祇園精舎の……
「急に俺も一緒に行くなんて言うとは、頑固なお前にしては珍しいな」
昨日。そう、昨日だ俺が伊万里に告白されるなんて俺としては思っても居なかったイベントがあったりしたが、どんなに俺が悩もうと結局時というのは無情にも進んでいくもので俺は今千登世と父親達の食事会に着いて行くと迎えに来た一姫さんに告げたところ、俺が思い通りに動いたことが嬉しいのかくつくつと肩を揺らす一姫さんを目の前にして、選択を間違ったか……と既に少しばかり後悔していた。
「何が可笑しいんですか」
「そうぶすくれるな、私はお前はなんだかんだと言いつつやる奴だと知っているからな、その申し出だってそう可笑しなことじゃあない」
自分でも子供が拗ねるように誰に向けるわけでもない、何とも言い難いこの感情を吐き出すようにつま先の小石をじゃりと踏みつけていると、何もかも見透かしたような一姫さんに肩を叩かれる。
「……しかし、私が思っているよりも決断が早かったな?何かあったのか?」
「……別に、何も」
馬鹿正直に昨日の出来事を関係のない一姫さんにペラペラと喋るほど俺も馬鹿ではない。
「まあいい。千登世は先に今日の会場のホテルに先に送っているから、後はお前だけだよ」
「そりゃ準備の良い事で」
何故わざわざ俺と千登世を別々に送迎するのかと聞きたくなったが、どうせ俺を食事会に乱入させるために最後の説得の時間を一姫さんの独断で作ったに違いない。
説得こそされなかったが結局一姫さんの思い通りになっているのはなんだか癪だ。
けれど、どうしても昨日の伊万里がちらついてしまって、安全圏から傍観者になるのも俺の小動物ハートですら拒否していた。
いやだいやだと言っていた食事会への同行を自ら希望することになるとは……
「はあ……」
「ため息なんてついていたら幸せが逃げるぞ」
「……良いんですよ、俺はこれから一人の幸せを妨害しに行くんですから」
一度ついて行くと言ったからには最低限の仕事はするつもりだし、逆にここまでくると一姫さんの揶揄いも気にならなくなってきた。
これから千登世という何かと言い出したらキリがないほど弱点はあるものの、可愛らしい女の子の為に馬鹿な事をするのだ、完全な部外者が家庭の事情に首を突っ込み、父親や千登世の相手がどこまで本気なのかなんてのは分からずじまいのまま千登世にどうにかしてと言われたからどうにかするなんて馬鹿を。
「いいや、郁真お前はどうでもいい他人の幸せを妨害して私にとってもお前にとっても大事な人の幸せを守りに行くんだよ。それはきっと素晴らしい事だろう?」
ククク……と滅多に笑わない一姫さんが怪しい笑みを漏らしながら何やらいい感じの事を言っているが、あまりにも笑い声が邪悪過ぎていつか一姫さんの言っていた私は好かんの言葉を思い出して、私怨で俺を面倒事に巻き込んだんじゃないかと思わずにいられなかった。
一姫さんはひとしきり肩を揺らした後普段千登世にするように甲斐甲斐しく車の後部座席のドアを開いて俺を車内へと誘うが、俺には見慣れたこの車のドアが地獄の門が開いたように思えた。
◇
「そういえば、郁真には今日の食事会の詳しい説明をしてなかったな」
相変わらず凪いだ湖上のボートの上のようにほとんど揺れない一姫さんの運転で撮りすぎていく景色をぼんやりと見ていると思い出したように一姫さんが言う。
「……大体は俺の家に二人が泊まりに来た時に一姫さんから説明を受けた気がしますけど?」
「大雑把になぜこんなことになったのかの流れだけで、細かい人物だったりはまだだろう?」
確かに言われてみれば、千登世の父親の徹氏の名前こそ話の流れで知っただけで細かい説明は受けていない。
「そういえば確かにそうですね」
「だろう?」
「とりあえずそこまで時間が有るわけでもないし簡単に説明するが、まず千登世の父親は知っているだろうが、鷺森徹氏だ。徹氏は基本的には話の分かる人だし鷺森の家系の中でもかなりの穏健派で通っている」
「そして問題の千登世の相手だが、加住旭。千登世の事が好きらしい警察のお偉いさんの坊ちゃん。以上」
薄ぃ……
「まあ、徹氏はそこまで気にしなくてもいい。千登世の事を大事に思うばかり少し関わり方が分からない稼業が特殊なだけのそこらへんにいる父親で、加住は言わずもがなだ」
ルームミラー越しに俺が嫌な顔をしているのが目に入ったのか付け足された言葉もそこまで安心する材料になりそうも無かった。
「で、だ。問題は千登世の祖父である正素氏だ、鷺森家の立場を一代で築き上げた傑物であり今は実権を少しずつ徹氏に引き継いでいるが、鷺森家の長は未だこの正素氏だ。基本的に正素氏も忙しい方なので今日の食事会も軽く顔を出す程度だと聞いているが、お前は徹氏ではなくこの正素氏に認められる必要がある。意味は分かるな?」
「仮に徹氏に認められたところで、正素氏の一声でそれが意味を持たなくなる?」
「そうだ。鷺森家にとって正素氏の一声は神に等しいからな。まあ徹氏も正素氏も今回の顔合わせが上手く行ったら行ったでその方向で進める程度だと聞いたしお前がそこまで心配することも無いだろう」
それは確かにこの前一姫さんからは聞いていたが、それほどまでの傑物がわざわざ時間を割いてまで紹介する人物ってことは実質決定した物に思えるのは俺が可笑しいのだろうか。
「なに、千登世が嫌だと言ったら徹氏も正素氏も千登世の気持ちは汲んでくれるだろう。爺は孫に甘いものだと相場が決まってるからな」
「……根拠弱くないですか、これで俺が食事会滅茶苦茶にしたら沈められたりしないですよね?」
「……日本の警察はユウシュウダゾ」
「おい、相手の人警察のお偉いさんの息子とか言ってなかったか?ズブのズブじゃん」
一姫さんが目を逸らして片言で言うのでつい言葉が荒くなってしまう。
「……着いたぞ」
「ねえ!やっぱりやめたいんですけど!」
「着いたぞここが今日の会場だ」
どこぞのNPCみたいに同じ言葉を繰り替えす一姫さんの言葉で外を見るとそこは明らかに格調高そうなホテルのロータリーだった。
駄々をこねる俺の言葉を無視して一姫さんはいそいそと後部座席のドアを開ける。
その姿は甲斐甲斐しさなんて物は欠片もなく、余りにもぎこちない手つきだ。
「……さあ、ふざけるのもここまでにして。千登世にとっても、お前にとってもここが天王山だ。私は着いていけないが、お前ならきっとうまくやってくれると信じている」
そう言った一姫さんは先ほどまでの頼りなさは少しも無く、これほど頼りになる人が居るのかと思ってしまうほど、毅然とした様子であまりのギャップに風邪をひきそうになる。
「豊臣も最終的には負けてますけどね」
「細かい男だな、お前は。良いんだよ今勝てば、後の事はその時の自分が考えるんだ」
一姫さんが余りにもいい恰好をするものだから少し茶化すように口をはさむと肘鉄が返ってくる。
痛む二の腕をさすっていると、一応掛けて置いた携帯のアラームが鳴る。
「鐘の声ですかね」
「……座布団はやらんぞ」
「それは残念」




