第六話 王弟の婚約者 前編
王弟グリドレンの独立騒動(本人が言っているだけで特に戦争とかがあったわけではない)は、早々に決着がついた。
なぜなら、グリドレンの財産をパルネッタが食いつぶしたからである。
その知らせを受け取ったリディアンは、
「エレオノーラを侮辱した報いを受けさせようと思ったのになあ。どん底の相手を潰しても何の面白味もないんだよね」
と舌打ちした。
恋を自覚してからと言うもの、リディアンはエレオノーラへの執着を隠さなくなったので、王弟グリドレンはある意味命拾いしたと言える。運のいい男である。
ある日の午後、恒例のお茶会でバフェグはしみじみと語る。
「にしても今回の事は驚きましたよ。パルネッタ嬢のために独立したのに彼女のせいで破産するなんて」
相槌を打つのは王妃の侍女エルメラである。
「わたくしたちの間では想定内でしたわ。なにしろ、退学になる前からパルネッタ嬢は豪華なものばかり買い求めていましたもの」
今日はエルメラと二人だけである。
廊下でたまたま出会い、「今日はいい天気ですね」からはじまり、「美味しいお茶がありますよ」と話が進み、こうして中庭でお茶会をしている。
彼女は王妃の側近(実家からきた侍女)なので、情報漏洩だとか気にしなくていい。同じ苦労を分かち合う仲間なのだ。
「ヴァネッサ嬢との婚約破棄したのも痛手でしょうね。 リディアン殿下が『こっちの陣営に引き込むチャンス』と喜んでいたので、相当優秀な方なんでしょう」
バフェグが言うとエルメラは頷く。
「ええもう、ヴァネッサ嬢は非の打ち所のない令嬢でしたわ。もともとグリドレン殿下はボンク……いえ、領地経営の才能がないので実務を任せられるヴァネッサ嬢が婚約者になったんですもの」
うっかり本音がでそうになるエルメラは笑顔で言いなおした。
リディアンは恐怖の大魔王だが、一緒に居れば情も湧く。バフェグもそうなのだからエルメラはそれ以上だろう。
どうしてもグリドレンに辛口になる。
だが、バフェグたちが辛口評価する以前に、グリドレンは崖っぷちだった。
スッカラカンになったうえ、最後の砦である王太后が寝込んでしまい、借金まみれのグリドレンにパルネッタは「グリドレン様が新しいドレスを買ってくれない……。わたしを愛してないんだわ……」と嘆いて新しい男に乗り換えていった。
ちなみに彼女に悪気はなく、「新しい恋をしただけ」である。恋多き女性なのだ。新しい男も遠くない未来で捨てられるだろう。
赤字財政で最愛の女性にも見捨てられたグリドレンは精神的にも肉体的にもボロボロになった。
そんな彼を助けに来たのが、兄のエルベロンである。
どうしようもない弟だが、やっぱり憎めないし可愛い。小さいころは仲良く遊んだ仲である。
債務整理を行い、悪徳高利貸しには弁護士を立て、悪徳役人は排除し、経営を立て直した。
「兄さんありがとう……。そしてごめん……!」
「水臭いぞグリドレン!俺たちは兄弟だろう?」
と屋敷では感動の兄弟愛劇場が繰り広げられた。
王太后が息子の改心に喜び、「今こそ一致団結してリディアンを追い落として見せるわ!」とこぶしを握る。
グリドレンが脱落した今、リディアンとエルベロンの一騎打ちであるが、リディアン陣営は至ってのんびりしている。
「リディアン様はエルベロンが敵う相手ではありませんからねえ」
「ここまで差がありますと同情を禁じ得ませんな」
ハッハッハと重臣たちやバゼスティルマ公爵は余裕である。
だがしかし、エレオノーラだけは危機感を持っていた。
ただし、エルベロンではなくその婚約者フェルリアーナに対してである。
なぜならフェルリアーナはエレオノーラと違い真実品行方正で教養も美貌もあるパーフェクトなレディだった。ご婦人方のサロンでも「フェルリアーナ様が王妃になればよい国になりますわね」と大絶賛なのである。
エレオノーラが彼女を敵視するのは無理もない。
「あの女は邪魔ですわね。誘拐して始末してしまいましょう!!」
行動力のある彼女はさっそく騎士に命じたが、彼女は王都から姿を消していた。
というのは連日の疲れ(政権争い)で疲労したフェルリアーナを心配してエルベロンが王都から逃がしたのである。
しかし、不器用な者同士ゆえに互いに『嫌われているんだ』と思っているため、フェルリアーナは被害妄想をさらに加速させた。
「わたくしが婚約者でなければエルベロン様は貴族の支持を失わずに済んだわ」
裏事情(火竜召喚するぞ事件)も知らず彼女は毎晩涙を流す。
フェルリアーナを気鬱にさせるのはそれだけではない。
なにしろエルベロンの領地というのに、街に出れば聞こえてくるのはリディアンを褒めたたえる声である。
街のマダムはリディアンがいかに優れているかを噂し、通りの酔っ払いですらリディアンの偉業をわがことのように誇る。
「神童ってのはあの方のことをいうんだよ! まだ十だっていうのに病に強い小麦を開発しちまうんだからなあ!」
「しかもご自分の領地だけじゃなく、敵対している王弟派にも技術を無償提供しているんだろ? 優しくて賢くてまさに王の器じゃないか」
この場にバフェグがいれば「すみません。その小麦、実験で余った奴です。不良在庫です」と居たたまれない顔をするだろうが、彼らは幼い王子の真心を信じ切っている。
純粋なフェルリアーナも同じである。
「ここにまでリディアン殿下の御名がとどろいているなんて……! エルベロン様は大丈夫かしら」
フェルリアーナはエルベロンが心配のあまりに王都へと引き返し、策を練った。
この辺りはエレオノーラと似ているが、究極に異なるのは『良心』の割合である。
悪役令嬢の権化のエレオノーラに対し、フェルリアーナは正真正銘心優しい女性である。
「政敵とはいえ子供を陥れるのは心が痛むわ……。できるだけ荒事は避けましょう。リディアン殿下が溺愛するエレオノーラ嬢をこちら陣営に引き込めば、リディアン殿下は思うように動いてくれるかもしれないわ。エレオノーラ嬢が王宮に来る日を狙って待ち伏せしましょう。エレオノーラ嬢には申し訳ないけれど……」
フェルリーナは良心の呵責に押しつぶされながら決行の日を待った。
なお、ターゲットのエレオノーラはリディアンと魔獣の住まう森でピクニックデートである。
悪役令嬢とはいえ一介の人間であるエレオノーラは絶体絶命の危機に何度も陥った。普通の人間なら当然だが、リディアンは常識が抜けているため、
『エレオノーラはか弱いんだなあ。僕が守ってあげなくちゃ』
と過保護スイッチが入った。
愛する人間が何度も死にかければ過保護にもなるだろうが、炎の中で平然と笑ってられるリディアンと比較すれば魔獣ですら貧弱にみえるだろう。
そこは愛する人の欲目もある。
「エレオノーラ、大丈夫?」
「ええ、これくらいへっちゃらですわ!」
見つめあう二人は本当に仲の良いカップルである。
バフェグはデンジャラスなデートを楽しむ主を見ながら、
「王太子の座争いって、無駄にもほどがあるよなあ」
と思うのである。