それ、シャンプーだけじゃないよな
このまま千登世嬢と伊万里が顔を突き合わせていると、とんでもないことが起こる気しかしないので、とにかく状況を整理しようと、もはや無表情が逆に怖い千登世嬢を手招きして一旦居間の外に呼ぶことにする。
千登世嬢は俺が今から廊下に出る扉の前で手招きをしている頃には気が付いているだろうが、なぜか一度ふいと俺の手招きを見て見ぬふりするので、俺はまた面倒な……と内心毒づきながらそそそと千登世嬢に近づいて肩口に顔を寄せる。
「ちょっと千登世嬢。さすがに聞きたいことが多すぎるのと、どうしてこうなったのか、教えてほしいんだけど」
流石の千登世嬢も直接内緒話の声量とはいえ話しかけられると無視することも出来ないのか、少しきゅっと額にしわを寄せた。
「大体郁真、あんたの所為よ」
「……そうだとしても、ちょっと一旦外で話したいんだけど」
「……はぁ、分かったわよ」
渋々を通り越してもはや嫌々と言った様子で億劫そうに千登世嬢は立ち上がってくれたので、取り敢えず棗さんや伊万里に断りを入れてから俺と千登世嬢は廊下に出る。
「それで?」
俺達二人が廊下に出てから千登世嬢がまずそう口にした。
千登世嬢は明らかに機嫌が悪く、さすがに慣れたとはいえ、ここまできちんと機嫌の悪い千登世嬢は滅多に見たことがないので、少し怖い。
「まず、なんで大儀さんが家来てるんだよ?千登世嬢と仲悪いんじゃあなかったのかよ?」
「……だから郁真の所為。あんたが私の家に来ているからって、妙に家に来たがったのよ」
あー……やべ。
不思議そうに首を傾げる千登世嬢を見て、思い当たる節が多すぎて口角が引きつる。
伊万里としては、千登世嬢にちょっかいを掛ける次いでに千登世嬢の家での俺の仕事ぶりでも見ようと思ったに違いない。
もしくは途轍もなく小さい可能性としてはシンプルに伊万里が俺が何時か話した通りに、千登世嬢と仲良くするつもりなのかもしれない。
これは伊万里本人に聞いてみないと分からないので、今は一旦置いておこう。
「まぁじゃあそれは良いや。なんで棗さんも居るんだ?」
「……それは、その、ほら、ね?郁真なら分かるでしょ?」
そう言われたって分からんものは分からん。百歩譲って伊万里が家に来るのはまあいいとして、わざわざ棗さんも呼ぶ理由はないだろうに。
「いや分からんって」
「……あんた本当に私の護衛半年近くやってるのかしら」
「やってるとも、それは千登世嬢が一番知ってるだろ」
俺が少し考えても分からなかったので大人しく千登世嬢に聞くと千登世嬢は、呆れたように肩を落としてぴっと俺の胸元を指さして言う。
胸元を詰るように刺される指を見下ろしながら、一応改めて棗さんを呼んだ理由を考えてみる。
「……あ、もしかして、大儀さんの友達マウントの所為か」
俺がそう言うと千登世嬢は何処か気まずそうに眼を逸らす。
おい、言われないのは腹立つくせに言われたら言われたで気まずそうにするの止めろよ……
「よし、じゃあそれもまあいいとしよう。千登世嬢あの状況どうするのさ」
「どうするも何も……郁真はどうしたいのよ?」
「はぁ?なんで俺基準になるんだよ」
千登世嬢はなぜか俺があの状況をどうしたいと聞いてくるが、なんでここで俺がどうしたいのかと千登世嬢が気にする意味が分からなかった。
「はぁ?も何もだって大儀伊万里は郁真目当てで家に来てるのよ?」
「それは分かってるけどさぁ、てかそもそもなんで千登世嬢は大儀さんが家に来るの許可してんの?」
改めて考えてみれば、そもそも犬猿のどころか完全に混ぜるな危険なのは傍から見てても分かるぐらいだから千登世嬢にだってわかっているだろう。
それに千登世嬢は基本的に棗さん以外を家に呼んだことが無いのでなんでまた?と思い口にした言葉だったが、千登世嬢は俺のその問いを聞いてどこか歯に物が挟まったように苦々しく顔を顰める。
「まぁそれは良いのよ。うん」
「わけわからんって」
「郁真は知らなくていいわ」
「んなこと言われたってさ」
俺が詳しく聞こうとしても、千登世嬢はぴしゃりとこの話題について何も言うつもりは無いとそっぽを向いて完全にシャッターを下ろしてしまったので、一先ずこの話題は非常に気になる事には気になるが、置いておくことしかできない。
「もうじゃあ、これを機に大儀さんと仲直りしてさ、友達になればいいじゃん。そこまで大儀さん悪い子じゃあないと思うけど?」
「それは無理ね。確実に、無理」
何をもってそこまで確信しているのか、千登世嬢は食い気味にそう言う。
きっぱりと言い切った千登世嬢は自身の枝毛一つ無い髪の毛をくるくると弄びながら視線だけこちらに向けている。
なんだかんだ仲良くなった伊万里が多少小悪魔が過ぎるところはあっても悪い子じゃないというのは知っているので、こうも完全に拒否されてしまうと何というか切ない。
とはいえ無理に仲良くしてくれと言ったところでいずれ破綻するのは目に見えてるので結局千登世嬢の視線を受けながら俺がため息をついてみたところで何も問題は解決していないわけで……
「とりあえず、今日だけさ上手い事大儀さんとほどほどの距離感で居てくれよ、なんだかんだ大儀さんの事俺は友達だと思ってるし、千登世嬢も友達だと思ってるからさ、ほら自分の友達が仲悪いの気まずいじゃん」
「……友達ね、はいはい。分かりますとも、適当に仲良くするわ、それでいいんでしょう?」
千登世嬢は何やら含みのあるようにコロコロと口の中で俺の言った友達という言葉を転がして、拗ねたようについと口を尖らせて、弄んでいた髪を離して、居間へと戻る。
千登世嬢の指でくるくる巻きにされていた髪の毛がぽわと一瞬広がってまた濡れたように光沢を取り戻すのをぼんやりと眺めながら、大親友のはずの棗さんがいるのにも関わらず、今日千登世嬢の機嫌が明らかに悪いのは大儀さんの所為だけではないような気がするが、何度考えたところで俺にはその他の理由は思い付くことは無かった。




