思ってたよりも怖い
「そうと決まれば千登世嬢と顔合わせするか!」
わしわしと俺の頭を雑に撫でていた鬼頭さんは不意にそう言った。
「え?いるんですか千登世さん」
「おう!いるぞ。今はVIP室で優雅にお茶でも飲んでるだろうさ。どうせ郁真はこの仕事を受けてくれるだろうと思ってたし呼んでおいたんだ」
鬼頭さんはあっけらかんとした様子で言うが、俺としては何の準備も出来ていないのでこれから急に顔合わせをすると言われても直ぐに納得できるわけもなかった。
「急に顔合わせと言われても……」
「なんだよ?こういうのは速いほうが良いだろ?千登世嬢がお前の事を気に入ったら今日の分も給料入るぞ?」
「します。顔合わせ。」
顔合わせをするだけで一万五千が手に入るとなれば話は違う。俺は鬼頭さんに即答で返す。
「お、おう。即答かよ……ホントに金に困ってるんだな」
「はい。今日の朝ご飯は水かけご飯でした。」
いやぁあれは意外と人間限界になれば行けるもんだね。
「……お前本当に生きて行けるのか?」
「このままだと二日後には新聞か段ボールがご飯になります。」
「よし、早く千登世嬢を呼ぼう。そうしよう」
鬼頭さんは俺の食糧事情を聴いて直ぐに会議室にある内線を使ってVIP室に連絡してくれた。
意外と新聞もちゃんと噛めば食べれると思うんだよな……
◇
――失礼します
俺の事を心配して鬼頭さんが持ってきてくれたお弁当を半泣きで食べていると、扉の向こうから鈴の鳴るような声と言えばいいのだろうか、とにかく可愛らしい声が聞こえてきた。
俺の金ヅ……おっと雇い主である鷺森千登世嬢が到着したようだ。
扉の向こうから声が掛かって鬼頭さんが軽く返事をすると、俺が空けたときには俺ほど重かった扉が何の苦も無く開け放たれた。
「どうも、貴方が私の新しい護衛になる方ですね?」
ピンと伸びた背筋のせいだろうか、俺よりも小さいはずの千登世嬢が大きく見えて、つい無言で会釈をしてしまう。
「……よろしくお願いします。新しい護衛になる、飯田郁真と申します。」
オーラというのだろうか、何か良く分からない圧力のようなモノを中学生であるはずの千登世嬢から感じて否応にも育ちの違いを感じた俺は自然と丁寧な口調で言葉が出てきた。
「あら、ご丁寧にどうも。もうすでにご存知でしょうか鷺森千登世です。」
千登世嬢がお辞儀すると、その長い絹のような髪が水が上から下に落ちるようにそれが当然と言うようにはらはらと流れた。
夜空に星が瞬いたかのような煌めく髪からふわりと香る香りが俺の意識を奪い去る……なんてことは無かった。
正直怖い。何が怖いって俺よりも細いはずの千登世嬢の腕ががんがんと俺の脳内に警鐘を鳴らしていた。
小動物としての勘だろうか、こんなことは初めてだったが、ただの細腕が猛獣の腕のように見えてしまって背中に冷や汗が流れ、気持ちが悪い。
千登世嬢の容姿の良さがなおさらに、綺麗なもので餌をとらえようとしている様に見えてしまったのだ。
「あのぉ、俺護衛と言っても、護身術とか武術とかは修めていないのですが宜しいのですか?」
「はい。結構ですよ?そのあたりは承知の上です。私があなたに求めるのはいざという時の壁としての役割だけですから」
来ましたナチュラルに肉壁宣言。
まあ何となくは分かっていたけどね、うん。
「それに、私。刀ぐらいであれば素手で叩き折れますし。怖いのは銃ぐらいですね、まだ試したことは無いので何とも言えませんが」
「はぁ」
実際に刀なんて怖くないと言い張る千登世嬢に俺は失礼だとは分かりながらも少し胡乱げな視線を向けてしまう。
「あら、疑っているのですか?試してみますか?一応護身術を嗜んでおりますので、万一にも私に傷はつけられないと思いますよ?鬼頭さん?日本刀の一つや二つあるでしょう?持ってきてくださる?」
「いやいや、千登世嬢にそんな事させられませんよ……鷺森顧問によろしく頼むと言われてるんですから」
「鬼頭さんも、おじい様の味方ですものね……本当に詰まらないわ」
「そう言わず、矛を収めてください。ほら、郁真と話して見たらどうです?こいつ苦労してるんですよ」
急に日本刀で試そうとしてくる千登世嬢も怖いが、日本刀があることを否定しなかった鬼頭さんも怖い。
猛獣二人に囲まれた俺はただ嵐が過ぎるのを身を縮こませて待つしかできなかった。
「まぁいいです。郁真と言ったかしら?なにか面白い話でもして頂戴」
千登世嬢は鬼頭さんに諫められて見た目だけで言えば可愛らしく「ふん!」と鼻でため息をついて俺の二つ隣のパイプ椅子に腰かけて話を聞く気などさらさらないような様子でこちらを見据えていた。
「え~っと面白い話ですか……鷺森さんは段ボールって食べたことあります?」
俺が少しでもこの雰囲気を和ませようと、先ほど鬼頭さんと話していた内容を思い出しながら千登世嬢に話しかけてみる。
「はい?段ボールは食べ物じゃないですよ?」
その通りだ。
「段ボールを食べるとしたらどんな調理法が良いと思いますか?俺は濃いめの味付けで、でろでろになるまで煮付けにしたら食べられると思うんですよね」
「そもそもなんで段ボールを食べる前提で話が進んでいるんですか」
俺もそう思う。
「薄めの味付けなら、刺身とかどうですか?醤油とわさびを付けたら意外と美味しくなりそうですよね」
「だからなんで貴方は段ボールを食べる方法を考えているんですか!段ボールは食べ物じゃありませんよ……」
「ですよね。俺もそう思ってました。ついこの前まで……」
「……どういうことですか?」
俺が急に重苦しい様子で語り口を替えたからか、千登世嬢も少しは俺の話に興味を持ってくれたのか少し身を乗り出して早く続きを話しなさいとでも言いたいようにじっと見つめてくる。
「口座に830円しかなかったんですよ。ちなみに今は0円です。……鷺森さんって銀行の窓口で830円だけ下ろす切なさ分かります?銀行の窓口のお姉さんに、「830円下ろしたいんですけど」って言ったらなんて言われたと思います?」
「なんと言われたんですか?」
もうすでに千登世嬢は俺の貧乏話が気になってしょうがないようで最初の頃のつんけんした雰囲気が嘘のように少しずつおれの近くに寄ってきていて今となっては隣のパイプ椅子にまで差し掛かっていた。
「「あぁ端数って気になりますよねぇ、何となく分かります」って言って俺の通帳を見て端数じゃなくて全財産だったことに気が付いて言ったんです。」
「ごくり……」
千登世嬢が唾を飲み込む音が距離が近づいたせいか聞き取れた。俺はこの話の本題である一言を溜めに溜めて言い放つ。
「「あっ……」って。いやぁあれは気まずかったなぁ、あはは。窓口のお姉さんは一切俺と視線を合わせてくれないし、順番待ちしてたおばあちゃんが飴玉くれましたよ、二つも。帰ってきた通帳の数字がゼロになったときは笑いましたね、ハハハ……ハハ……はぁ」
「いや全然笑えないんですが!?貴方もしかして本気で私に段ボールの調理法を聞いていたんですか!?」
「いや、最初から本気ですよ俺は」
「あぁもうっ!ほら!貴方これ上げるから手を貸して!」
千登世嬢は俺の面白くもなんともない小話を聞いて何やら可愛らしい巾着袋から小袋を取り出して俺の手の中に握りこませた。
「……金平糖?」
「私の好物です。これ食べて元気出しなさい。それに貴方はこれから私の護衛になるのでしょう?空腹で倒れられても困ります。鬼頭さん?」
「はい」
千登世嬢は今まで俺たちのやり取りを黙って見ていた鬼頭さんに話しかけた。鬼頭さんは千登世嬢の傍に寄り千登世嬢と視線を合わせるために腰を落とした。
「とりあえず今日の分は郁真に渡して置いてくださる?一万五千じゃ半端だから二万でいいわ」
千登世嬢はそう言って先ほど金平糖を取り出した巾着袋からパンパンのがま口財布を取り出しその中から綺麗に四つ折りにされた一万円札を二枚鬼頭さんに握りこませた。
「良いんですか?」
「良いのよ。郁真が私の護衛になるのでしょう?対価を払うのは当然だわ」
俺は二人の会話を盗み聞きながら顔がにやけるのが分かった。今日は貧乏話をしただけで二万だ。普通の仕事では二万を稼ぐのは大変なのは分かるが、こうしてこの仕事にありつけたのも何かの縁だ絶対に逃しはしない。
「そういえば郁真?貴方携帯ぐらいは持ってるでしょう?」
実際は携帯ぐらいは流石に分かるが少しふざけて見たくなってしまった。二万と聞いてテンションが上がっていたのかもしれない。
「……ケイタイ?」
「はぁ……鬼頭さん鷺森付けで郁真に携帯を買ってあげて」
「ケイタイってあの小人が画面の中で動く奴ですよね?アレ持つ意味ありますか?」
「郁真?あんまりふざけていると、怒ります」
千登世嬢は流石に揶揄われているのが分かったのか机の天板をその白魚のような指をトントンと叩きつけた。
――あれ、なんで指でトントンしてるだけなのに、天板にひびが入っているんだ?
「ハイ!すいません!携帯ぐらいは分かります!持ってないです!」
「よろしい。私はこれから友人と予定がありますので、鬼頭さん後は頼みます。連絡先は郁真の携帯の準備が出来たら教えて置いてください。また仕事の日には私の方から連絡します」
「分かりました。」
千登世嬢は鬼頭さんにそう言い残して颯爽と会議室を出て行った。
「よかったな、千登世嬢だいぶお前の事気に入ってたぞ」
俺がぼんやりと千登世嬢が出て行った扉を眺めて居ると隣にドカッと音を立てて腰を掛けた鬼頭さんがそう言った。
俺は先ほど千登世嬢がくれた金平糖の高そうな和紙に包まれた封を開けて一つ口に放り込んだ。
――この和紙どっかで売れないかな
「ん……おいひ。どういうことですか?」
「その金平糖だよ、千登世嬢がその金平糖を渡すのは気に入った奴だけだってこの世界じゃ有名だぜ」
「へぇ~。これってそんな大層な物なんですねぇ」
俺は鬼頭さんにそう言われてもなんだか実感が得られずにもう一つ取り出した金平糖を人差し指と親指でつまんで転がす。
「因みにその金平糖一袋五千円ぐらいするぞ」
鬼頭さんが言った言葉を聞いて俺はつまんでいた金平糖を落としそうになってしまった。
「は!?五千円!?金平糖が?」
「おう。なんでも皇室御用達だとかなんとか」
「ひぇぇ金持ちの金の使い方は派手だなぁ」
「俺もそう思うぜ」
俺と鬼頭さんは金平糖と呼ぶのも恐れ多い、金平糖様を眺めながら二人でため息をついてしまった。
「……これって一個食べてあっても中古で売れたりしませんかね?三千円ぐらいで」
「それはやめとけ。マジで。俺は小さいころから見てきた郁真がそこまで堕ちるのを見たくねえ。それにほら、今日の給料だ。千登世嬢に感謝しろよ?」
鬼頭さんはそう言ってさっきも横目で見た綺麗に四つ折りにされた一万札二枚を渡してくれた。
「……はい。有難うございます。大事に使わさせてもらいます。」
俺は鬼頭さんから二万円を受け取り、鬼頭さんに深く深くお辞儀をした。鬼頭さんがこの仕事を紹介してくれなければここまで順調にお金を稼ぐことも出来なかっただろうし、感謝してもしきれないのだ。
「おいおい、俺に感謝したってしょうがないだろ」
「それでも、です。俺は鬼頭さんに感謝してますから」
「なんだよ、おい、照れるぜ。まぁ頑張れよ、今度お前の家に携帯持ってくから、そしたら俺を介さず千登世嬢とやり取りして仕事の日数とかは決めるんだぞ?そしたら俺とお前はただの借金の取り立てと債務者の息子って間柄に戻るんだ。俺への恩なんて返そうと思うなよ?俺ぁヤクザだからな」
「はい。今日はお世話になりました。」
「おう。じゃあな」
俺はそう鬼頭さんに言い残し千登世嬢と同じように会議室を後にした。