第二話 鬼教官と戦友たち
家族と故郷を失い、剣を握ることを選んだカエソ。
彼が辿り着いたのは、ローマ軍パンノニア駐屯地の訓練場だった。
そこで待ち構えていたのは、鋼のような男と、癖の強い新兵たち──。
西暦176年。
薄曇りの空の下、カエソはドナウ川沿いの軍営に立っていた。
高い柵の内側からは、金属が打ち合う音、怒声、足音が混ざり合って響いてくる。
門をくぐった瞬間、その声は頭上から降ってきた。
「整列しろ、腐った新兵ども!」
振り返ると、そこにいたのは巨岩のような男だった。
片目に古傷を持ち、分厚い肩と傷だらけの腕。
鋭い灰色の眼が、新兵たちを一人一人値踏みする。
「俺は百人隊長ルキウス・ウルスだ。貴様らは今日からローマ軍の兵士……いや、兵士の卵だ。
卵のまま戦場に出れば、頭を割られて犬の餌になる。それが嫌なら、俺の地獄についてこい!」
ウルスの号令とともに、新兵たちは走らされた。
鉄の甲冑もなく、ただの革鎧でも息が切れる。
カエソは必死に足を動かすが、隣から声が飛んだ。
「おい、辺境坊主! 足が止まってんぞ!」
見ると、褐色の肌を持つ長身の青年が並走していた。
「俺はマルク・アントニウス・ガルス、ガリア出身だ。死にたくなけりゃ俺の背中を見とけ!」
その言葉に、カエソは黙って頷いた。
訓練は続く。
盾の持ち替え、槍の投擲、短剣の突き。
手はすぐに豆だらけになり、足は鉛のように重くなる。
それでもウルスは容赦しない。
「盾を構えたら、それはお前の壁だ! 壁が動いたら仲間は死ぬ!」
蹴りが盾を直撃し、カエソの腕が痺れる。
しかし、踏みとどまった瞬間、ウルスの口元がわずかに歪んだ。
午後、射場に移動すると、そこには意外な人物がいた。
栗色の髪を後ろで束ねた少女が、弓を構えて的を射抜いている。
矢は全て中央──まるで寸分の狂いもない。
「あなた、新入り?」
彼女は弓を下ろし、カエソを見た。
「クラウディア・ルキッラ。補給官よ。兵士じゃないけど、あなたたちより戦場のことを知ってるわ」
そして再び弓を引き、的の中心を貫いた。
その正確さと落ち着きに、カエソは何か強い印象を受けた。
日が傾き、訓練が終わる。
ウルスが最後に一言だけ言った。
「明日からは実戦訓練だ。敵はゲルマン人を想定する。……だが本当の敵は、恐怖だ」
その言葉が、カエソの胸に深く突き刺さった。
あの日、村を焼いた炎と血の匂いが蘇る。
──負けない。必ず、生き延びる。
第二話では、主人公カエソの仲間と師匠の初登場を描きました。
ウルス百人隊長は今後の戦場戦術と生き残り術を叩き込む存在、マルクは戦友であり時にライバル、クラウディアは戦場と政治の架け橋になります。
次回はいよいよ「初陣編」。
小さな戦いが、やがて大きな戦乱へとつながる第一歩になります。
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