ヤダ!助けてぇ!
「千登世嬢?なんで俺は今袴を着せられてるんだ?」
あの後俺は千登世嬢の後を追って、邸宅の中にお邪魔すると、急にそれまで俺の前を歩いていた千登世嬢が振り返って俺の制服の裾を万力のような力で握りこんだ。
千登世嬢に制服の裾をぎゅっと握りこまれ、俺はその力強さに裾を掴む手を振りほどくことを早々に諦めてドナドナされていたが、急に更衣室にぶち込まれ、合気道の胴着のような袴に着替えさせられていた。
そして俺が袴に着替え終わり板張りの道場の隅の畳の上でお茶を嗜んでいる千登世嬢に事情の説明を求める。
「これから修行と言ったでしょう?」
「いや、まぁ修行ってのは聞いたけど……なんかガチっぽくない?」
「……本気でやらないと身にならないでしょう?何を言っているのかしら」
千登世嬢は「冗談は大概にしろよ兄弟」と洋画の一幕の様に肩をすくめていた。
「いや、取り敢えずは簡単な運動からとかだと思ってたんだけど……」
「戦闘がいつも自分の準備が整っているときに起こると思ったら大間違いよ」
尤もな千登世嬢の言い分に口を噤む。
「……そう言えば、戦い方は誰が教えてくれるんだ?千登世嬢か?」
俺は俺と千登世嬢しかいない道場を見渡しながら言った。
「嫌よ、なんで私が郁真に武術を教えないといけないのよ。どうせ直ぐに壊れちゃうもの」
「ねぇ、壊れるとか怖いこと言わないで!?何処が?何処が壊れるんだよ!」
「全部よ、全部。明日には山か海の中ね」
「それ死ぬって事じゃん!ヤダ!助けてぇ!!」
「……私もわざわざ新しい護衛を自分の手でなんて嫌よ。だからちょうどいい先生も呼んでるわ。……一姫来なさい」
俺の心からの叫びを聞いて眉をしかめた千登世嬢は、誰も居ないはずの道場で「一姫」という名を呼んだ。
「はい」
「うひゃぁ!!」
千登世嬢がその名を呼ぶのと俺の後ろから返事が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
俺は急に後ろから聞こえてきた平坦な声にびくりと肩を震わせて間抜けな声が出てしまう。
「……ほら一姫?これがこの前言った郁真よ」
「あぁ、新しい肉壁の」
千登世嬢が俺の事を一姫さんに紹介をすると一姫さんも思い出したように頷いていた。
俺は話し合っている二人をよそに恐る恐る一姫さんの方へと振り返ると、一応身長が174㎝ある俺よりも頭一つ高く、スタイルもスーパーモデルのような黒いスーツを纏った女性だった。
ただ、普通の人と違うのは夏祭りで売っているような狐のお面をしているということだ。非常に、非常に気になるが、なんでお面なんかしているんですか?なんて聞けるような雰囲気ではない。
無論千登世嬢の様に俺の小動物の勘が一姫さんが肉食動物の側であることを知らせてくる。
「そういう事。一姫、郁真をそれなりに使える程度には仕上げて頂戴」
「期間は?」
「半年、かしらね」
「得物は?」
「任せるわ」
「分かった」
「……郁真と言ったか?私の事は一姫と呼べ。これから半年で私がお前を一端の壁に仕上げてやる」
千登世嬢と一姫さんは何やら俺の育成論について話しこんでいたが、それもひと段落着いたのか、一姫さんが俺を見下ろしながらそう言った。
――一端の壁ってダサくねぇ?
「……半年で何とかなるもんなんですか?」
「まぁ、お前次第だな。最悪は……まぁ今は良いか」
「最悪は、って何ですか!最悪はって!」
一姫さんが濁した最後の一言が絶対によろしくない事だけは俺にも分かる。
「気にするな。お前が死ぬ気で努力すれば関係の無い話だ」
「いや、でも」
「くどい」
――ヒュゥ
俺が一姫さんにしつこく食い下がっていると、いい加減面倒になったのか、何やら喉元に冷たい鉄の温度を感じて息が漏れた。勿論ちょっと漏れた。
俺はやけくそになって半泣きのまま両手を上げた。
「ガチじゃぁん……やめてよ、ナイフは反則だってぇ」
「ふむ。ナイフを突きつけられている割には余裕そうだな、案外見込みがあるかもな」
「おい、郁真、こっちに来い。得物を選ぶぞ」
何が一姫さんの琴線に触れたのか分からないが、いつの間にか一姫さんは俺の喉元に突き付けていたナイフを胸元にしまい込みながらずんずんと道場の壁にある武器庫と書かれた扉に向かって歩いて行ったので本心では絶対に付いて行きたくはないが、先ほどの冷たい鉄の温度を思い出してしまい、大人しく付いていくことしかできなかった。
◇
「どうだ?好きなものを選べ」
ごつい南京錠の鍵を一姫さんはスーツのポケットから取り出した鍵で開け言った。
開け放たれた扉の中には、日本刀から、薙刀、果てには銃に至るまで古今東西のありとあらゆる武器がずらりと並べられていた。
「……銃刀法!!」
「心配するな、許可は取ってある。」
俺が明らかに銃刀法を無視した刃物や銃の数々に叫び声を上げると、一姫さんは自信満々に言った。
「……あれも?」
「あれは…………」
「だめじゃん!ですよね!?絶対ダメな奴ですよね?」
俺が明らかに海外の軍で使われているような自動小銃を指差すと、一姫さんはふいと視線を逸らした。
「細かいことは気にするな、男だろう?」
「法律は細かくなんかないですよ!」
「ほら、これなんかどうだ?よく切れるぞ」
「日本刀!」
騒ぐ俺を無視して一姫さんは一本の日本刀を俺に手渡そうとしてくるが、怖くて触れないのでぶんぶんと両手を振り仰け反る。
「む、これならどうだ?」
「マチェット!」
「……これは?」
「普通に銃!」
一姫さんは様々な武器を俺に見せてくれるがそれらすべてがもし携帯して居ようものなら警察のお世話になること間違いなしだった。
「注文が多いな、何ならいいんだ?」
おすすめの武器をことごとく拒否されたせいか心なしか不機嫌そうな一姫さんがため息をついて言った。
勿論お面をつけているので不機嫌そうか否かははっきりとは分からないが。
「……最低限警察のお世話にならないもので」
「ふむ。ちょっと待ってろ」
そう言って一姫さんは武器庫の奥の方の一角をごそごそと漁って一つの武器を持ってきてくれた。
「これなら多分大丈夫じゃないか?仮にも警備会社でアルバイトとしての肩書もあるしな」
俺は一姫さんに手渡されたものを見て呟く。
「……警棒?」
「そうだ。素材は特殊な合金で出来てて普通の警棒よりも頑丈だ、ドタマカチ割れば普通にぶっ殺せるぞ」
いや口悪っ
「これもダメか?」
「いや、これぐらいならまだ……」
記憶が正しければ〇ルソックの人も警棒を持っていた気がするし、警察に職務質問をされても警備会社でアルバイトをしていると説明すれば何とかなりそうだ。
「じゃあ、それで決まりだな。とりあえず、徒手格闘と逮捕術辺りを教えてやる」
「逮捕術?」
聞き覚えの無い単語が聞こえたのでつい聞き返してしまった。
「警察官が警察学校で習う警棒等を使った武術だな」
「……なるほど」
警棒であればそこまで物騒なことにはならないだろうと思っていたが、警察官の皆さんが身に着けている武術であれば安心だ。
何となくの方向性が固まったところで俺たちは千登世嬢が待つ方へと戻ることになった。
◇
「あら、特殊警棒にしたのね?まぁ無難と言えば無難かしら」
獲物選びに結構時間が掛かってしまったので、千登世嬢は少し待ちくたびれていた。
「刃物よりはマシだろ?」
「確かに、ボディーガードが持ってても不思議じゃないものね」
千登世嬢も俺の意見に賛成のようで頷いていた。
「それじゃあ一姫頼んだわよ、また暇なときにでも顔を出すわ」
「……え、千登世嬢も見てくんじゃないんですか?」
「嫌よ。私、そんなに暇じゃないの」
千登世嬢はそう言って立ち上がり道場から出て行ってしまった。
「……えー、行っちゃったし」
「それじゃあ、やるか。今日は10時までな」
俺は完全に一人取り残され、千登世嬢の直観的に叩きつけられる恐怖とまでは言わないが、上手く皮をかぶって隠しているかのようで表面的には普通だが、よくよく考えると千登世嬢とも遜色ない恐怖を感じる一姫さんとの訓練が始まった。
10時まであと4時間ほどあると言うことは気にしないほうが良いだろう。
俺の精神衛生上。
銃刀法に関しては完全に私のガバ知識ですのであまり気になさらないでください。