第七話 王弟の婚約者 中編
お天道様は明るいが、フェルリアーナの心は罪悪感でいっぱいである。
「……おじけづいてはダメよ。せっかく王城まできたのだからエルベロン様のお役に立たなければ」
フェルリアーナは震える手を押さえるように両手を組み合わせる。
彼女が立っているのは王城の外廊下で、大きな窓からは青い空と『薔薇の園』と呼ばれる庭園が見える、王族や連なるものしか入ることができない特別な場所だが、フェルリアーナは一度も連れて行ってもらったことがない。
「愛人だったパルネッタ嬢ですら連れてきてもらっていたのに……。エルベロン様はいつかわたくしも連れてきてくださるかしら……」
自嘲気味に笑うフェルリアーナに、空気を読まない能天気な声が投げられた。
「あら? エルベロン殿下の婚約者……フェルリアーナ・グレンデゲル侯爵令嬢でなくて?」
豪華なドレスを纏い、勝ち気そうな目を向けてくるのはフェルリアーナのターゲット、エレオノーラである。
フェルリアーナは柔らかい笑みを作ってお辞儀をした。
「覚えていて下さって光栄ですわ。バゼスティルマ様、こうしてお会いできたのですから、よろしければ一緒にお茶をいかがでしょうか?」
フェルリアーナの心は笑顔とは裏腹にひどく憂鬱である。
『まだ幼い彼女はきっと甘いお菓子に心を許して色々な情報を話してくれるでしょう……』
心を痛むが、フェルリアーナは覚悟を決めた。
対してエレオノーラはほくそ笑む。
『飛んで火にいる夏の虫とはこのことですわ。誘拐は失敗しましたけどあることないこと吹き込んで離間策を講じてやりますわ』
まさしく根っからの悪役令嬢である。
『そういえばこの方、エルベロン殿下に愛されていないと思い込んでいるのでしたっけ。エルベロンが彼女を心底愛していることとか、リディアン派に狙われないようにわざと突き放していることとかもご存じないのねえ』
エレオノーラの諜報能力……というより公爵家の密偵の能力は素晴らしかった。
『エルベロンの弱点のこの女! 仕留めれば王太子の座は確実にリディアン様のモノですわ。何か弱みでも握ってやりましょう。オーホホホホ』
フェルリアーナと違い罪悪感なんてないエレオノーラはにんまりと笑い、
「もちろんよろしいわ。天気が良いので『薔薇の園』でいただきませんこと?」
フェルリアーナが一度も入ったことがないのもお見通しである。彼女のコンプレックスをグサグサ突き刺すつもりである。
が、物事はうまく進まない。
「あれ? エレオノーラ? 屋敷に戻ったと思っていたのに」
リディアンが割り込んできたのである。
愛しい人の声はいつ聞いても嬉しいものだ。
エレオノーラは乙女らしくドキドキして顔を赤らめた。
「まあ、殿下。廊下でも会えるなんて嬉しいですわ。お暇しようとしていたのですけど、フェルリアーナさんとお会いしまして、せっかくですのでお庭でお話ししようと思ったところですの」
空気を読まないリディアンは参加を表明し、結果的に三人でお茶会をすることになった。
好きな人の前で醜態をさらすわけにはいかず、エレオノーラは必死に猫を被った。
リディアンは基本的に紳士な可愛い少年である。
結果、微笑ましいカップルとなり、フェルリアーナの罪悪感が増した。
『純粋な子供を陥れるなんてわたくしはなんて恐ろしいことを……』
一部の識者が見ていれば「この中で一番純粋なのはあなたですよ……」と突っ込みをいれていただろうが、振ってきたのは荒ぶる男の声である。
「フェルリアーナ!」
「エルベロン様!?」
庭園の門のところに肩を上下させたエルベロンが立っている。
彼はフェルリアーナが王都に帰還したと聞き、心配で探し回っていたのである。
エルベロンは目を吊り上げ、怒鳴った。
「なぜここにいるんだ!はやく領地に行け!」
荒らげる声にエレオノーラはびっくりした。
まるで獣の咆哮である。
単純に驚いただけなのだが、愛しの婚約者を怯えさせられたリディアンがぶち切れた。
「ねえ、僕のエレオノーラを脅すなんてどういう了見なの?」
リディアンの目は瞳孔が開ききり、がらりと雰囲気が変わっている。
思わずひれ伏したくなる覇気だが、エルベロンは震える手を握って踏みとどまった。フェルリアーナの前で無様な姿は見せたくない男の意地である。
だがそんなエルベロンをリディアンは鼻で笑う。
「謝る気はないんだね? はあ、親族だから大目に見ようと思ったけど、君が愛するこの女を潰せば僕の心の痛みもわかってくれるよね?」
エルベロンの顔から血の気が引く、だが反対にフェルリアーナは凛としていた。
「リディアン様。わたくしがどうなろうとエルベロン様は気になさりませんわ。お好きになさって下さいませ」
フェルリアーナは恐怖よりもエルベロンの役に立てることがうれしかった。
『この機を逃す手はありませんわ。リディアン殿下のスキャンダルはエルベロン様のためになる。そのためならわたくしはどうなってもいいわ』
彼女はリディアンを恐れながらも愛を貫くために挑発を続ける。
「リディアン様。怒鳴られたくらいで怯えるなんてエレオノーラ様は繊細すぎますわ。こんなことでは王子の妃なんて務まりませんわよ」
もちろんリディアンも激怒したが、エレオノーラも怒髪天を衝いた。
もともと売られた喧嘩は100倍にして返す主義である。
『いい度胸ですわ……!』
怒りに震えるエレオノーラをリディアンは悲しんでいると誤解し、美しい顔に残酷な笑みを浮かべた。
「その度胸だけは認めるよフェルリアーナ」
リディアンは庭園を汚さないように一番やさしい魔術を彼女にかけた。
するとフェルリアーナは眠るようにその場に倒れた。
エルベロンは驚いて彼女に駆け寄り、必死に声をかける。
『永遠の眠り』と呼ばれるこの魔術は王宮にある禁呪本の一節である。
名前の通り、永遠に時が止まってしまうのだが、『愛する者からのキス』で目覚めるロマンチックな毒である。だが、リディアンは教える気はない。
なお、エルベロンはリディアンが魔術を使えることを知らないため、何かの発作だと勘違いした。
前々からフェルリアーナの体調の悪かったのも理由の一つだ。
「君は……病を患っていたのか」
一言もしゃべらず、動かないフェルリアーナを抱きしめ、エルベロンは声を上げて泣いた。
「すまないフェルリアーナ! 愚かな私を許してくれ。君が好きで君が大事で、だからこそ守るために遠ざけていた。愛しているといつか伝えようと……だが、君はもう……!」
完全なる誤解だが、リディアンはエルベロンの心をくじくという目的を達成できたのでエルベロンに興味をなくし、エレオノーラに「お茶のお代わりはどうだい?」と気遣っている。
エレオノーラは自分がやり返したかったのでかなり不満がたまっており、フェルリアーナ本人で恨みを晴らせないのなら親類縁者をぶっつぶして憂さを晴らそうと考えた。
『家に帰ってからお父様に嘘を吹き込んでグレンデゲル家を潰してもらいましょう。この落とし前は絶対に付けてやるわ!』
と思考を巡らせるのである。
そんな危険思想家がいるとも知らず、エルベロンはフェルリアーナを抱えて彼女の実家へと向かった。
実家ならば彼女の病を知っているかもしれないと考えたからだ。
ところが、エルベロンを迎えたグレンデゲル家は使用人を含めて誰一人フェルリアーナを心配しなかった。
「奇病を持っていたとは私も知りませんでした。これも天命です。こちらのルルティアを娶ってくだされ」
当主が紹介してきたのはフェルリアーナの妹である。
自尊心の強いルルティアはフェルリアーナが自分を差し置いてエルベロンの婚約者になったことを憎く思っており、仲たがいをさせようと色々策を講じていた。エルベロンとフェルリアーナの誤解はこの女が原因である。
フェルリアーナが倒れたと知り、彼女は満面の笑みをエルベロンに向けた。
「身の程知らずだから天罰が下ったのよ。殿下、わたくしこそが運命の相手ですわ!」
そして父母は窘めもせず、ルルティアの擁護をするばかりである。
「正気か……? フェルリアーナの心配もせず、妹に乗り換えろなどとよくもそんなことが言えるな!」
厚顔無恥も甚だしい提案にエルベロンは激高した。
「エルベロン殿下、言動には注意された方がよろしいかと。リディアン殿下を支持してもよいのですよ?」
グレンデゲル侯爵は笑う。
「勝手にするがいい。俺はフェルリアーナを王妃にしたくて王位を望んだんだ。彼女がいないなら王族の身分もすべて無意味だ!」
と吐き捨て、眠り続けるフェルリアーナを自分の宮に連れて帰った。
「なんて分からず屋なんでしょう!! ねえ、お父様。あんな男願い下げですわ! リディアン殿下こそが私の運命の相手ですわ」
ルルティアは恥をかかされたとカンカンに怒って父親にねだった。
当主もルルティアが至上最高の娘だと信じて疑わないので、
「ああそうだ。お前に相応しいのはリディアン殿下だ。さっそく宮殿に行こう!!」
と一家総出で馬車を飛ばし、リディアンの宮殿に向かった。
先ぶれもなくやってきた彼らだが、リディアンは自分の蒔いた種であるので応接間で彼らを迎えた。
『フェルリアーナの倒れた原因が僕だと突き止めたのかな。それならなかなかの術者だ。手駒にしたい』
リディアンは有能な人間には丁寧に対応する性格である。
だが、彼らはそれを付け入る隙だと勘違いした。
「殿下、我々が来たのは我が娘のルルティアを殿下に紹介するためでございます。エレオノーラ嬢は性格が悪く根がひん曲がり、とても王妃の器ではございません! その点我が娘ルルティアは気高く優しくまるで聖女のよう……!」
エレオノーラの悪口とセットで娘を売り込むグレンデゲル侯爵の顔はいい笑顔である。リディアンも笑ってはいるが、それは怒りによるものである。
「言いたいことはそれだけ? まあ、他にあったとしてもお前の口からはもう何も聞きたくないよ。さようなら」
グレンデゲル一家はリディアンに瞬殺された。
王子宮は結界があるのでどんな魔術を使っても建物や家具が壊れることはないのである。
跡形もなく消した後、リディアンは夜空を駆けてグレンデゲル家を燃やしに行った。
怒りが頂点に達したリディアンは屋敷もろとも破壊しなければ気が済まなかったのである。
復讐の対象が消えたことなど知らないエレオノーラは、父が視察から帰ってくるのをひたすら待った。
勤勉な彼がようやく帰宅したのはお茶会があった次の日である。
エレオノーラは帰宅したばかりの父にさっそくおねだりした。
「ねえお父様! グレンデゲル家は税収をごまかし、領民に圧政を引いておりますわ! 即刻潰してください!」
もちろん口から出まかせだが、それが事実であることをエレオノーラは知らない。
「グレンデゲル家かい? あそこは昨日の夜に屋敷が燃えて一家全滅だよ」
「燃えて……? え?」
エレオノーラは驚く。
「その様子だとグレンデゲル家の人間と何かあったみたいだけど、まあ、彼らは全滅したから忘れなさい」
エゼンガルドはエレオノーラを慰めた。
貴族の屋敷が一夜にして壊滅したというのにニュースにはならなかった。各府の長官がかん口令を敷いているのである。
なにしろああいう芸当ができるのはこの国に一人しかいないのだ。
「絶対にあれはリディアン殿下の仕業じゃて……」
「触らぬ王子に祟りなしだ。あなおそろしや……」
お偉方が震えているころ、満足に復讐できなかったエレオノーラは一人部屋の中で悔し泣きした。
「きっと『龍の祠』のクソガキが絡んでいるんだわ。『龍の祠』で威力がある危険物は全部あいつの手作りだっていう話ですもの。家を一瞬で壊滅させるなんてあのガキの爆弾なら朝飯前だわ! よくもまあわたくしの邪魔をしてくれたわね……! 絶対に見つけ出してとっちめてやりますわ!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらエレオノーラは復讐を誓うのだった。