七年間ずっと」


王都に着いたのは三日後の昼過ぎだった。


宮廷の門をくぐると、空気が張り詰めていた。以前はなかった警備兵の増員。行き交う人々の表情は硬い。


廊下ですれ違う女官たちが、小声で何かを囁き合っていた。


結界の劣化を、民が肌で感じているのだ。結界が弱まると、空気中の魔力濃度が変わる。敏感な人間は頭痛や倦怠感を訴える。


出迎えたのはルートヴィヒだった。以前より痩せている。目の下の隈が深い。


「フェリツィア……来てくれたのか」


「条件が呑まれましたので。書記官どの、筆跡鑑定の準備は」


「整えてある。だが——」


ルートヴィヒは声を落とした。周囲を確認してから、早口で言った。


「聖女ミレーヌの側近が、鑑定に反対している。宮廷司祭フーゴだ。かなり強硬に。第二王子にも直接抗議している」


「予想していました。反対するということは、やましいことがあるということです」


「……相変わらずだな、お前は。七年経っても変わらん」


「褒めてます?」


「褒めてる」


なつかしいやり取りだった。ルートヴィヒは私の皮肉に慣れている数少ない人間だ。


まず結界の応急修繕を行った。手順書どおりに処置されていた箇所は安定していたが、手順書にない場所は予想以上に劣化していた。放置された時間が長すぎる。


三日かけて北部結界の緊急修繕を完了させ、崩壊の危機を脱した。これで少なくとも数ヶ月は保つ。


そしていよいよ、筆跡鑑定の日が来た。


鑑定場所は、結界の中枢——王宮の地下にある結界制御室だ。三百二十八本の結界杭すべてとつながる、国の心臓部。石造りの大きな部屋の中央に、巨大な魔法陣が床に刻まれている。


立ち会うのは、ディートリヒ、ルートヴィヒ、そして聖女ミレーヌ。ヴェルナーは「隣国の公爵として外交立会人の資格で」と、さらりと同席した。


「では、始めます」


私は結界の中枢に手を当てた。


魔法式の筆跡を読み取る。これは特別な技術ではない。魔法学院で教わる基礎的な鑑定手法だ。ただし、実際に行える精度は術者の経験に大きく依存する。七年間毎日結界に触れてきた私には、一つ一つの筆跡が明瞭に読み取れる。


結界の中枢には、過去に触れたすべての魔法師の筆跡が蓄積されている。


「……まず、私の筆跡。七年分の保守記録と一致します」


「次に、先代の魔法師の筆跡。基礎設計層に残っています」


「そして——応急処置が行われた層」


私は目を閉じ、集中した。指先から伝わる振動を一つずつ解読していく。


「この層の魔法式は……私の手順書どおりの構造です。そして筆跡は——ルートヴィヒ書記官と、第三班の魔法師二名のもの」


広間が静まり返った。


「聖女ミレーヌの筆跡は、一切検出されません」


ミレーヌの顔が青ざめた。


「それは——私の奇跡は特殊なのです。筆跡が残らない種類の——」


「筆跡が残らない魔法は存在しません。それは魔法理論の基礎です。筆跡とは魔力の通過痕であり、エネルギーが流れた以上、痕跡は必ず残る。これは物理法則と同じです。力が加われば必ず痕跡が残る。例外はありません」


ミレーヌの目が泳いだ。


「ディートリヒ殿下が選ばれた聖女を、こんな——」


「事実を述べているだけです」


私はディートリヒを見た。彼の顔は石のように固まっていた。


「殿下。聖女の奇跡とされたものは、私が書いた手順書に基づく応急処置を、ルートヴィヒ書記官たちが実行した結果です。聖女ミレーヌは、一切の魔法を行使していません」


証拠は結界の中枢に刻まれている。改竄はできない。結界の中枢は設計上、書き込みはできても削除はできない仕組みになっている。セキュリティのために、先代の魔法師がそう設計した。


ミレーヌが崩れるように椅子に座り込んだ。その横で、彼女の側近——宮廷司祭フーゴが前に進み出た。温和な笑顔は消え、険しい表情になっている。


「待っていただきたい。筆跡鑑定など、信用に足るものではない」


「では司祭どの。聖女の奇跡を証明する客観的な証拠を提示してください。魔法式でも、魔力の計測データでも構いません」


「聖女の力は神聖なるものだ。計測などという冒涜を——」


「計測できないものを根拠に国の結界を任せたのですか。それは技術者として申し上げますが、無謀です」


フーゴの顔が赤くなった。ヴェルナーが静かに口を開いた。


「隣国エルヴェシア公国の公爵として、一つ質問がある。この結界の崩壊は、我が国の安全にも直結する。聖女の力が虚偽であるなら、この国の防衛体制に重大な欠陥があることになるが——この国はどう対応するのか」


外交カードだった。ヴェルナーが公爵の身分を明かした意味が、ここで効いてくる。国内問題なら握り潰せるが、隣国の公爵が公式に問題提起すれば、無視はできない。


ディートリヒは長い沈黙の後、口を開いた。


「……調査委員会を設置する。聖女の能力について、正式な検証を行う」


フーゴが何か叫んだが、もう誰も聞いていなかった。


私は結界の中枢から手を離し、一歩下がった。


やるべきことは終わった。あとは制度が動く。


部屋を出ようとしたとき、ルートヴィヒが小声で言った。


「フェリツィア。フーゴには気をつけろ。あの男、追い詰められると何をするかわからん」


その言葉が、予言でなければいいと思った。


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