ウサギと再考
地獄みたいな状況で三人が踊っているのを見た次の日、俺はいい加減普通に動けるようになってきたこともあり、棗さんの件や入院していたことで中々来れていなかった母さんの入院している病院に見舞いに来ていた。
「よ」
「あ、いっくん~」
俺が病室の扉を開けて、雑に挨拶をすると何やら手元の本に目を落としている母さんも俺に気が付いたのか、読んでいた本を閉じて顔を上げて返してくれた。
そろそろ母さんの退院まで一か月ほどとなった事もあってか、母さんの表情はかなり元気そうで安心した。
「調子どう?」
「ん~結構元気だよ~お医者さんも今のところは順調だって~あ、ウサギさんにしてね?」
「おう。好きだよねウサギ」
「お母さん、ウサギ年だもん~」
ウサギ年だろうが、果物のウサギ剝きが好きな理由にはならないような気がしなくもないが別に今回持ってきたのは林檎だし、ウサギ剝きにしても特におかしくないだろう。
ふらふらと頭を左右に揺らして俺が林檎を剥くのを、母さんは嬉しそうに眺めてくる。
「ほい、剝けたよ」
「いえ~い!ありがとう」
俺がそれなりに上手にウサギ型に林檎を剥けたことに満足して、紙皿にそのウサギを乗せ、母さんに手渡すと直ぐに一切れつまんで口に放っていた。
母さんはもぐもぐと咀嚼していた林檎を飲み込むのと同時に、心配そうな表情を浮かべて口を開いた。
「んむ……お仕事はどう?ケガしたのは、聞いたけど~?」
「まぁ、何とか。ほら、この通り怪我も治ったし、後遺症も無いから大丈夫」
「本当?看護師さんが、なんかいっくんがインターネットで有名になってる~って教えてくれたけど……」
「あぁ、そうだねー、なんかその現場携帯のカメラで撮られてたから。でも、本当に怪我は大丈夫」
「心配だよ~……本当は、お母さんがいっくんの代わりに頑張らないといけないのに……ごめんね」
母さんは俺が無事だと分かってもらうために、完全に繋がっているとはいえ、まだそれなりにグロテスクな傷の残る左腕を見せて言うと、その傷を見て目を伏せてどこか申し訳なさそうに言った。
「いやいや、それで母さんが頑張りすぎて倒れたんでしょ?そのおかげで大きな病気も見つけれたから、何とも言えないけど……とにかく、母さんにこれ以上苦労掛けれないし、このまま退院出来ても俺は仕事続けるから」
少しでも痛みを取ろうとしてくれているのか、母さんに左腕をさすられてなんだか恥ずかしくて少し早口でそう言い切ったが、未だに母さんは不安そうな顔をしていた。
「……でも~、危ないんでしょ?ケガもしてるし~」
「まぁ、普通のアルバイトに比べたら危ないのは確かだけど、この前話した、ただ物じゃない人に色々教えてもらってるからさ、あんまり心配しなくていいよ」
俺がそう言い切ったことで母さんも少しは安心したのか、まだ不安そうな表情こそ浮かべているがこれ以上は特に何も言わず、もう一つ林檎を口に放り込んだ。
何かと心配ばかり掛けてしまっていることに、反省するとともに、こうして俺の事を常に案じてくれる母さんが居てくれていることは嬉しい。
その後は、いつも見舞いに来るときと同じように雑談や近況報告をしながら時間が過ぎて行った。
◇
「ただいま~」
今日は千登世嬢が何か用事があるらしく、護衛の仕事も休みなので母さんの病院からそのまま自宅に帰ってきた俺は、玄関の扉を開け誰も居ないとは知りつつも何となくでそう口にしながら、家の中に入った。
何だか、久しぶりに一人の時間が出来た気がする。
ここ最近リハビリがてら毎日起きたらすぐに千登世嬢の家に顔を出していたし、千登世嬢の家には大体棗さんも居るし、勿論千果に遊べとせがまれたり、棗さんや千登世嬢と話している内に家に帰ってくるのは遅い時間になっていて、正直寝るためだけに帰ってきている感が否めなかった。
とはいえ、なんだかんだ小さい時から過ごしてきた我が家は居心地が良い事には変わらない。六畳分の畳の上に大の字で寝転がる。
少し前まではまさか俺がボディーガードになるなんて思っても居なかったし、二人のちょっとおかしな美少女と知り合うなんて誰が予想できるだろうか。
筋肉だって付いたし、それなりに動けるようになった。これらはある意味あの時声を掛けてくれた鬼頭さんのおかげでもある。
もしあの時返済額が一万円足りていたら、千登世嬢に気に入られてなかったら……なんて「もし」ばかり考えてしまうが、過去何て変わらないし結局はこれからも頑張るしかないんだけど……
そんな有り体も無い事を考えながら、俺はこの部屋に一つだけある窓のすりガラスを貫いて降り注ぐ暖かい日差しを全身で受けながら目を閉じた。
次からはあらすじにも書いてあるのにも関わらず、まだ登場していない最後の一人に関係する話が始まります。
本格的に最後の一人の話が始まるまでは、今までよりも郁真君の学校生活や、千登世嬢、棗さん等々に関係した日常の話が多くなると思います。
ここまでこの小説を読んでくれた皆様に再度感謝を。
2022/03/14 白熊獣




