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1-2

 当時明良は東京都日野市にある実家に住んでおり、日野駅前の学習塾で塾講師のアルバイトをしていた。


「そういう事情なら、新学年になる来年の四月から正社員として雇ってあげるよ」


 大学院を中退したことを打ち明けると、付き合いの長い塾長はそう気軽に言ってくれた。


(良かった。正社員で二~三年働いて学資を貯めて、院に再入学しよう)


 明良はそう目論んだ。文学の研究者になることが、子供のころから一貫した彼の夢で、その他の将来は考えられなかった。


 しかし人生はそう甘くなかった。年が明けると新型コロナウイルスの感染者が日本で確認され、あっというまに感染が広まった。そして二月末、全国一斉休校が政府から要請されると、塾業界でも休校する塾が出てきた。


 明良の働く塾も例外ではなく、三月に入ってほどなくして無期限の休校措置がとられた。


 休校前の最後のアルバイトが入っていた日、明良は塾長に呼ばれ、申し訳ないが先の見通しが立たないこの状況では正社員登用はできない、登用の話はなかったことにしてくれ、と宣告されたのだった。


 明良は塾長の前で立ちすくみ、参った、困ったことになった、と心から思った。大学一年生の初めからこの塾で雇われてはや八年、二十八になった今もこの塾以外で働いたことなど皆無であった。自分には塾講師以外にできることなど無さそうだが、塾業界はコロナ禍で閑古鳥、今すぐ他の塾に移るのは難しそうである。かといって自分にはまとまった金が必要だ。


 明良は信頼していた塾長に金が必要な事情を正直に話し、相談した。


「何か僕にできる仕事とか無いでしょうか」


 すると小柄で痩せて脂ぎった顔をした、四十過ぎの塾長は、


「何でもする気ある? 他業種でもいいのなら、紹介できる仕事が無いわけじゃないけど」


と言ってくれたのである。明良ははい、と無邪気に答えていた。


 それから塾長は仕事の斡旋元と連絡を取り、明良に採用担当だという人の電話番号を教えてくれた。「白崎さんっていう人の会社なんだけど、この人のところなら給料は保証するよ」「はい、ありがとうございます」


 会社は小規模な人材派遣会社だと塾長は明良に言った。派遣会社の仕事など自分に務まるだろうか、と明良は不安を感じたが、仕事内容は簡単なものもあるはずだと塾長が説明するので、とにかく先方に連絡してみることにした。


「それでなんだけど」


 塾長は生徒と保護者に接し続けてこしらえた目尻の皺を、いっぱいに寄せたまま言った。


「白崎さんのところで働く以上、うちでの雇用契約は今日限りで終了とさせてもらうね。それから、うちから白崎さんの仕事を紹介したっていうことは人に言わないで。こっちにも事情があるからさ。じゃあ、長い間今までありがとうね」


 その瞳は笑っていなかった。

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