第一話 村を焼く黒き影
ローマ帝国が揺らぎ始めた二世紀末──
北方の蛮族は国境を越え、辺境の村々を炎と血に染めていた。
これは、ある少年が剣を握り、やがて軍人皇帝と呼ばれる道を歩む物語の始まりである。
西暦175年、パンノニア属州。
冬の畑に冷たい風が吹きつけ、雪混じりの雲が低く垂れ込めている。
十七歳のカエソ・ウァレリウスは、父から譲られた鋤を振るっていた。
「おい、カエソ! また遅ぇぞ!」
隣の畑から声をかけてきたのは、父の友人リウィウスだ。
村一番の大男で、笑うと大きな白い歯が覗く。
「剣じゃなくて鋤なら、お前に勝てるな!」
「……剣も鋤も、重さは同じだろ」
カエソは苦笑し、腰を伸ばす。
その時、地響きが耳に届いた。
馬の蹄音──いや、それはもっと重く、不規則で腹に響く音だった。
川の向こうから黒煙が立ち上り、村の方向から悲鳴が上がる。
「ゲルマン人だ!!」
叫びと同時に、木柵が爆ぜる音が響き、炎が舞い上がった。
リウィウスがカエソの肩を掴み、必死に叫ぶ。
「走れ! お前は母ちゃんを連れて森に──」
その言葉は最後まで続かなかった。
黒羽のような矢がリウィウスの首を貫き、鮮血が冬空に散った。
目の前で人が倒れる光景に、カエソの身体は固まった。
足が、鉛のように重い。
炎を背にした影が、雪を蹴り上げて迫ってくる。
毛皮をまとい、血走った目をしたゲルマン戦士たち。
斧が振り下ろされ、隣家の壁が粉砕された。
「母さん──!」
叫びながら駆け出す。
しかし家はすでに崩れ、炎が全てを覆っていた。
焦げた木と肉の臭いが、冬の冷気を押しのけるように鼻を焼く。
その日、カエソは農夫であることをやめた。
生き延びるため、剣を握る兵士となる道を選んだ。
第一話、お読みいただきありがとうございます!
ここでは主人公カエソが「なぜ剣を取るのか」という原点を描きました。
次回はローマ軍への入隊と、新兵訓練での仲間や師匠との出会いです。
ここから一気に物語は戦場の熱を帯びていきます。
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