多分流れるやつ
大変お待たせいたしました。
「おはようございます」
「おはようございます、お仕事復帰してどうですか?」
結局ショッピングモールでは普通のトランクスタイプの水着を購入した次の日、千登世嬢が連絡していたこともあって時間通りに千登世嬢の家の前にタクシーを止めて降りてきた棗さんは千登世嬢と軽く挨拶を交わしてから俺の方へと話しかけてきた。
「あの件もあって一時期は色々なテレビに出させてもらいましたが、今はもっぱら本業関係だけですよ」
「やっぱりですか……葛西の方にも俺に取材の依頼とか来てたみたいなんですよね、断りましたけど」
棗さんは否定するが、若手声優の中でも、それなりに人気もある棗さんのストーカーが起こしたあの事件はそれなりにセンセーショナルな事件でニュース等で連日報道されていたと千曲さんが教えてくれたので知ってはいたがやはり大変だったようで棗さんはその時のことを思い出して少し苦労を滲ませる表情をしていた。
「っていうか、今日はお仕事平気なんですか?」
「……まぁ、最近は本業関係だけってのもありますけど、千登世が寂しがってるから」
「ならいいですけど、てっきり千登世嬢が無理言ったんじゃないかと」
「あはは、さすがに千登世もそこらへんは分かってくれてますよ」
流石の千登世嬢も仕事が忙しい棗さんを無理言って呼び出したわけではない事が分かって安心した。
そもそも、ここ最近棗さんに会えてなくてイライラしていたのは棗さんに会いたくても会えないと言うジレンマからだろうしそこまで心配するような事でもなかった。
「郁真~!棗!そろそろ行くってよ~」
俺と棗さんが世間話をしていると、なんだかんだプールを楽しみにしている千果が一姫さんの運転するセダンの窓から顔だけ出して呼んできたので、俺と棗さんは顔を見合わせて車に乗りこんんだ。
◇
「おぉ~結構広い!」
「そうだなぁ」
特に何も起こらない安心安全な一姫さんの運転で俺たちは近くのプールにたどり着き、受付を済ませ時間のかかりようも無い俺と千果だけが一足先にプールサイドで二人して初のプールを眺めながら陳腐な感想を漏らしていた。
「一姫も来ればよかったのにね?」
「ま、あの人がプールで遊んでるのとか想像できないけどな」
千果が言ったように、一姫さんは車で待機するらしく、今このプールに来ているのは未だに着替えている千登世嬢と棗さんと今目の前でぴょんぴょんと飛び跳ねて全身で喜びを露わにしている千果と俺だけだ。
「ねぇ、郁真。あれは何?」
「知らん。俺も初めて来たんだぞ、見る限り流れるプールじゃないか?」
「へぇ~なんでプールが流れるの?」
「知らん」
千果と手を繋いで二人を待っている間にも千果は物珍しい物を見るようにこのプールを一周している細長いプールを指さしながら聞いてくる。
俺だってそれが本当に流れるプールなのかは分からないが恐らくそのプールの中に入っている人がゆっくりと流れて行くのを見る限り流れるプールなんだろう。
「ちとねぇと棗遅いね」
「そうだなー」
俺達は入り口から一番近い所にある子供用の浅いプールに足だけ浸けて二人を待っている間にも、一体どういう関係なんだ?みたいな視線を受けていて、そんなことは一切気にしていない様子で足をばたつかせている千果の能天気さが羨ましい。
「待たせちゃったかしら?」
「……あ、ちょっと千登世早いよ」
千果と二人でのほほんとしていると、後ろから聞き覚えのある声が二つ聞こえてきた。
「……おぉ」
「何よ?」
千登世嬢に一つ軽く文句でも言ってやろうかと、思って振り向いたが、思ったより千登世嬢と棗さんの水着姿は攻撃力が高く俺は間抜けな声を漏らしてしまった。
千登世嬢は俺の間抜けな声を聴いて不思議そうに首を傾げて俺を見つめてくるが、正直目を合わせられなかった。
泳ぐのに邪魔だろうからだろうか珍しく長い髪の毛を三つ編みにしてまとめているのもそうだが、昨日俺が適当に選んだあの服みたいな水着はそれなりに慎ましい千登世嬢の体を覆っているし、棗さんに至っては丈の長いオーバーサイズのパーカーを羽織っており水着の中でもマシな露出度のはずだが、二人していつもとは違う雰囲気のような物を纏っていて俺の男子高校生の部分が疼くのはしょうがない事だと思う。
というか、二人に見惚れているのは俺だけではなく、同じくこのプールに遊びに来ている男性諸君は入り口から入ってきた二人の美少女に目を奪われているようだった。
「何よ、郁真あんた大丈夫?ほら千果一緒に流れるにプール行きましょ」
「うん!やっぱり流れるプールなんだ」
ぼんやりと二人から目を離せない俺を放っておくことにしたのか千登世嬢は隣の千果と手を繋いでそそくさ先ほど千果が指さしたプールの方へと行ってしまった。
千登世嬢の後ろで一生懸命自分の足を羽織っているパーカーで隠そうと引っ張っていた棗さんも俺にペコペコと会釈だけしてくれたものの、二人を追いかけて行った。
「えぇ……こんなに水着ってだけで変わるかね」
俺は正気に戻るのに多少の時間が掛かったものの、子供用プールで遊んでいる子たちが立てる水しぶきが顔にあたって初めてそんな一言だけが口から漏れた。




