第五話 王太子の座争奪戦
意外なことにリディアンは王太子ではない。
ラヘンディア国王夫妻唯一の男児であるが、国王の異母兄弟が彼の前に立ちはだかっている。
今の王太后は先王の後妻ゆえに、よくあるパターンで「ワタクシの息子を玉座に!」と気合いを入れまくっているのだ。
バフェグがそれを知ったのは、リディアンが婚約してから一年後である。常日頃、「そういえば、なぜ王子なんだろう。いつ王太子になるのかなあ」と考えていたところ、恒例のお茶会で侍女の一人が「王太后さまがヒステリックで王太后宮は大変らしいわ」と愚痴をこぼし、そこから詳細を知った。
急いでリディアンに確認を取ると、
「なんだ、今頃王太子争いを知ったのかい? 僕は第一王位継承権を持っているけど、成人していないからオッズ的には最下位だね」
と軽く笑った。
「悠長にしていてよろしいのですか?こうしている間にも王太后派閥は勢力を増大させているんですぞ!? 万が一、彼らに玉座が渡った場合、殿下はどうなるか……」
バフェグも人間である。
二年ほどのつきあいであるが、幼子が不遇な人生を送ることを思うと胸が痛む。
曇るバフェグの顔にリディアンは目を丸くする。
「驚いた。君、僕の心配をしてくれているの?」
「そりゃあ……しますよ」
照れくさいながらも答えると、リディアンはいたずらっ子のようにクスクスと笑いだす。
「アハハハハ。いや、ごめんごめん。まさか心配されるなんて思わなくてさ。でも大丈夫だよ。もし目に余るようなら潰せばいいんだから」
と納得のいく答えを返した。彼が言うと冗談に聞こえないし、物理的に潰せる実力を持っているからだ。
リディアン陣営がほのぼのとした時間を過ごしているころ、王太后エンゲルベルガはキーキーとヒステリーを起こしていた。
「いつのまにリディアンはバゼスティルマ公爵令嬢を取り込んだのかしら……! わたくしに取り入っていた貴族もなぜか離れて行ってしまうし……!まだ十歳の子供がわたくしの愛する息子たちを凌駕するというの……?!」
元々愛する息子たちを王太子にするために鉄壁の布陣を敷いていた王太后は、まだ十歳のリディアンなど歯牙にもかけていなかった。
しかし、婚約を機に急速に貴族の支持を集め出したリディアンを彼女は意識せざるを得ない。
裏事情(火竜召喚するぞ事件)を知らない王太后は怒鳴るだけでは飽き足らず、ダンダンと足を踏み鳴らした。
「それにどうして殺し屋が雇えないの!」
物騒な単語が飛び出ているが、権力が絡む分、王位争いはそんなもんである。
エンゲルベルガは日に日に劣勢になる勢力図に危機感を覚え、ツテをたどって国中のマフィアに渡りをつけた。
しかし、暗殺を依頼しようにも、国中のマフィアが暗殺家業から足を洗っている(リディアンの命令)ので引き受けてもらえなかった。王子の誘拐もダメ(刺客はすべて行方不明になった)、毒物の取り寄せもダメ(卸業者に売ってもらえない)である。なお、王太后派からオーダーを受けたマフィアはリディアンの屋敷に逐一報告しているため、王太后の行動はすべて筒抜けである。
愛する息子たちのために頑張る王太后だが、中々ハードモードであった。
「王太后さま! 大変ですっ!」
腹心の貴族が息を切らせて部屋に入ってくる。
「騒がしいわねっ! わたくしはただでさえ気が立っているのよ! いったい何があったというの! またリディアンが学園長に褒められたとか、孤児院を建てたとかいうんじゃないでしょうね!?」
目を吊り上げて王太后は怒鳴る。
だが、やってきた男は顔を真っ青にして首を振る。
「それならそっちの方が良かったです! グリドレン殿下が……ヴァネッサ嬢に一方的に婚約破棄を宣言されました!」
半泣き状態で叫ぶ男の言葉に王太后は泡を吹いて気絶した。
ヴァネッサ嬢はグリドレンの後ろ盾として用意した顔良し頭良し家柄良しのご令嬢である。この婚約を取り付けるため、王太后は必死に奔走したのだが、よりにもよって息子本人によって長年の努力が一瞬にしてパァになったのである。
王太后が寝込んだニュースは瞬く間に広がった。
バフェグはこの報を受け取った時、「ああ、とうとう殿下もやる気を出されたのか」と思った。
側近として詳しい話を聞かねばならぬとリディアンの部屋に向かったが、驚くことにリディアンは手を下していないという。
「僕はそんな面倒なことはしないよ。それにしてもヴァネッサ嬢は類まれな逸材なのにあっさり手放すなんて叔父様も愚かだよねえ。君もそう思うでしょ?」
なにしろ、この婚約破棄はグリドレンが原因である。
こともあろうに学校で知り合った男爵令嬢と不純異性交遊を楽しんだのだ。
放課後の教室で愛を確かめ合ったらしいから、校長はカンカンで「勉学の聖域である学び舎でなんたる不埒な! 王弟だろうが停学以外ありえない!」と怒り狂っている。
兄のエルベロンも弟を庇おうとしたが、庇える材料がなかった上にグリドレンは堂々と開き直った。パルネッタを王弟宮に招き入れ、女主人として扱うようにと厳命したのだ。
「わざわざ自分から不利になりにいくようなものですからねえ」
バフェグもしみじみ思う。
ところが、話はそれだけに収まらなかった。
グリドレンは「俺は王位を諦めない。真実の愛を知る俺こそが王に相応しい!」と豪語し、それを大判の紙に自画像に添えて大量に印刷し、国中に貼らせた。
彼の努力の甲斐か、単純にグリドレンが美男子だったおかげか、「愛に生きるなんて素敵!」「俺も政略結婚で辛い日々を送ってるんだよなあ」と支持する人たちが現れ、なんと王弟領を「パルネッタ王国」と改め、独立を宣言してしまった。
兄のエルベロンは気まずそうに布告を持ってきた使者に二度聞きし、「バカだバカだと思っていたが、ここまでバカとは思わなかった」と項垂れた。
彼は割と弟思いの兄だった。グリドレンが王位を狙い始めたので対抗しただけで、彼なりに弟のことは可愛がっていたのだ。
しかもグリドレンのおかげで彼の評判も下がってしまった。とばっちりである。
ここまではリディアンも大爆笑してグリドレンの迷走を楽しんでいたのだが、数日後、愚かにもグリドレンは禁句を口にしてしまう。
「俺は正しい! エルベロン兄さんやリディアンのように王位に目がくらんだ女を国母に据えようとする方が国に対する裏切りだ!」
と言い切り、あまつさえビラを作って王都にまき散らしたのだ。
これに対してエルベロンは「王族がなにきれいごとを抜かしているんだ」と呆気にとられたが、リディアンはカチンときた。リディアンも恋愛結婚ならぬ婚約である。
ちなみにエレオノーラはビラの存在を知った瞬間、グサっと胸にぶっとい槍がささったように痛かった。なにしろ王妃の位目当てで王子に接近したのは図星だからである。
もちろん今はリディアンが大好きになっているので純度100%……とまではいかないが、それに近い愛はある。それゆえ、リディアンにかつての野望がバレたらどうしようとエレオノーラは焦った。
まずは屋敷の連中の口を封じるため始末しようとしたが、あまりにも数が多いので口止めする方向にした。父に頼んでお給料を3倍、特別支給金を与えるようにしたのである。「わたくしの悪口を広めたら承知しないわよ!」と恫喝するあたり性格の悪さは健在である。
なお、リディアンはエレオノーラが「王子を傀儡にしてやる!」と考えていたことなどとっくの昔に知っている。
店員として危険物ショップで働いていたとき、「オーホホホ。わたくしはリディアン王子と結婚していずれ王妃になるのよ!いずれわたくしが実権を握って女王になってやりますわ」とエレオノーラが豪語していたからだ。
リディアンはその考えが悪いことだとは一切思わない。逆の立場だったら確実にやっている。
だからこそ、エレオノーラがひたむきに向けてくれる愛情を好ましく思う。
「殿下! バラの花がきれいだったので摘んできましたの!」
と傷だらけの指で差し出す手。
「殿下! クッキーを焼いてきましたの!」
と丁寧にラッピングされた焼き菓子。
その一つ一つがリディアンの胸に甘い感情をもたらす。
一緒に居ると楽しいとリディアンは心から思う。
はじめは魔力が効かない彼女に興味を持っただけだが、いつのまにかずいぶんと深いところまで彼女にのめり込んでいる。
「エレオノーラをグリドレンに悪しざまに言われて僕はお腹のあたりがこう……熱くなったんだ。人のために怒りがわいてくるなんて初めてだけど、きっとこれが恋なんだね」
リディアンがはにかみながら言う。
美少年の照れた顔は絵になるが、先のことを思うと恐怖の大王でしかない。
バフェグは心の中で「どうか私に火の粉が降りかかりませんように」と祈った。