案外見かけによらないもので
「なぁ、なんか近くないか?」
「そう?普通よ、このくらい」
俺はいつも通り学校が終わってから千登世嬢の家に来て、相も変わらず千登世嬢が何か言いださない限りは特にやることも無いので、千登世嬢の書斎から適当に面白そうな本を手に取ってぼんやりとテレビを見ている千果を横目にソファーでくつろいでいる。
ただ、いつもと少し違うところが一つあった。
大概千登世嬢はいま俺がいるリビングで仕事をするか自分の部屋で仕事をしているで今こうして本を読もうとしている俺の隣に座るのはまぁ百歩譲ってよしとしよう。
問題は明らかにいつもの距離感と比べても三割増しで、今や肩と肩が触れるんじゃあないかと思ってしまうほどの距離で千登世嬢はソファーに腰かけていた。
「……いや、絶対変だろ。なんでまたこんな公園にいるカップルみたいな距離感なんだよ」
「……気のせいでしょ」
「流石に無理があるだろ……」
俺が何と言おうとも千登世嬢は距離を離すことは無く、頑なに手のひら一枚分の隙間を保持したままで自分のノートパソコンに視線を落とした。
「……郁真があの女狐に篭絡されたら気分が悪いもの」
「されねえよ……怖いし」
「どうだか」
何なんだよ……と内心思いながらも千登世嬢はパソコンに視線を落としてしまったので俺も大人しく本を読もうと目を落とすと、千登世嬢は視線はそのままにぼそりと呟くように言った。
どうも千登世嬢は俺が大儀さんに骨抜きにされるのが気に食わないのか、少しでも今距離を詰めれば多少なりとも耐性が付くと思ったのか今こうして付かず離れずの距離を取っているらしい。
そんな千登世嬢の分かりずらい小さな嫉妬心のような物を感じながらつらつらと段落を読み進めていく間も触れこそしないが千登世嬢のその怪力がどうやったら生み出されるのか不思議なほど細い肩から伝わる体温は不思議と心地が良かった。
結局その日は訓練がひと段落着いたこともあって、日が暮れて夕飯の時間になるまで、俺も千登世嬢もトイレや新しい本を取りに行くことはあったが最後まで手のひらよりも遠く離れることは無かった。
ただ、俺は最初から思っていた、そんなことをするぐらいならあの威圧感を出してくれた方が耐性が付くなんてことは勿論口にする事は出来もしないのであった。
◇
結局大儀さんの護衛が決まってからと言う物のことあるごとに千登世嬢は俺の後ろをついて回ってくるものだから、それが一週間も経つ頃には俺は千登世嬢は実は猫かなんか何じゃあないかと思い始めていた。
そんなこともありつつも、大儀さんの護衛という名の恐怖イベントは逃れられないのは確定していて今だって布団から身を起こして携帯を確認すればどうしたって俺に今日がその日であるともはや憎らしいほどに伝えてくる。
「……あぁ、いきたくねぇ」
起き抜けにそんな弱音が漏れてしまうはしっかりと俺の本心であった。
多少場の雰囲気に流されたのもあるが、こうしてさんざん行きたくないと言っているくせに大儀さんの依頼を受けたのは偏に千登世嬢からもらっている以上の金額を大儀さんが提示したからである。
その金額は流石にそんなに貰えないと自分で言うのはなんだが守銭奴の気がある俺をもってしても一度は断るほどの金額だった。
結局大儀さんや石見さんに押し切られてしまってそのままの金額でということにはなったものの、下手に大金を貰う以上はやらねばならん。
「貰う分はがんばるかぁ」
結局そう思考を纏め、俺は用意を済ませて家を出た。
なぜだか無性に猫に成り下がった千登世嬢に会いたかった。
まぁ猫と言ってもネコ科なだけでちゃんとライオンなんだけど。
――――――――
「おはようございます」
「おはよう」
俺は家を出てから石見さんにすでに連絡を貰っていた集合場所の隠れ家的を超えてちゃんと隠れてる喫茶店に入って店の奥の方の座席に座る石見さんに挨拶をすると石見さんは確認していた手元の手帳から目を離してきちんと目を合わせて返事を返してくれた。
「あれ、大儀さんは?」
「伊万里は今テレビの撮影中だ」
てっきり大儀さんも一緒にいるものだと思っていたのだが、どうも石見さんと大儀さんは今は別行動をしているらしい。
「それって大丈夫なんですか?ほら一応俺って護衛的な感じなんですよね?」
「……飯田君は伊万里に護衛が必要だと思うか?」
別行動と聞いて少し気になって聞いたものも石見さんからは尤もな返事が返ってきた。
千登世嬢と同じようなナニカを持っているとはいえ、千登世嬢のアレとは似て非なる物だし、場合によっては格が違うと言い切れるほど悪辣な大儀さんの魔性をもってすれば護衛が必要でないと言われても少しも不思議ではなかった。
「それなら、俺は結局なんで雇われたんですか?」
「さぁ?俺も良く分かってないが、雀宮の話をどこかから聞いて飯田君に興味が湧いたとかじゃないか」
「えぇ……」
石見さんは軽く肩を竦めて言った。
俺はその言葉を聞いて特殊能力を持っている奴らは全員変な奴しかいないのかと会ったことも無い神様に文句の一つでも言いたい気分だった。
「だから俺たちは伊万里の撮影が終わるまで待機だ」
「待機ですか……因みに何時まで?」
俺がそう聞くと石見さんは手帳を確認した後自身の右腕に巻かれる時計に目を向けて口を開いた。
「撮影が予定通りに終われば、あと三時間ってところだな」
「それはまた楽しそうですね」
「ああ、存分に楽しむと良い。ここの珈琲は美味いからな」
石見さんはそう言って俺が来るまでに頼んでいたのかテーブルに置かれたコーヒーカップを持ち上げて言った。
石見さんは最初の印象の厳めしさとは裏腹に案外茶目っ気の有る人のようで、俺が思っても居ない言葉を言ってもそれに付き合って嫌な顔を隠そうともせずにコーヒーに口を付ける石見さんはなんだか洋画なんかに出てくる渋いキャラのようで好感が持てた。
「そろそろ行くか」
「あ、もうそんな経ちました?」
「あぁ、俺らもスタジオに行くぞ」
俺は石見さんに言われた通り、店員さんにコーヒーを頼んでから最近やっと使い方を千登世嬢に教えてもらって使えるようになった電子書籍を読んだり、石見さんになんてことの無い質問を投げかけて見たりしているうちに想像以上に時間が過ぎていたようで石見さんのバリトンボイスで三時間近く過ぎていたことを初めて知った。
三時間の待機時間で石見さんに質問して知ったことは多く、どうも大儀さんの魔性は案外条件付きで発せられるものらしく、石見さんの様に単純に大儀さんに興味のない人間だったり、同性にはあまり意味がない事。
石見さんは元々大儀さんの所属する芸能事務所にコネで入って、仕事に対する熱意なんてものは一ミリも無く、偶々大儀さんの魔性が一切効果が無い事からマネジャーに抜擢されてからと言う物仕事が忙しすぎて困っている等。
知れば知るほど石見さんが意外とダメな人で、付き合いやすい人なのが分かって俺は嫌なことばかりだと思っていたこの仕事が少し楽しくなってきていた。
「どうした?早く行くぞ」
「あ、はい」
そんなことを考えている内に石見さんは俺と同じように呼んでいた本を仕事用の鞄にしまって立ち上がって俺を見下ろして言った。
呼んでいた本は序盤でこれからの内容が気にならなくも無かったが、さっさと携帯の電源を落として立ち上がって石見さんと一緒に店を出た。




