ヒロイン初日、やらかした
さて、ヒロインになってから何がどう変わっているのだろうか。
エリスは警戒もしながら、昨日のことを思い出しつつ登校してきた。
「エリス、おはよう」
「アーリャ様、おはようございます!」
「……あなた」
「へ?」
アーリャが何やら目を細めてエリスをじっと見つめているが、何せとんでもなく美人なアーリャ。普通の人がそんな顔をしたら、下手をすれば変顔、と言われてしまうこともあるのに、何をどうやっても美人なのはずるい、と感じてしまう。
綺麗な赤の髪は緩く巻かれ、前髪は邪魔にならないようにとセンター分けでセットされているが、実はたまに前髪の分け目を変えていることがあるのに気付いたのは昨日の話。
そして、制服もアーリャが着ると、そもそもの腰の位置が違うせいか、何だか儀式用の正装に見えてしまう不思議。
目つきが悪いと言われているアーリャだが、それはちょっとつり目なだけであって、あくまで『印象』の話なのだから、絶対に目つきが悪い、というわけでもない。何ならエリスにはよく微笑みかけてくれるし、結構いろんな顔を見せてくれている。
「……エリス、あなた何か変わった?」
「わぁ、鋭いですね!」
「……エリス」
「えーっと……」
あはは、と苦笑いを零してから、エリスはアーリャと並んで歩く。
アーリャとエリスの身長差はおおよそ、10cm。アーリャの方が高いので、少しだけエリスはアーリャを見上げるような形になる。
「ヒロイン役、引き受けちゃいました!」
テヘ、と可愛らしく微笑んで言うエリスを見て、アーリャはぎょっとした顔になる。そして『このお馬鹿!』と叫びそうになるのを必死に堪えて、ぎりぎり、とカバンを渾身の力で握っているせいか、何だか持ち手がおかしな形になっているのはきっと幻覚だ、と自分に言い聞かせつつ、エリスはまくしたてるように言葉を続けた。
「だってほら、私がクリアさえしちゃえばアーリャ様だって、リーアだって解放されるんですよ!? だったら」
「お馬鹿!」
「えぇ……」
あらま、言われた。
苦笑いをするエリスがアーリャを見上げれば、ぐっと泣きそうになっているのを堪えているアーリャが目に入った。
「……え……?」
「あなた一人が背負う必要が、どこにあるというの……!」
ああ、この人は本当に優しいんだ。
エリスに何かあってはいけない、とアーリャは心から心配してくれている。言わずともそれがわかるくらいには、最近アーリャと一緒にいる時間は多い。
「大丈夫です。私色々と我儘にいっちゃおう、って決めたので」
「けれどエリス!」
「……アーリャ様を、助けたい、って思いもあるんです」
えへへ、と照れ臭く言って微笑むエリスを見て、アーリャもつられた様子で微笑んだ。
歩きながらの会話だが、この時間がとても大切で、楽しい。だから、卒業までの一年間を耐えるという意味でも、リーアを救うという意味でも、そして、アーリャを救うという意味でも、頑張ろう。と、改めて思って言葉を紡ごうとした矢先だった。
「アーリャ・ロゼルバイド!! 貴様、何をしている!!」
「!?」
朝からまぁ元気なことだ、と視線を声の主の方にやれば、案の定というかグラハムが憤怒の形相で仁王立ちしていた。
「……殿下」
アーリャはすっと立ち止まってそちらを向き、きれいにお辞儀をする。
だが、グラハムはそんなものを見ることもなく、大股でアーリャに近づいて、勢いよくアーリャの肩を押したのだ。もちろんながら、アーリャはその場に思いきり倒れてしまう。
「……っ、きゃあ!」
「アーリャ様!」
「エリス嬢、ああ、怖かっただろう!」
「…………は?」
こいつは、今何を言ったのだろうか。
エリスは一瞬でグラハムの頬をひっ叩こうかと、かっと頭に血が上ったが、アーリャから目で『だめだ』と止められてしまった。
そうだ、そんなことするわけにはいかない。
けれど何もしていないアーリャをいきなり突き飛ばし、倒して正義感振りかざすような男のどこを好きになれというのか。
ヒロインになった、と言ったところで、エリスはエリスのままでいられる。だから、グラハムの行動には嫌悪感が真っ先にやってきた。
「……殿下、最低ですわ」
「え……」
「私は、アーリャ様と級友として話しながら歩いていただけです! それなのに……いきなり突き飛ばすだなんて!! 婚約者ではないのですか!! ひどすぎるわ!!」
わざとエリスは大声で言う。
普段ならばこんなことを言おうものなら不敬だ、と相当きついお咎めが待っているのだ。しかし今のエリスの立場がそうはさせない。
それを理解したからこそ、エリスは更に言い募る。
「朝からどういうおつもりなのですか!? 殿下、まずはアーリャ様に謝罪を!!」
「うっ……」
エリスの言葉は、物語の主人公として正当性しかなく、どうやって見てもアーリャはエリスと談笑していただけなのだから、グラハムの分が悪すぎた。
「エリス、いいのよ。わたくしが殿下に誤解をさせてしまったのだから」
「いいえ、この学園では身分がどうとか関係ないはずです! アーリャ様とお話していただけなのに、こんなひどいことをされるいわれはありませんもの!」
そうよね。
いくら殿下といえどあれはない……。
どう見てもロゼルバイド嬢は何もしていなかったぞ……?
エリスさんも笑っていたものね!
けれど殿下が……。
ひそひそ、とざわめきは広がっていく。
まずい、とグラハムが思った時には、視線が一気に彼へと突き刺さっていた。
「(よし、やっぱり!)」
エリスは内心でぐっと拳を握る。
きっと普段のグラハムならば、こんなことはしないはずだ。けれど、彼らの深層意識の中には、アーリャの役割は『悪役令嬢』として根付いているはず。
アーリャ自身が役割を引き受ける前にそれを拒否し、逃れているにも関わらず、何らかの手段で彼らの意識をそうなるように仕向けているのだから。
更にエリスは確信していることが、もう一つある。
「(予想通りなら……)」
【攻略対象の好感度が上昇しました。
グラハム・アルベニス 好感度:50 ⇒ 80】
「(……嘘でしょ……)」
これは王子としてあまり叱られたことがないから、真っ向から正してくれる人に対して無条件で好感度が急上昇したとでもいうのだろうか。
とはいえ、これはちょろすぎである。
「……アーリャ」
「…………はい」
突き飛ばされたとき、アーリャは思いきり手首を地面についていた。捻っているかもしれない、とエリスは慌ててアーリャに駆け寄る。
「……っ、!」
「やっぱり……」
予想通り、アーリャは手首を痛めているようだ。エリスがそこに触れただけで、ぐっと顔を顰めてしまった。
「さっきの……アーリャ様、失礼しますね」
一言断りを入れれば、アーリャはこくりと頷いた。
それを確認して、エリスはアーリャの手首へと治癒魔法をかける。ぱぁっと白い光に包まれ、おさまったころには、アーリャはほっとしたように息を吐いている。結構な痛みがあったのだろう、それがなくなってよかった、とエリスは安どした。
「……悪かったな、いきなり突き飛ばして」
「……いえ、殿下のお心のままにどうぞ」
「何だと!?」
「……」
謝ってやったのに、と言わんばかりのグラハムだったが、アーリャから向けられている冷たい目に、ここでハッと気づいたようだ。
「ずっとこのような行動をされるようでしたら、わたくしは父に色々とご報告させていただき、今後について考えなければなりませんので」
「そ、それは……だな」
「エリス、ありがとう。すっかり痛みはなくなったわ」
「痛みはなくしましたけど、ご帰宅されたら医師の診察を受けてくださいね!」
「ええ、ありがとう。あなたは本当に優しいのね」
うふふ、おほほ、と仲良し全開できゃっきゃしている二人を見て、グラハムは悔しそうにしているが、それを招いたのは自分だという自覚もあるのだろう。
エリスと会話したい気持ちがあるのに加えて、アーリャに対してひどいことをしたという自覚は持ってもらわねばいけない、とエリスはんべ、と舌を出した。もちろん、ギャラリーには見えないように、だ。
「(ちょっとエリス)」
「(気まずい思いをすればいいんです)」
「(まぁそうね、ざまぁみろ、って思ったもの。あの方、基本ああだから)」
基本がアレ!? 王子なのに!? と声に出さなかった自分を、エリスは後で思いきりほめることにした。
一応、エリスにもグラハムは謝ってくれたので、その場は良しとしたが、授業が終わって昼休みになり、エリスはアーリャと昼食を食べつつリーアを呼び出す。
『はいはーい!』
「ちょっと聞きたいんだけど!」
『はい』
「グラハム様って」
『情報どうぞ!』
言われる前に、とリーアが差し出してきた攻略情報を見て、エリスは頬が引きつった。
【グラハム・アルベニス
王子として甘やかされたせいで、本音で話してくれたり、叱ってくれる人が少なすぎて若干、性格に問題あり。
根気強く付き合うことをお勧めするが、思いきり叱ると『この人は自分のことをとても丁寧に考えてくれたんだ!』とものすごい勢いで懐いてくるので気を付けて!】
「……嘘でしょう……」
やっちゃった!! と叫んだエリスの肩をぽんぽんと叩きつつ、アーリャは優しく慰めてくれた。もうこの人だけが私のオアシスだ、とエリスが感動したのは、リーアしか知らない事実である。