思ってもいない組み合わせ
「――殿下、今、何と」
「ハッ、白々しい!」
コイツ何言ってんだ、という顔でアーリャは目の前の、この国の王子殿下であるグラハム・アルベニスを見つめる。
アーリャだけがそうしているかと思いきや、グラハムに守られるようにして後ろにいるエリス自身も結構とんでもない顔をしてグラハムを見ている。
「(……あら?)」
どうやら、違和感というかこのグラハムの反応がおかしいと思っているのはこの場でアーリャとエリスだけらしい。
他の生徒からは『公爵令嬢ともあろう御方が……』や、『まぁ、優秀なエリス様に嫉妬?』とか、何とも適当なことを言ってくれるものだ、とアーリャは呆れ果ててしまう。
「今、わたくしはエリス嬢にちょうど声をかけただけです。それなのに、どうしてそのようなことを言われなければならないのでしょう?」
「どこまでも白を切るというか!」
「(人の話聞きなさいよ馬鹿王子)」
思わず本音がポロリしかけたアーリャと、グラハムが守っているはずのエリスも感情がリンクしたかのように、表情がどんどんとんでもないことになっていく。
「(あの子、変わってますわよね……)」
うっかり笑いそうになるアーリャだったが、それは必死に堪えた。
そして、アーリャのその一瞬の表情を見たエリスは何やらぱっと顔を輝かせている。おやこれは、と思ったアーリャは何やら怒鳴り散らしているグラハムには視線を向けず、じっとエリスだけを見つめた。す、と一歩前に出ればグラハムが警戒心を強めるものの、そのグラハムをぐいっと押し退けてエリスが前に出てきた。
「おはようございます、エリス嬢」
「おはようございます、ロゼルバイド公爵令嬢様。昨日はご挨拶ができず、誠に申し訳ございません」
「良いのよ。それに、同じクラスのクラスメイトなのだから、気兼ねなくお話しできると嬉しいのだけれど」
「はい!」
「あれ………………?」
ぽかん、としているグラハムを尻目に、エリスとアーリャはきゃっきゃと話している。何なら話が普通にできているし盛り上がっている。
「あ、あの……?」
グラハムは、エリスが己の婚約者に虐げられているらしいという話を聞いて、慌ててここまで走ってきたのだ。
アーリャとエリスは向かい合っていたから、言っていたことは本当だった! とカッとなってしまい、エリスを背に庇ったものの、庇われた本人とアーリャが微笑ましく会話している。
他の生徒も『あれ?』と首を傾げており、アーリャとエリス以外が呆気に取られている中で、本人たちは会話をしながらすたすたと校舎へと歩いていってしまったではないか。
「お、おい……」
やり場のない手をひらりとふってみるものの、エリスとアーリャは止まらず歩いていく。
おかしいな、エリスを助けたかっただけなのに、とグラハムはぽかんとしたまま立ち尽くしていたが、始業のチャイムが鳴りますよ、と通りすがりの先生に声をかけられてしまい、慌てて教室へと走っていったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごめんなさいね」
「え」
話は少し戻って、歩き始めたアーリャとエリス。
すたすたと二人揃って歩いたところで、不意にアーリャが立ち止まって謝罪をしてきた。
『エリス様、どうしましょう!? このひと悪役で』
「聞こえていてよ、そこの羽虫」
『羽虫!?』
リーアのことが見えているらしい様子のアーリャに、エリスはぎょっとした。いや、先ほども驚きはしたのだが、まさか本当に見えているだなんて、と改めて驚いてしまったのだ。
「あの……」
「見えているわ」
『っていうか羽虫って何ですか羽虫って!』
「こちらの人生狂わせにかかっているような精霊だか何だか分からない存在、羽虫で上等ですわ」
容赦ねぇ……とエリスが思っていると、リーアは恐る恐るといった風にアーリャに近づいて、じぃっと何かを確認するように彼女を見つめた。
「何ですの」
『……あの……あなたにもボクみたいなナビ精霊がいませんでしたか……』
ああ、とアーリャが呟けばエリスもリーアもハッとするが、続いた言葉に両者硬直した。
「殺しましたけど」
「…………へ」
『うっそだーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!』
「消滅しましたけれど、あの害虫」
何だかどんどんとミミルへの評価が悪くなっているようだが、そこは気にしないようにしておいた。アーリャの目が座っているから、迂闊な発言は己を滅ぼすだけだ、とリーアは過去の己のやらかしを思い出して、言葉を選びつつまた続ける。
『で、でも何で』
「わたくしのことを悪役令嬢だとか何とか決めつけてくるから」
「悪役……令嬢……?」
何だそれ、とエリスはきょとんとする。
このままだと遅刻してしまうか、と少しだけ心配したアーリャは歩くようエリスを促し、校舎へと歩き始めた。
「他にも何だか言いたげだったけれど、わたくし、自分の人生を何だかよく分からない生物みたいなものに決められるだなんて、真っ平ごめんなのよ」
「あの……でも、ロゼルバイド公爵令嬢は……」
「アーリャ、でよくってよ」
「ええと……アーリャ様は、王子妃になることがほぼ決定しているのでは……」
「そうね」
あっさりと頷いたアーリャに、エリスはあれ?と首を傾げる。
それは良いのか、と不思議に思っていると、ふわりと微笑んでいるアーリャと視線が合う。
「家のため、国のためでしょう。公爵令嬢としての役割を果たすだけ、と思えば……ね?」
ああ、このひとは、貴族令嬢としての『自分の役割』を忠実におこなっているだけなんだ、と思うと、悪役令嬢なんかにさせている場合ではない。
エリスはぐっと拳を握りしめ、アーリャの制服の上着のすそを、くい、と引っ張った。
「だったら、私はアーリャ様をこの妙ちくりんな世界で、守ります!」
「妙ちくりん……って、あなた……」
ふ、とアーリャが思わず笑いを堪えられずにそのまま笑いだしてしまう。
あ、この人って普通に笑えるんだ、とエリスは思った。
学園でアーリャ・ロゼルバイドを知らない人はいない。
ロゼルバイド公爵家長女で、学園での成績は常にトップ。
薄桃色の背中の中ほどまであるストレートヘアはだいたいハーフアップにされていて、つけているバレッタは一目で一級品だと分かる細工のもの。深紅の瞳はロゼルバイド公爵家直系の証でもあり、学業だけではなく魔法に関しても才能の塊なうえに努力家。
だが、アーリャは基本的に笑うことがあまりないために、『この人は怖い人だ』と思われがちで、学園の中で『笑わない薔薇』と揶揄されていることもあるくらいだ。
「……アーリャ様って、笑うんですね」
ぽろっと呟いたエリスの言葉に、アーリャは思わずきょとんとしていた。
「……人を何だと思っておりまして?」
「だって、学校では……」
「……気を許したらいけないと、そう、教えられておりますもの」
素を出してはいけないのだ、と父や母、年上の兄からもアーリャは常に言われ続けた。
とはいえ、学園に通っている間に、もしも気の合う友人ができたとしたら、その人の前でくらいは素の自分を出したい、と思ってはいるのだ。
公爵令嬢という立場上、結局今までそういった人は現れていない、というのが現状でもある。
「公爵令嬢って、大変なんですね」
「あなたも、そうではなくて?」
「え」
「あなた、そこの羽虫に主人公にされてしまっているのでしょう」
「あー」
「まったくもって迷惑な話ですわよね」
「いや、なってなくて」
「本当に……って、え」
てへ、とエリスはわざとおちゃらけてみせる。
確かこの前殺ったミミルの口ぶりからして、もう既に主人公が設定されているとばかり思っていたのに、とアーリャは思った。
リーアがいるのだから、てっきりもうエリスが『そう』なっているのだとばかり思っていたアーリャは、思わず足を止めてしまった。
『お断りされまして』
そういって事の経緯を話し始めたリーアの話を聞き終わったアーリャは、真顔でリーアを睨みつけた。
「断られて当たり前のことしかしていないじゃないの、質の悪い押し売り商人みたいなことなさるからよ」
『返す言葉がどこにも無い!』
「ちょっと、アーリャ様に無礼な口きいてんじゃないわよ!」
『あぶっ!』
わし、と空中にいるリーアを掴んだエリスは綺麗な投球フォームでべしん!とリーアを地面に叩きつけた。アーリャから『うわ……』と公爵令嬢らしからぬ声が聞こえたが、一旦聞かなかったことにしたエリスはぎり、と再びリーアを踏んだ。
「ちょっと、私以外に被害者いるんじゃないの」
『あの、ナビ精霊って、ボクの他にももう一人いて』
「あの羽虫なら殺したと言ったでしょう」
『ひど』
「酷いとか言ってんじゃないわよ。お前たちのせいでこっちの未来叩き潰されるところだったじゃないの」
何だかこのヒロイン候補(きっともう無理)と、悪役令嬢(にされかけていた人)、とっても気が合ってる……とリーアが踏まれながら思っているところで、アーリャはエリスはお互いの気の合いっぷりに顔を見合わせて微笑み合った。
「なんか、私アーリャ様と仲良くしたいです」
「奇遇ね。わたくしもエリス嬢ともっとお話しもしたいし、仲良くなりたいと思っていたの」
そして、エリスとアーリャは互いにそっと握手を交わす。
きっともしも、己の役割を受け入れてしまっていては、叶うことのなかった関係性が、ここに生まれた瞬間だった。