降参します
スタッフさんからそろそろ入場と声が掛けられ、いよいよ俺と伊万里はこのまま控室でのんべんだらりと話しているわけにも行かず、軽く手を振り合って別れた。
「あ、石見さん」
「飯田君。伊万里は?もう行ったか?」
「はい」
「そうか。それじゃあ袖で伊万里の晴れ舞台を見に行くか」
「そうですね、実は結構楽しみになってるんですよね」
俺は伊万里と別れて石見さんを探して辺りを見渡しながら歩いていると、直ぐに石見さんを見つけることが出来た。
石見さんは俺の隣に伊万里が居ない事にすぐ気が付いて、これまで開いていたパソコンを閉じて言った。
「それは良い。ステージに立った伊万里は凄いぞ」
俺はライブ直前の伊万里と話して、伊万里の立つステージに興味が湧き始めていたし、伊万里には興味がないといつかの喫茶店で言っていた石見さんが繰り返し、ステージに立つ伊万里の事を凄いと評するものだから、ステージで本気のアイドルをする伊万里がどれほど凄いのか気になって仕方がなかった。
ましてや、そんな伊万里をたとえどんな大金を積もうと中々見れないだろう舞台袖で見れるという幸運に、舞台袖に向かって歩みを進める石見さんの後を追いながら我ながら興奮していた。
それが、初めて見るアイドルのライブという非日常からか、はたまた伊万里自身の魅力によるものかはこの後すぐに分からされるのだった。
◇
「凄いですね……リハーサルの時と比べても段違いです」
「感心するのは早いんじゃないか?まだ伊万里がステージに立っても居ないのに」
「はは……そうですね」
リハーサルの時にも感じたが、このスタジアム中に響く音楽に体の内側から揺さぶられながら隣に立つ石見さんに話しかけると、石見さんは尤もな事を言った。
石見さんの言う通り、まだ音楽こそ流れているが伊万里はステージに立っていない、それだけ聞くとリハーサルの時の方が凄いのでは、と思うだろうが決してそんなことは無かった。
俺がリハーサルの時と段違いと言い切ったのには、リハーサルの時にはなかった客席を埋め尽くす伊万里のファンの熱量によるものだった。
別にペンライトを振るっているわけでもなく、まだ登場しない伊万里を待ち望んでいるだけの観客だが、確かに客席からは熱量が伝わってくる。
一から数えていてはキリがないほどの客席を埋め尽くす人達全員が、ただ伊万里を見るためだけに一か所に集まっているその事実に、少し伊万里があれほどの決意でアイドルをしているのも分かる気がした。
「そろそろ伊万里が出てくるぞ」
俺が一人で感心していると、隣の石見さんが普段の石見さんからは、想像もできないほど目を輝かせてポツリと呟いた。
石見さんが言った通り、後ろで流れている音楽もそろそろクライマックスを迎える雰囲気を漂わせているし、音楽に合わせて客席からもぽつぽつと声が漏れ始めていた。
察しの良い観客がちらほらと、ペンライトを振り始めると周りの観客もつられてペンライトを振り始めそれが客席の至る所で起こり始め今まで鳴っていた音楽がぴたりと止んでステージの真ん中にスポットライトが当たった瞬間、音楽なんて比にならないぐらいの大歓声と一斉に光るペンライトを受けながらステージの下から飛び出す伊万里はまるで、満月に照らされる夜の海に現れた女神のようだった。
『皆、お待たせ!』
そんな女神のような伊万里がステージを踏みしめて言葉を発した瞬間にドッと客席から大地を揺らすほどの歓声が沸き起こった。
「…………すっげえ」
俺は地震のような大歓声を一身に受けながら、MCを続ける伊万里を舞台袖から見ながら、隣に石見さんがいることも忘れて素直に感動していた。
伊万里の言っていた動画と現場では全然違うのも確かにと認めざるを得ないし、大勢の観客全員がステージに立つ伊万里に送る歓声は人が普通に生きていて体験できるものではない。
ましてやその歓声を受けてなお、普段通りどころか何時にもまして可愛らしく言葉を紡ぐのが中学生とはまるで思えなかった。
「どうだ、伊万里は凄いだろう?」
俺が、余りの出来事に言葉を発せずにいると隣に立っていた石見さんはにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべながら話しかけてきた。
流石の石見さんも少し興奮しているのか、ぐいと俺に顔を近づけている。
「……本当に想像以上です」
石見さんは俺の言葉を聞いて満足げに頷いてから、伊万里が最初のMCを終えて一曲目のイントロが掛かり始めたステージの方をジッと見つめる。
俺もそんな石見さんに釣られて、そこまで伊万里の出している曲に詳しいわけでもない俺でもどこかで流れているのを聞いたことのあるイントロを聞きながら内心、石見さんが伊万里の魔性が効かないなんて嘘っぱちだと思った。
なぜなら今もステージで歌い始めた伊万里を見る石見さんの目線は十分に「アイドル」の大儀伊万里の虜になっている人の持つ目線その物だったからだ。
けれども、それは石見さんに限った事ではなく、俺も聞き覚えのある音楽と伊万里の歌声を聞きながらきっと俺も石見さんと同じ目をしていたのだと思う。
それほどまでに、ステージに立つ伊万里の踊りや歌声は伊万里の持つ魔性なんて関係なく余りにも魅力的過ぎた。
実際に見るまではなんだかんだ言っても少し疑っていた自分がいたが、こうして目の当たりにするとアイドルの伊万里は一目見てしまえば、意志とは関係なしに応援したくなる自分が居るし、もし今舞台袖ではなく、客席のどこかに居れば俺も狂ったようにペンライトを振るったに違いない。
伊万里は歌いながら客席すべてに視線を送りながら笑顔を振りまいていて、それは舞台袖にいる俺も例外ではなく、ステージの方を見ていた俺とぴたりと目が合った瞬間まるで「どうだ!」と言わんばかりの目線を送ってきた。
俺は控室で言った言葉を後悔しながらも、さすがに認めざるを得ない事にただ目を伏せてこちらを見ている伊万里に降参の意を示すと、伊万里にもそれが伝わったのかこれまで以上に弾けるように笑った。




