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婚約破棄!?どうぞ!ただし、私がいないとこの国、明日には滅びますけど?  作者: 渚月(なづき)


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第5話 魔道具は嘘をつかない

結界杭の修繕は十本目に達した。折り返し地点だ。


リンデの街での生活にも慣れてきた。宿の主人は毎朝焼きたてのパンを出してくれるし、鍛冶屋のおじさんは魔道具用の炉を好きなだけ使わせてくれる。パン屋の女主人は「あんた痩せすぎだよ」と言って余ったパイを持たせてくれる。


王宮にいた七年間より、この数週間のほうがよほど人間らしい暮らしだった。朝起きて、結界杭を修繕して、昼は鍛冶屋の炉で魔石を加工して、夕方は宿に戻って計算板と向き合う。誰にも急かされず、誰にも邪魔されない。


「フェリツィアさん。これ、頼まれてた魔石です」


鍛冶屋の娘が、磨いたばかりの魔石を籠に入れて持ってきた。十五歳くらいの快活な少女で、父親の仕事を手伝いながら魔石の磨き方を覚え始めている。


「ありがとうございます。……この魔石、不純物が少ないですね。王都で流通している魔石より品質が高い」


「へえ、そうなの? うちの裏山で採れるやつだけど」


魔石の品質は産地で大きく変わる。一般に、地脈が強い地域ほど良質な魔石が採れる。地脈のエネルギーが長い年月をかけて鉱物に蓄積され、魔石になる。つまり魔石の品質は、その土地の地脈の強さを示す指標でもある。


リンデの街が辺境でありながら、かつて結界を張ろうとした魔法師がいた理由が見えてきた。


ここは地脈の要所なのだ。


(……王宮はこのことを知っているのかしら)


おそらく知らない。辺境の地脈調査は後回しにされがちだし、三年前に魔法師が去って以来、この地域のデータは更新されていないはずだ。


午後、ヴェルナーが地図を広げて待っていた。宿の食堂の大きなテーブルに、手描きの地形図が敷かれている。


「リンデの街を中心に、半径五十キロの地脈図を作りたいんです」


「地脈図?」


「この地域の結界を恒久的に機能させるためには、地脈の全体像を把握する必要がある。フェリツィアさん、地脈の計測方法を教えてもらえますか」


教えてもらえますか、と彼は言った。命令でも依頼でもなく、教えを乞う形で。公爵が平民の魔法師に教えを乞う。この人は、知識の前では身分を忘れる人なのだ。


「……いいですけど、結構地味な作業ですよ」


「結界の保守が地味な仕事だと聞いたときも、同じことを言いませんでしたか」


「言いましたね」


「それでも大事な仕事だと、あなた自身が一番知っているでしょう」


反論できなかった。


地脈の計測は、専用の魔道具を使って行う。魔力の流れを感知し、方向と強度を記録する小さな器具だ。原理は方位磁石に似ている。磁石が磁力の向きを示すように、計測器は魔力の向きを示す。


王宮から持ち出した計算板と、鍛冶屋の炉を借りて作った簡易計測器を使い、二人で街の周辺を歩き回った。


「ここ、地脈が分岐していますね。東に向かう本流と、北東に逸れる支流がある」


「支流の先に何があるか、わかりますか」


「この流量と方向だと……たぶん、山の向こう側に出口がある。地脈は地下水脈と似ていて、高い場所から低い場所へ流れるんです。水が地形に沿って流れるように、魔力も地中の構造に沿って流れる」


「地下水脈と同じ原理……なるほど。では、地脈の流れを予測するには地形を読めばいい」


「そうです。経験を積めば、地形図を見ただけでおおよその地脈の流れがわかるようになります」


ヴェルナーは地図に計測結果を丁寧に書き込んでいく。字が綺麗だ。文字の大きさが揃い、線が真っ直ぐで、注釈は簡潔。教育水準の高さが筆跡に出ている。


三日かけて、地脈図の基礎データが揃った。


結果は予想以上だった。リンデの街は三本の主要地脈が交差する、極めて稀な地点に位置している。


「これは……」


「どうしました」


「この交差点の上に結界を構築すれば、通常の三倍の効率で運用できます。三本の地脈から同時に魔力を供給できるので、結界の強度も安定性も格段に上がる。辺境どころか、王都の結界に匹敵する強度が出せる」


ヴェルナーの表情が変わった。旅人の穏やかな顔から、公爵としての鋭い顔に。


「それは、軍事的にも非常に重要な情報ですね」


「ええ。だからこそ、この情報は慎重に扱わないと。もし利権目的の貴族に知られたら、この街は政治の駒にされかねない」


私たちは顔を見合わせた。


「この情報は、今は二人だけの秘密にしましょう」


「同意します」


ヴェルナーが地図を丁寧に折り畳み、内懐にしまった。その動作が自然で、秘密を守ることに慣れている人の所作だった。


この日の帰り道、私は街の市場でハーブを買った。レモンバームとミントとカモミール。鍛冶屋の炉が使えるなら、乾燥ハーブから簡単なお茶を淹れられる。


「お茶がお好きなんですか」


「王宮にいた頃、結界の保守をしながらよく飲んでいました。レモンバームは集中力の持続にいいんですよ。カモミールは鎮静効果がある。修繕作業の後に飲むと、魔力の消耗で高ぶった神経が落ち着きます」


「ハーブの薬理効果にも詳しいんですね」


「結界保守は長時間作業なので、体調管理も仕事のうちです。王宮では教えてくれないので、自分で調べました」


ヴェルナーは少し考えてから言った。


「カモミールの鎮静効果は、古くから民間療法で使われていますね。エルヴェシアでも、領民の間では風邪の初期症状にカモミール茶が定番です」


「そうなんですか。国が違っても、ハーブの使い方は似ているんですね」


そんな他愛のない会話が、不思議と心地よかった。





十一本目の結界杭を修繕している最中に、異変が起きた。


地脈の流れが急に揺らいだのだ。


「……何?」


私は地面に手をつけた。地脈が震えている。リンデの街ではない。もっと遠くから伝わってくる振動だ。大きな結界が崩壊するとき、地脈を通じて衝撃波が伝わる。地震の波が地殻を伝わるのと同じ原理だ。


「どうしました」


「西からの地脈に異常がある。大きな結界が崩壊するときの衝撃に似ている」


「西……王都の方角ですね」


私たちは顔を見合わせた。


「フェリツィアさん。確認する方法はありますか」


「あります。魔道具で地脈の振動パターンを分析すれば、崩壊の規模と場所がわかる」


私は計測器を取り出し、地面に当てた。データを読み取り、計算板で解析する。振動の周波数と振幅から、崩壊した結界の規模を逆算する。


結果は——


「……北部結界の四割が崩壊しています。残りも不安定。連鎖的に崩壊が進んでいる。全面崩壊まで、おそらく五日以内」


五日。


応急処置手順では、もう間に合わない段階だ。絆創膏では止まらない出血量になっている。


ヴェルナーが静かに言った。


「王宮は、もう一度あなたを呼ぶでしょう」


「ええ。今度は使者ではなく、もっと大きな圧力で」


「どうしますか」


風が吹いた。結界杭が微かに振動する。私がここで修繕した杭だけは、安定した音を出している。泣いていない。


「どうもしません。向こうが来るなら、待つだけです。ただし——」


私は計測器を懐にしまった。


「今度は、条件を出します」


ヴェルナーが、かすかに笑った。今まで見た中で、一番温かい笑い方だった。


「それでいい」


その言葉が、思ったより深く胸に落ちてきた。

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