所謂ソレ?
一姫さんに誘われるままに俺は家の見慣れた玄関の扉を開いて、春先とはいえ未だに肌寒さを感じさせる夜風に晒されブルりと身震いをしてパジャマ兼部屋着のジャージの襟に顎を埋めた。
「それで?詳しく教えてくれるんですよね?」
「ああ、そうだな。……しかし、どう話したもんか」
襟元にハアっと息を吐きほんの一瞬の暖を取りながら一姫さんに言うと、いつもの一姫さんからすると珍しくどこか言いづらそうというか、発する言葉を吟味するように何も持っていない手の爪をカリカリとすり合わせる様子は、あの千登世がわざとらしいまでにぼかしぼかし説明した時のようにこの問題は一姫さんにとっても気まずい話題なのかもしれないと思った。
とは言え、手を貸すと決めた以上、千登世のいまいち要領を得ない説明だけでは満足に協力することも出来ないわけで……結局俺は寒いから早く話さんかいワレィという半分逆切れの態度を崩さずできるだけジャージから露出する肌の面積を減らしながら一姫さんが話始めるのをジッと待っていると、ようやく言葉がまとまったのか一姫さんが口を開いた。
「郁真。お前はそもそも今回の件で千登世が父親との食事会に不満を持っている原因が何か分かってるか?」
それが分からんから今話を聞いてるんじゃい
「分からないですよ。だから一姫さんに詳しく教えてもらおうと思って今外に居るんですよ」
「……そのな、ほら、千登世がお父様の知り合いと一緒にと言っていただろう?」
一姫さんの言葉で俺は少し前千登世が話していた内容を脳内で繰り返し反芻して、確かにそう言っていたな、と思い出す。
とはいえ、千登世の父親ほどの地位を持つ人間であれば、仮に稼業から抜ける予定であるとは言え、娘である千登世に仕事仲間の一人や二人紹介するのは不思議ではないような気がしなくもない。
「言ってましたね?それがどうかしたんですか?」
「その、紹介したい人間というのがかなり若い人間なんだよ」
「……若いのに仕事ができるのは良い事じゃあないですか、それに何か問題が?」
わざわざここまで言葉を濁されてきて、答えがそれか。と言いたくもなるがそれを言ったところで千登世
も一姫さんもどうしようもない事だろう。
少々肩透かしなような答えが頼りの綱であった一姫さんから帰ってきた事で半ば呆れながら返す。
「……いつ私が仕事関係の若いのだと言った?だからお前はいつまでたっても千登世の気持ちが分からんと私に馬鹿にされているんだ」
呆れた俺の様子に少し腹を立てたのか、イライラとした様子で一姫さんはそう吐き捨てると同時に軽く俺の事を言葉で殴ってくる。
まあこれに関しては勝手に早とちりで話を進めた俺が全面的に悪いので、大人しく吐かれた暴言を受け止めて話を進めるために相槌をうつ。
「いつも馬鹿にされているのはさておき……父親の仕事関係の人じゃないなら誰なんですか」
「まず、前提条件として千登世の父親の徹氏然り、お爺様は基本的に千登世のやりたいことに関しては最大限の協力を惜しまないのは多少稼いでるとは言え、タダの中学生一人にあの家を与えている時点でお前も分かるだろう?」
「まあ……それは、はい」
一姫さんの言うことは確かに俺にも分かる。
先ほど初めて分かった事ではあるが、あの家に一人で住んでいたのは千登世の言いようによっては我儘みたいなものだし、きっとそれは本当の事なのだろう。
「その父親とお爺様が千登世の望みを叶える為に紹介したいと言っているんだよ、その若者をな」
「おー……っとそれはまた?」
何だか急にきな臭くなってきたぞ?
俺は一姫さんの言葉を聞いて、やっぱりご令嬢だとそう言うもんもあんのか?と何処か他人事で感心しながらも、確かに千登世の望みを叶える為の手助けとはこの上ない物だろう。
ここ一年で関わり始めた俺ですら、あの千登世が誰か一人の男性と恋愛をして……なんてのは余り想像できないものではあるし、父親やお爺様からしても自分たちが認めた男性と千登世が上手い事言ってくれれば安心ではあるだろう。
とはいえ、果たしてあの千登世がそんなことを素直に受け入れるか?と聞かれると……
「いや、なんだかんだ断り切れなさそうな気が……」
「そうだろう、そうだろう。千登世はなんだかんだ情に厚いんだ」
二人して悪口のような誉め言葉で頷きながら意見を同じくする。
初めて会った時ですら、最初は気難しそうに見えてちょっとしたジャブの貧乏自慢に本気で同情していたような気がするし、それがまあ善意百パーセントの血縁の物からの申し出であれば断り切れないあの少女の姿を空見してしまうのはおかしい事じゃあない。はずだ。
「まあ、私も実母ではないが小さいころから千登世を見ていたものとして最低限の母心は持っているし、これで紹介される人間が本当に千登世の事を好いているのであれば私にも文句はないのだが……」
「え?一姫さんその紹介される人知ってるんですか?」
「知ってるというか、こういう世界に居たら有名な奴なんだよ」
ため息交じりに言う一姫さんを見る限り手放しに喜べるような相手ではないのだろうか?
「ヤな奴なんですか?」
「……いや、私みたいな人間からするといまいち好かん人間なだけだ」
そう思い聞いてみるもどうやらそう言うわけでもないらしい。単純に一姫さんの好みからはかけ離れているという事だろうか。
「まあ、普通にお前よりも背は高いし、お前より顔も良いし、お前よりも人当たりも良いし、勿論お前よりも実家は太いぞ。……ただあっちは警察関係の良い所の坊ちゃんだ、そこだけはお前の方がいい男だ」
「いやなんで俺が比較に出されてんのかもわかんないし、普通に暴言すよそれ」
胡散臭いものを嫌悪している様子の一姫さんは凄く嫌そうにその相手とやらを褒めると同時に俺の事を貶してくるが、実際俺も本当にその人が一姫さんの言う通りならば嫉妬かよりも懐疑心が先に来ると思う。
「……って、警察関係すか……」
そう、俺が一姫さんに貶されることなんかよりもざりざりと音を立てるかのようにして俺の脳に残った言葉がそれだった。
先ほどとは比べ物にならないほどのきな臭さが襲う。
千登世を取り巻く家庭環境を鑑みると、完全に無いことではないのかもしれないと、自分を納得させようとするも、現代を生きる、あのちょっとばかし人付き合いが苦手で、だいぶ不器用で人より幾ばくか力持ちの女の子に背負わせるには余りにも、重い。
「つーってと、その表向きは千登世の願いをかなえるためのアレですけど、所謂御家と当人との縁繋ぎ的なダブルミーニングでのソレすか?」
何となく一姫さんと千登世から得た情報を元に流石に鈍い俺でも今回の件の本質が見えてきたし、アレ、ソレと抽象的な言葉を使ったのは何となくはっきりと言葉にすると逃げられなくなるような気がした。
「まあ、ソレだと私は思っている。二人としては千登世の家を出たいという目的を達成するために限りなく体裁が整っているし、ついでに自分たちの欲も通ればラッキー程度だとは思うが、問題は千登世は怪力や上辺の性格で勘違いしがちだが基本的にいい子だからな」
「ねえ、一姫さん?これって俺に出来る事なくない?」
一姫さんから詳しい話を聞けば聞くほど、先ほど千登世に大見栄を切ったのが間違いだったように思えてくる。
俺としては普通に第三者の目線で親子の仲を適度に取り持てばいいか、ぐらいの予想だったのにここにきてパンピーであれば出会うことのないだろうあれやこれやに巻き込まれるのは間違いない。
御家問題どころか御家難題とか、関わんの重えよ……
正直さっさと退散したい所ではあるが、最低限の恩の返しどころは今ここだぞ。と一姫さんから目線で訴えかけられている気がしてならない。まあ仮面のせいで気がするだけかもしれないが。
「お前が千登世と一緒に父親とそいつの食事会に行ってやれば解決するだろ。普通に」
「なあにが普通にですか、俺が着いて行ったところで出来る事なんてないですよ?普通に」
「いや、さすがに千登世もお前と一緒なら覚悟を決めると思うんだが」
「いやなんの覚悟」
「……だからお前は駄目なんだ」
またしても唐突に殴られた。
「二人でこそこそ何話してるのよ!」
唐突に殴られたことで呆然としていると、玄関の扉を開けた千登世がぷりぷりと怒った様子で後ろ手を組んで立っていた。
「……戻りますか」
「ああ」
「もう!せっかくお父様に郁真に言われた通りに伝えて、来週の金曜日に再度食事会をすることになったから、その時為に相談しようと思ったら二人とも居ないんだもの」
「おーおーそれはすまんかったな」
千登世に見つめられてこのまま一姫さんと二人で内緒話するわけにも行かなかったので俺たちは千登世置いてけぼりにされたことで不満げな千登世を宥めながら部屋に戻ることにした。




