第十九話(第36話) 裏切りの囁き
今回は籠城戦で避けられない「内部崩壊の危機」を描きました。
兵糧不足は敵の矢以上に兵の心を折ります。
カエソが冷酷な手を取らざるを得ない場面は、彼が指揮官であることの重みを示すものでした。
籠城が始まって十日。
要塞の兵糧は目に見えて減っていた。
干し肉はすでに底を尽き、残るのは硬化した麦パンとわずかな水のみ。
兵士たちの頬はこけ、目には疲労と渇きが色濃く浮かんでいた。
「……このままじゃ、兵がもたん」
ルキウスが吐き捨てるように呟いた。
「外に援軍は?」
クラウディアが問いかけると、カエソは首を横に振った。
「帝都は動かん。影の派閥が妨害しているのだろう」
その時だった。
背後から聞こえたのは、兵士たちの小声のやり取り。
「……いっそ門を開けた方が楽じゃないか」
「パルティアは降伏すれば命は取らんと噂だ」
クラウディアが眉をひそめる。
「裏切りの芽が出始めたわね」
——
その夜。
カエソは見回りの最中、倉庫の陰で密かに集まる兵数名を見つけた。
彼らは囁き合いながら、何かを羊皮紙に記している。
覗き込むと──敵陣へ届けるための密書だった。
「……門を開ける手筈を整える」
兵の一人が口にした瞬間、カエソは静かに剣を抜いた。
「──その舌を切る前に、私の前で言え」
振り返った兵たちの顔から血の気が引いた。
恐怖に震える者、逆上して剣を抜く者。
瞬間、ルキウスが飛び込み、裏切り者の腕をねじり上げた。
「甘えた考えが兵を殺すんだ。てめえら、ローマ兵であることを忘れたのか!」
カエソは剣を下げず、冷たい声で告げた。
「裏切り者に残る道は二つだ。
ここで処刑されるか──明日の突撃で盾となって死ぬか」
震える兵たちは地に膝をつき、命乞いを始めた。
だがその姿を、周囲の兵が見ていた。
そして次第に、裏切りの囁きは消え、代わりに低い決意の声が広がっていった。
「……死んでも、門は開けぬ」
——
翌朝。
城壁から敵陣を見ると、パルティア軍は静かに陣を張り直していた。
その中から、一人の使者が馬に乗って進み出る。
高らかに告げられた言葉は──
「ローマ兵に告ぐ! 今すぐ門を開けば命は助けよう! だが抗えば、一人残らず屠る!」
その挑発に、城壁上の兵たちがざわめく。
だがカエソは剣を掲げ、短く叫んだ。
「我らはローマ! 死んでも屈せぬ!」
その声が要塞に響き、兵たちの胸に再び火を灯した。
敵は外から圧力をかけ、内から揺さぶりを仕掛ける。
しかしカエソの決断は、要塞を守る兵たちの意地を再び繋ぎ止めました。
次回は、この籠城戦の転機──「敵の大規模攻城兵器の投入」を描きます。