ケイ……タイ……?
――ピンポーン
「あ、鬼頭さんかな」
千登世嬢との顔合わせを済ませた次の日、俺がいつものように勉強をしていると呼び鈴が鳴って来客を知らせた。
俺は千登世嬢と鬼頭さんが話していた携帯を俺に持ってきてくれたのだと思い、人生で初めて持つ携帯と言うモノに心なしかウキウキしながら部屋の扉を開けた。
「おう、携帯買ってきてやったぞ」
やはり来客は鬼頭さんであり、オレンジ色と白色の紙袋を俺に見せつけるように持ち上げて言った。
「やっぱり鬼頭さんでしたか。わざわざありがとうございます。その紙袋に入っているのが携帯ですか?」
俺がその紙袋を指さしながら言うと鬼頭さんは同意するように頷いていた。
「スマホの設定の仕方って郁真分かるか?」
「全く」
勿論俺の返答は鬼頭さんも織り込み済みだったのか「だよな」と小さく呟いた。
「とりあえず入っていいか?設定してやるから」
「あぁ、良いですよ。お茶出せませんけど」
「……さすがにお前の金銭事情を知っててなんで茶出せないんだなんて言えねぇよ」
「ならいいですけど」
鬼頭さんはその体格に似合わない我が家の狭い玄関で靴を脱いで部屋の中に入る。
俺はとりあえずコップに水道水を注ぎちゃぶ台の上に置いて、鬼頭さんが紙袋から何やらお洒落な箱を取り出す様子を眺める。
「それが携帯ですか?なんか箱がお洒落ですね」
「今時の携帯はこんなもんだ」
「へーそんなもんですか」
「ほら、そこの横のボタンで電源付けれるからつけて見ろ」
俺が大人しく待っていると、鬼頭さんが携帯の箱を開封し終わり、俺に渡してくれた。
「はぁ……このボタンですか?」
「そうだ」
鬼頭さんに言われた通りに、薄い板状の携帯の横についているボタンを押し込むと今まで真っ暗だった画面が白い画面に切り替わった。
その白い画面には携帯の会社のロゴと思しきバナナのマークが浮かび上がり、今まで携帯と言うモノに触れてこなかった俺は少しばかり感動してしまった。
「お~……これでどうすれば良いんですか?」
「とりあえずその画面を横にスライドしたら設定始めるから言われた通りに進めてくれ」
バナナのロゴを見つめるのは良いが、これから先どうすれば良いのか分からない俺は大人しく鬼頭さんにどうすれば良いのか聞いてみると、鬼頭さんもそこまで携帯には詳しくないのか、紙袋に一緒に入っていた初期設定の資料を難しい顔で眺めながら俺に返事をしてくれた。
「おお!ようこそって凄いですね」
「おう。そのままスライドしていったら、設定できるぞ」
鬼頭さんの言う通りに携帯の画面をスライドしていくと次々に言語の設定等の画面に移り変わっていった。
「あの、このメールアドレスってどんなのにすればいいですか?」
「完全に好みでいいぞ」
好みって言われてもそんな急に思い浮かぶわけもない。
「好みって言われても……」
「名前とかでいいんじゃないか?今時メールアドレス何て滅多に使わないぞ」
「そうなんですか?」
「あぁ」
鬼頭さんに言われた通りに俺はメールアドレスをiidaikumaとして登録してみた。
それ以降は画面に表示される通りに設定を進めていくと、様々なアイコンが表示された。
「……なんかアイコンいっぱい出てきたんですけど……」
「それで設定は大体終わりだ。後は千登世嬢との連絡用にLINEを入れとけ」
「LINE?」
俺は聞き覚えの無い単語を言う鬼頭さんにその言葉の意味を確認するように同じ単語を返す。
「まぁ、電話とメールが一つのアプリで出来ると思っておけばいいぞ」
「なるほど。……それでどうやってそのLINEとやらをダウンロードするんですか?」
俺の未だに要領の得ない返答を聞いて鬼頭さんは俺から携帯を奪い取り、俺よりもはるかに慣れた手つきでLINEを俺の携帯にダウンロードしてくれた。
「これでアカウント作れ」
そう言って鬼頭さんが返してくれた携帯の画面は後は登録するだけと言った状態だった。
携帯の初期設定でそれなりに携帯の操作に慣れていた俺はたどたどしくも何とか一人の力でLINEの初期設定をやり遂げた。
「おお~」
今時の高校生にとっては大したこともない出来事かもしれないが、今まで携帯に触れてこなかった俺にとっては一人で設定をやり遂げた達成感からそう感嘆の呟きが漏れてしまった。
「よし、後は千登世嬢の連絡先はこのIDをそのLINEで打ち込めば追加できるから後は郁真が何とかしろ。俺、これから仕事があるんだよ。それじゃあな」
俺が無事LINEをダウンロードしたことを見届けた鬼頭さんはそそくさとちゃぶ台の上に置いた水を飲みほしてそう言った。
◇
鬼頭さんは俺からの返事を聞く前に直ぐに家を出て行ってしまったので、俺は何処でIDを打ち込むのか悪戦苦闘しながらもなんとか千登世嬢の連絡先を俺の携帯に登録することに成功した。
飯田郁真『こんにちは、いくまです』
俺がそんな簡単な一文打ち込むのに数分かかったことはきっと千登世嬢は気付きもしないだろう。俺が挨拶を送ってから数秒も経たないうちに千登世嬢からの返信が来た。
鷺森千登世『あら、郁真。携帯を手に入れるの早かったわね』
また数分を掛けて千登世嬢に返信をする。
飯田郁真『なんとかさっきせっていがおわりました』
鷺森千登世『貴方打ち込み遅くない?まぁ初めて携帯ならしょうがないのかしら?』
飯田郁真『すいません。なれないもので』
鷺森千登世『変換の仕方ってわかる?』
飯田郁真『わからないです』
鷺森千登世『まあいいわ。また今度仕事の時に教えてあげるわ』
俺が数分を掛けて何とか返信するたびに息をつく間もなく帰ってくる千登世嬢の返信と格闘していると千登世嬢があまりに遅い俺の返信速度に耐えかねたのか携帯がブルブルと震え、千登世嬢からの電話を知らせてきたので、俺は怒られるのではないかと少しびくびくとしながら電話を耳に当てた。
「……もしもし。郁真です」
「慣れないのはしょうがないけれど、あまりにも返信が遅くて電話した方が早いと思ったのよ。郁真、今時間は大丈夫かしら?」
千登世嬢が何やらごそごそと電話の向こうで作業をしている音が聞こえてくる。
「まぁ、大丈夫ですが。」
「そう。ならいいわ。仕事の事だけど、明日学校が終わったら家に来て頂戴。」
勿論特に予定もないので、千登世嬢の家に行くのは問題はないが、そもそも俺は千登世嬢の家を知らないし、何のために千登世嬢の家に行かなければいけないのかが分からない。
「……予定はないので良いんですが、なんで鷺森さんの家に?」
「それは、明日のお楽しみよ。それと明日あなたの学校に迎えを送りますので心配はしなくていいわ」
心配も何も、逃げ道を一つずつ潰されているようで少し怖くなってくる。
「はぁ。分かりました……」
「それと、一応仕事の範疇と言うことにするので、給料を出しますので」
「それは有難いですけど……」
「……あら?なにかご不満?」
千登世嬢にそう詰められては俺に何か言うことなんて出来るはずもない。
「イエ。ナニモアリマセン」
「そうよね。聞き分けが良くて助かるわ」
別に電話の向こうの千登世嬢がどんな顔をしているかなんて分かりはしなかったが、この時ばかりは満面の笑みを浮かべているんだろうなぁと思ってしまった。