第48話 離縁届
反省したつもりだったけれど、そうではなかった。
表向きは母親に対しての『ごめんなさい』はあれど、内心では『謝っておけばどうせ帰ってくるんだろう』としか思っていなかった。
「(声まで出なくなるし……! くそっ!)」
ランディは苛々しつつミスティアがいた部屋から走って出ていき、自室へと戻る。
道中、使用人に『ぼっちゃま、走り回っては危ないですよ』と注意され、『うるさい!』と怒鳴ったつもりだったが、声が出ないことを思い出す。
結果、ぱくぱくと何かを言っているような動作だけしかできず、そのまま無視して走り去る、ということしかできなかったのだ。
「(精霊の呪いか? だとしたら……風属性だし、お父様にどうにかしてもらえば大丈夫だろ)」
フン、と鼻で笑ったランディは、もうミスティアの部屋で見せた雰囲気も、使用人の話を聞いて愕然として反省したはずのあれらも、何もなかった。
ただただミスティアのことを逆恨みするだけになり、自分のやったことは決して悪くないという思考に切り替わっていた。
「……」
こんこん、と父の部屋のドアをノックすると、新しい執事長が扉を開けてくれる。
「ぼっちゃま、どうされました?」
「……」
何も言えない、話そうとしているができていないランディを不思議に思って、執事長は慌ててペンとメモを持ってくる。
「ぼっちゃま、こちらに書けますか?」
うん、と頷いて受け取ったランディは、メモに『声が 出ない 精霊にいたずらされた 呪いかな』と書いて、はい、と執事長に手渡す。
内容を確認した執事長は真っ青になり、ランディをすぐさま部屋の中に入れるが、それを見たリカルドに思いきり怒鳴りつけられる。
「何をしている! ここにランディがいても役にも何にも立たないだろうが!」
「しかし旦那様、こちらをご覧ください!」
「は?」
訝しげな顔で、リカルドはランディの書いたメモを見る。
信じてくれるだろうとばかり思っていたランディだが、リカルドがじっとランを見て、そして呆れたようにため息をついた。
「お前、声が出ない演技をしているんじゃないだろうな」
「……!?」
違う!と一生懸命ランディは首を横に振る。
だが、声が出ないように頑張っていれば、そんな演技もできてしまうのではないかと思い、リカルドは更に訝しげな表情になっていく。
「どうやって信じろというんだ」
「……!」
ランディは、慌ててメモに文章を書く。
「おばあさまを呼んで、……まぁいい。おい、母上を呼んで来い」
「かしこまりました!」
執事長は慌てて走り、別邸にいるセレスティンを呼びに向かった。
さほど距離も離れておらず、可愛い孫のためならば、とセレスティンは慌てて本邸にやってくる。
「わたくしの可愛いランディちゃん!! 何があったの!」
数分程度でやってきたセレスティンを見て、ランディはそちらに駆け寄ってぎゅうと抱き着いた。そして、執事長にメモを見せろ、とジェスチャーをする。
「大奥様、こちらを」
「貸しなさい!」
奪い取るようにメモを見て、セレスティンは慌ててランディに手をかざす。
魔力の流れがおかしなことになっていないか、一体何がどうなっているのか。セレスティン自身に特殊な能力があるわけではないけれど、魔力の巡りを読むことくらいはできる、と必死になる。
そして、少しだけしてからセレスティンがランディの首元にそっと触れた。
「……ランディちゃん、声が出ないのよね?」
「(そう!)」
信じてくれたのか、とランディは目を輝かせる。
そして、セレスティンをじっと見上げていると、普段見せないような困惑の色を浮かべている祖母が目に入る。
「(あれ……?)」
祖母でも解決しないのか、とランディの思考が嫌な方向に向かいかけたところで、セレスティンがリカルドの方を向いた。
「リカルド、風魔法は使える?」
「……できないから、最低限の仕事しかしていないんだよ!」
「……あの嫁の呪いかもしれないのよ!?」
「は!?」
執務机に座って動かなかったリカルドだったが、ここでようやく勢いよく立ち上がった。
「どういうことだ!? ランディの演技じゃなかったのか!?」
「演技なものですか! はっきりとは分からないし、わたくしは風魔法の適性があまりないけど……でもね、魔力の巡りは少しわかるの。……喉のあたりで、何か濃密な魔力がたまっているのよ……」
それがランディの声を出せないようにしている、とセレスティンが言うと、リカルドは顔を真っ赤にして足を大きくどん!と鳴らした。
「あのクソ女、どこまでも人をコケにしやがって! 自分の子供への愛情がないのか!」
「きっとそうよ! あの女、実家に逃げ帰ってまでも卑怯なことを……。こうしちゃいられないわ、リカルド、さっさと離縁届を持ってサイフォス家に行くわよ。離縁を突き付けて、ランディちゃんの親権も何もかも、奪ってやりましょう! そして後悔するがいいわ!」
おっほほほほ! と高笑いをするセレスティンに触発されたように、リカルドはよし! と大きく叫ぶ。
しかし、彼らの中で誰一人思い出す人はいなかった。
ミスティアからすれば『離縁上等』なのだということに加え、諸々の行動を反省することのないランディ、浮気こそしていないがクソ夫でしかないリカルド、そして毒にしかなっていなかったセレスティン。
離縁をすることで得をするのが、サイフォス家だけだということに彼らは気が付かないまま、勢いのままに離縁届を持って、『いざゆかん!』とでも言わんばかりに、サイフォス家へと向かったのであった。