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関西弁でしゃべっていた彼がにわかに赤ん坊に返って泣き出したことに、明良と果歩は若干引いてしまい、しばらく放っておいた。状況が好転しないことに気づいた赤ん坊は泣くのをちょっとやめて、自分の右隣にいる果歩を見上げ、
「なあお姉ちゃん、お姉ちゃんはワシを育ててもいいって言っとったよな? 頼んます、引き取ってくれへんやろか」
「嫌です。気味が悪い」
果歩はすぱっと答えた。
「なっ。そんな風に言わんでもええやんか」
赤ん坊はしゅんとなった。そこで明良が割り込んできた。
「とりあえず事情だけでも教えてもらえますか? なんで親のところに行くのが嫌なんです? それに、なぜさっき坂を転がっていたんですか」
赤ん坊は明良の顔を見た。
「事情ね。まあええ、話しようか。ワシもともと前世は大阪生まれで」
赤ん坊は話し始めた。赤ん坊の前世の経歴は簡略にまとめると以下のようだった。
大阪中央区難波に生まれた彼は、中学から不良で通っていた。高校時代は暴走族に入り、高校を卒業後就職した会社をほどなくして辞めた。するとその時暴力団△△組のある組員にスカウトを受け、組の部屋住みになった。
スカウトしてくれた兄貴分の組員のことは尊敬していたものの、厳しい上下関係、少ない実入り、部屋住みの仕事(主に家事手伝い)の多さにうんざりして四年足らずで組を抜けた。抜ける際は父親が多額の金を組に支払ってくれた。
実家に戻り、二種運転免許を取ってタクシーの運転手になった。しかしこれも長続きせず、またも無職になって難波でぶらぶらしていると、兄貴が組に戻ってこないかと声をかけてくれた。戻ってくるなら部屋住みではなく舎弟身分にしてやるという。自分をそんなに買っていてくれたのか、と兄貴の誘いに感激した彼は、のこのこ組に戻った。
戻ってみると組は抗争の真っ只中だった。戻って二ヶ月目に、
「○○組の若頭を殺ってくれるか」
兄貴に言われた。このために自分を組に戻したのだな、と彼は理解した。
しかし兄貴の命令に逆らうことはできなかった。彼は目標の若頭を繁華街の路上で刺殺、懲役八年の刑を受け、刑務所に入所した。
八年を経て出所し、組に戻ると兄貴は幹部に出世していて、彼に幹部補佐の役職を用意してくれた。
実入りのいいシノギ(風俗店経営や特殊詐欺など)も回してもらい、一気に高給取りになった彼は有頂天だった。そして兄貴が次期若頭になれるよう、組内を根回しし、他の若頭候補を牽制していったところで――
「組内のとある若頭候補幹部の舎弟に刺されてん」
赤ん坊はそう話した。
それからしばらく意識は無くなり、今世の母親の胎内で温かい羊水に浸かっているところから、意識が再開したのだという。
「転生したワシはなんや多分福島の辺りの一軒家で育てられた。母親と、じいさんばあさんが居った。父親はおらんかった」
「お母さんが里帰りしていたってことですか?」
話を聞いていた明良が話を中断させて聞いた。
「いや、母親とじじばばの会話を盗み聞いた限り、ワシが産まれる前に両親が離婚していたみたいやな。どうも父親が、ワシが母親の腹の中にいた最中に不倫して、それが原因やったらしい。母親はそのことでヒステリックになっておってな、しょっちゅうばあさんに愚痴っとったよ、元旦のことを。
ワシとしては大人三人に面倒みてもらって、まあまあ悪くない生活やった。しかしなあ」
赤ん坊ははあ、とため息をついた。
「ばあさんが変態やってんな」
「変態?」
「そうや、二人っきりになると、ワシのおむつをばりっと剥いで、その、あれをちゅぽんって口ですするねん。そのままもにゅもにゅ、満足するまでしばらくしゃぶってんねん」
「……」
「それがたびたびあってな。で、案の定それやってるのを娘――ワシの母親――に見つかって。母親はすぐ実家出て行ったわ。それでじいさんの紹介してくれたここ(K市)のアパートで、一人っきりでワシを育てるようになってん。それがなんや、ワシが四ヵ月目くらいの時やなあ」
明良が突っ込んだ。
「ちょっと待ってください。一人きりでって、お母さん働いてないんですよね? 生活費とかどうしているんですか」
「多分やけど貯金と父親からの養育費、それとじいさんからの仕送りでなんとかしとる感じやな。アパートの家賃も、大家がじいさんの親戚で、その関係で安くしてもらっとるみたいやし。それでなんとか食いつないでいる」
「そうですか」
「それはええんやけど――いや全然よくないんやけど」
赤ん坊は再び短い両腕を胸の前で組んだ。そうしてはあーっと今度は長くため息をつき、小首を傾げた。目をつむり、眉間に皺を寄せた。
「母親、だんだん鬱ちゅうかヒステリーがひどくなってな。多分、将来の見通しが立たないのが辛いんやろうなあ。ワシもしょっちゅう泣いとったし……なんや前世での大人の記憶や人生経験があっても、泣きたくなるの我慢でけへんねん。むしゃくしゃしてくるとな、後先構わず泣いてまうねん。夜泣きも毎晩しとるしな。で、そうしてたら母親、どんどん追い詰められていってな。ワシを虐待するようになってん。
なんや最初は、ワシがいつものように泣いて、抱いてあやしてもらっていたら、唐突に『うるっさあああい!』て母親叫んで、ワシのこと激しく揺さぶってん。めっちゃびびったわ。それが始まりで、それからは輪ゴムや。輪ゴム。ベビーベッドでご機嫌で横になっているワシの太ももに、輪ゴムの端をくっつけて、もう一方の端を引っ張って『ぴちっ』ってやってきてん。でワシ泣くやろ、そうしたら『ああごめん、ごめんね、悪いお母さんでごめんねえ』なんて言って謝ってくんねん。で、しばらくしたらまた『ぴちっ』、や。それが延々続くねん。
他にも平手で尻叩かれるんはしょっちゅうやし、爪楊枝でちょっと腹の辺りを刺してきて、反応見てきたり……一言で言うと軽い地獄やったわ。そんで今日の昼になってな、また母親が輪ゴム持ってワシのところにやってきたから、いい加減ワシも嫌になって輪ゴムやられる前から思いっきり泣き出してやってん。そうしたらな、母親泣き崩れて、『ごめんね。もう終わりにしようね』なんて言いだして、ワシ心中でも付き合わされるんか思うてぞっとなったけど、結局母親はそれからワシを抱いて商店街まで行って、周りをきょろきょろ見てから、誰もいない坂の上にワシを置いてまた『ごめんね』って一言呟いて、自分だけ帰ってしもうてん。
坂の上にワシ、しばらく座っとったけど、なんや誰も来いへんし、風がいやに強くて、この坂転がったらちょっとおもろいんちゃうか思うて横になって転がってみた。そしたら風が後押ししてくれてころころ転がるんで、母親から解放されたうれしさもあって笑いがこみあげてきてな、きゃっきゃっ笑うてどこまでも転がって行ってもうてん。そこへ来たのが」
「僕だということですね」
明良は嘆息した。
「そうや」
「……ひどい話」
果歩が呟いた。
「せやろ? せっかくヤクザ稼業から抜け出せて今世ではカタギになろ思うとったのに、この始末や。ほんまワシ、これからどうすればいいか」
明良と果歩は黙り込んだ。明良としても、(簡単に答えを出せる話ではないな)と思わざるを得なかった。
ひときわ強い風が吹いて、またガラス戸がいやに音を立てた。明良の前に置かれたコーヒーが、虚しく湯気を上げていた。
「……こうしましょう。やっぱりあなたのお母さんの元に、これから帰りましょう」
たっぷり沈黙が流れた後で、明良が言った。
「なんでやねん! 話聞いとったか? 絶対嫌や」
「その代わりこうします。――あなたの体、虐待された痕とかあります?」
「なんやねん? そらあるで。この服脱いだら昨日やられた輪ゴムのミミズ腫ればかりや」
「それなら、それを証拠に僕たちがあなたへの虐待に気づいたことをお母さんに話します。今回の乳児遺棄の件も含めて。その上で二度とこういったことが無いよう、説得します。それが無理そうなら、児相か養護施設、しかるべき施設にお母さん立会いの元で連絡します。どうですか?」
「……」
明良は向かいから果歩の温かい眼差しが自分を捉えているのを感じた。
「約束します。悪い結果にならないよう、精一杯お母さんを説得します。果歩さんも説得してくれますよね?」
「うん。安心して」
そう言って果歩は赤ん坊の右太ももに手を乗せ、さすった。赤ん坊はしばらく黙っていたが、おもむろにあぐらをかいていた両太ももに手を置き、がばっと頭を下げた。
「よろしゅうお願いします」




