正反対な私たちは。
私が中学生の頃の話だ。
あれは確か部活がない水曜日の放課後で、私は図書室のちょうど真ん中あたりの席に座っていた。
彼女が目の前の席に現れたのは、手元の本を半分くらい読んだ頃だったと思う。
彼女とは同じクラスになったことがなかった。にもかかわらず、私たちは入学から一か月も経たないうちに仲良くなった。
きっかけは覚えていない。私たちはなんとなく出会い、なんとなく話をし、なんとなく一緒にいるようになった。
「何読んでるの?」
「最近はまってるシリーズのやつ」
「見せて」
彼女は私の手元から本を取り上げた。少しイラっとした。
「読んでる最中なんですけど」
「怒らないで。怖いよ」
彼女は相手の状況をわきまえず、いつ何時も自分のペースに巻き込むような子だった。常に相手の機嫌をうかがっている私とは真逆。本来なら私の苦手なタイプだ。
正反対な私たちが一緒にいるのは、傍から見れば不思議な光景に違いなかった。
彼女の手元には、三つの白い破片のようなものが置いてあった。
「ねえ、それ何?」
「ああ、これ?」
彼女は一つを手に取って、白い紙を剥ぎ中身を出した。
「カッターの刃だよ」
彼女は左手首につけた太めの腕時計を外した。あらわになった彼女の手首は、赤黒く焼け跡のような傷で覆われていた。
「こうするとね、ちょっと面白いんだよ」
彼女は、傷だらけの手首にカッターの刃を当てた。刃を滑らせると、彼女の真っ白な肌に真っ赤な筋が入った。
彼女は腕を傾けて、次々に零れ出る血を少し机に垂らして見せた。
「綺麗だね」
思わずそう言っていた。
「綺麗……? その反応は、予想外」
彼女は笑った。
私がポケットティッシュを出すと、彼女は無言でティッシュを取り出して机の血をふき取った。赤い筋が描かれた手首は、そのままだった。
周りにはそこそこ人がいるはずなのに、彼女にその傷を隠す素振りは一切なかった。実際、誰も彼女の自傷行為に気づいていなかった。
彼女はただ笑っているだけだった。
「ねえ、帰ろう」
「本は?」
「家で読む。邪魔してくる人がいるから」
「ごめんよ。じゃあ帰ろう。そろそろ血が止まってくるから、ちょっと待ってて」
私はバス通学で、彼女は自転車通学だった。彼女は自転車を押して、バス停へ向かう私についてきた。
「いつもそんなことしてるの?」
「そうね。まあ、気が向いたら」
「痛くないの?」
「切ってるときはそんな痛くないよ。お風呂が染みる。
でもね、湯船につかりながら切ると血がゆらゆら広がっていって面白いんだよ」
いつも不満そうな顔をしてるくせに、こういう話をしているときの彼女は楽しそうだ。こっちが反応に困ることなんてお構いなし。本当にマイペースで身勝手な子だ。
目の前の青信号が点滅し始めた。彼女は渡ろうとしたけれど、立ち止まる私を見てすぐに下がった。
私は口を開く。
「ねえ。面白いから、切ってるの?」
彼女は一度私を見て、それから考えるように黙り込んだ。
「それとも、死にたいの?」
「……理由なんて自分でもわかんないよ。でも、死のうとは思ってない」
「……そっか」
ピヨピヨと音がして、私たちは青信号に向かって歩きだした。
「あんたが腕をぼろぼろにしちゃうのと同じだよ、きっと」
私には、無意識に体のあらゆる毛を抜く癖があり、特に腕が多かった。うまく抜けないと、皮膚が引っ張られて血が出ることがよくあって、私の腕は小さな傷やかさぶたでいっぱいだった。
「そんな危ないことしてる人と同じにしてほしくないな」
「確かに」
彼女はまた笑った。今日はよく笑う。
「うっかり深く切って死んじゃったりしないでよね」
「あんたこそ」
予想外の返事に、思わず彼女の目を見た。
「何言ってるの。毛を抜くだけで死ぬわけないじゃない」
私は笑ったけれど、彼女は真顔だった。
「違うよ。あんたは私と違って、心のどっかで死にたいと思ってるでしょう?」
こういうときこそ、笑ってくれればいいのに。自分の話で重くなるのは嫌いだ。
「否定はしない。でも、安心して。私に死ぬ勇気なんかないから」
だから私は笑う。極力明るくしようと、必死に笑顔を作る。
バス停につくと、彼女は自転車にまたがった。
「それなら、私も死なない」
変な理屈に思わず笑みがこぼれた。
「何それ。意味わかんない」
「あんたが死なないなら、私も死なないよ」
彼女は、微笑んだ。じゃあね、と手を振りながら漕ぎ出して、さっき来た道を戻っていった。
夕焼けの中、自転車の影が長く伸びていく。彼女は振り返らなかった。
私たちは正反対な性格だった。だけど、私たちはとてもよく似ていた。