ゆで卵肌です
大儀さんとの仕事が始まってから二週間ほど経ったある日、今日は大儀さんの護衛ではなく、俺はこれまでと同じように千登世嬢の家に来ていた。
「郁真……あなた何というか……最近顔がつるつるね」
最近は千登世嬢の家に来ても一姫さんとの訓練もひと段落着いて、本当にただの千登世嬢の話し相手の成り下がっている俺はいつものように千登世嬢に頼まれてコーヒーを淹れていると千登世が少し呆れたような様子でそう言った。
「大儀さんに色々エステとか連れまわされてんだよ……」
千登世嬢の言う通り、先日初めて大儀さんの護衛に着いた時と同じように毎回大儀さんの日課に付き合わされていることもあって俺の顔面は誇張なしにゆで卵肌になりつつあった。
給料も貰えて、肌の調子も良くなると思えば大儀さんの仕事は最高と思う人も居るかもしれないが、俺としては大儀さんがことあるごとに覗かせるいたずらっ子のような立ち振る舞いが当人の容姿も相まって色々と我慢せざるを得ない場面が多く気疲れの多いこと多い事。
「……へぇ、楽しそうで何より」
「俺はこうして、千登世嬢の話し相手をしてる方が楽しいんだけどなぁ……」
俺が言った呆れ半分の言葉を聞いて千登世嬢は俺のそんな内心を知ってか知らずか俺を咎めるように半目になってどこかつまらなそうに口をとがらせていた。
「ほい」
「ありがと」
こうして大儀さんの話になるたびに千登世嬢の機嫌が乱高下するのは、毎度の事なのでそこまで気にすることも無く俺は入れ終わったコーヒーを千登世嬢に手渡すと千登世嬢は直ぐに機嫌を直したようでいつもの調子で俺の手からコーヒーカップを受け取って二度ほど息を吹きかけてから口を付ける。
「……にしても、郁真も大人しく付き合うのね」
「まぁ、一応仕事だからな。それに、付き合わないと大儀さんがうるさいし」
「あの女、見るからにわがままそうだもの」
「……ソウデスネ」
「何よ?郁真も今みたいに私の話相手をしている方が良いんでしょう?」
「まぁ、そりゃそうだけどさぁ」
コーヒーを二人で同じソファーに並んで座って飲みながら、完全に自分の事を棚に上げたような言葉を白々しくはなつ千登世嬢は相変わらず大儀さんにされたことを許していないのかどうしても俺が大儀さんの護衛をしているのが気に入らないらしい。
そもそも千登世嬢の話相手をしている方が良いというのは、もう既に俺が千登世嬢の扱いを覚え始めたのもあるが、何より千登世嬢は殴り合いにでもならなければ、そこまで害のないただの可愛らしい中学生の女の子でしかないということが分かっているからで、大儀さんは状況に関係なく怖いというぐらいしか差が無いのだが。
わざわざそのことを千登世嬢に言ったところで、千登世嬢の機嫌が悪くなるのは分かり切っているし俺は大人しく口を噤むのであった。
「そういえば、今日は千果見ないけど、どこか行ってるのか?」
「あの子は一姫とお出かけ中よ。最近は一姫がお気に入りみたい。……まぁ一姫も楽しそうだし良いんじゃない?」
「あぁそう」
話題を逸らしがてらいつもなら今で何か一人で遊んでいるか、ポリキュアを見ている千果が居ないので千登世嬢に聞いてみるとそんな返事が返ってきた。
「……最近は私とも遊んでくれないし、この前携帯を買ってあげてから棗とばっかり連絡とってるみたいだし、小さい子の考えることは分からないわ」
「へぇ、携帯買ってあげたんだ」
「あんまり欲しがるものだから、ね」
最近は仕事も大儀さんと半分半分になっていることもあって、千果が携帯を買ってもらっていることは初めて知った。
棗さんと連絡を取り合っているってのは多分ポリキュア関連何だろうなぁと思いながらも千登世嬢と同じように一姫さんがお気に入りになっているのは確かに不思議だった。
一姫さんは千果に限らず俺にも一定の距離感を持って外から暖かく見守ってくれる人のイメージが強く、千果と一緒に外に出かけているのは一体なぜなのかと気になってしまう。
「まぁ、一姫さんが一緒なら大丈夫か」
「そうだけど、この前なんか二人で泊りでどこかに行ってたのよ?しかもどこに行ってたのか聞いても二人とも秘密の一点張りだし」
「それは謎だなぁ……まぁじき教えてくれるだろ」
「そうだと良いのだけれど」
千登世嬢は思いのほか早い親離れ?が寂しいのかため息交じりに肩を落としていた。
実際二人で泊りがけで出かけているのは不思議ではあるが、一姫さんが一緒なのであれば悪い事でもないだろう。
あの人は訓練となれば非常に怖いが、普通の時であれば千登世嬢や千果にはとても優しいし、いけないことはいけないときちんと諫めてくれる人なので、そこまで心配するようなことは無いだろう。
「とりあえず私はそろそろ部屋に戻って仕事するわ、コーヒー有難う」
「はいよ。なんかあったら呼んでくれ、リビングの掃除でもしてるわ」
千登世嬢はそう言って、傍らに置いてあったノートパソコンを手に取って、ソファーから立ち上がった。
千登世嬢が部屋に戻るのを見届けて、俺はテーブルに残った二つのコーヒーカップを流しに持って行って久しぶりになんの気疲れもない平穏な昼下がりにこのままこんな日が続けばいいのに、とこれまでのことを考えればそうはならない事だと分かりながらもそう思って、蛇口をひねった。
――ブー
コーヒーカップを洗っていると、マナーモードにしておいた携帯がポケットの中で震えたので、一度濡れた手を拭いて画面を見ると、先ほどまで思っていたことが完全にフラグだったと理解して俺はため息を漏らした。
「明日は、伊万里のアイドルの仕事でイベントがあるから朝からお願い出来るか?伊万里が飯田君を呼べってうるさくて、頼む」
石見さんから送られた内容を反芻して、休日が丸ごと潰れることが確定して肩を落としているうちにも蛇口からちょろちょろと流れ落ち続ける水道水が他人事の様に俺を見ている気がした。