第四話 恋のステップ
人格破綻者のリディアンと悪役令嬢という前代未聞のカップルの誕生にバフェグたちは戦々恐々としていたが、求婚された側のバゼスティルマ家は一家総出で大喜びである。
当事者であるエレオノーラは浮かれまくり、ベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。
「ああもう! 本当にリディアン殿下は素敵な方ですわ……! あの方と添い遂げられるなんて嬉しくて胸が張り裂けそう……!」
エレオノーラは頬を赤らめ、リディアンが寄こしてくれた婚約記念の指輪をチラチラ見る。
まさに恋する乙女だ。
そして恋には不安がつきものである。
「それにしても、いつわたくしを見初めて下さったのかしら」
エレオノーラはリディアンと初めて会ったお茶会を思い出して首をひねる。
当初、王子を手に入れてこの国を支配してやろうと考えて参加したものの、リディアンに一目ぼれしたエレオノーラはまとわりついた。ところが、軽くあしらわれてしまい、その夜は自棄になって部屋中をぐちゃぐちゃにした覚えがある。普通に考えてガツガツ来られたらウンザリするものだが、自分本位のエレオノーラはそこには気づかない。
もちろん、エレオノーラがタダで引き下がるはずはなく、父に「リディアン殿下の婚約者の座を下さいませ!」と迫ったのだが、いい返事は聞けなかった。
「あのときは大変でしたわね……。憂さ晴らしにお買い物に行った先で謎の爆発に巻き込まれるんですもの。とことんついていませんでしたわ」
買い物を楽しんでいると突然店が爆発して木っ端みじんになったのである。エレオノーラが立っていたところは謎のクレーターができ、五階あった店は塵になった。ちなみにエレオノーラはピンピンしていた。自分が無事だったことに疑問は抱いたが、それよりも無視できない事態が起こった。
爆発で生き残ったエレオノーラに対し、店員の少年が「君、化け物?」と聞いてきたのである。
エレオノーラがショックを受けるのも当然だろう。
「いうに事欠いて化け物……! 美少女悪役令嬢として名高い(自称である)このわたくしが化け物……! 今思い出しても腹が立ちますわ!」
ギリギリ歯を食いしばるエレオノーラの顔はもはや令嬢ではない。復讐に燃える姿はまさに化け物である。
あの後、エレオノーラは少年の胸ぐらをつかんで罵倒の限りを尽くしたのだが、少年はケロっとしており、エレオノーラが脅してもひるむことなく、むしろ珍獣でもみるような目つきだった。
さらに、
「君、僕の実験台になる気はない? 好待遇を約束するよ」
とまで言ってきたので、エレオノーラの怒りがさらに倍増した。
「はあああ? ふざけるのもいい加減になさい! このわたくしを誰だと思っているの! バゼスティルマ公爵令嬢エレオノーラですわよ! そのわたくしを化け物呼ばわりした挙句、実験台ですってー!? 絶対に許しませんわ! お父様に言いつけてこの店ごと潰しますわよ!」
激怒したエレオノーラは少年に殴りかかったが、その瞬間ブラックアウトし、気づけば屋敷の中だった。
普通なら「どうやってわたくしはここに?」と疑問を持つものだが、怒り心頭のエレオノーラはとくに気も止めず、激情の赴くまま父の部屋に怒鳴りこんだ。
「お父様! お願いがありますの! お店を一つ潰して下さいませっ!」
「おお、わたしの可愛いエレオノーラ。すぐに潰そう!」
仕事はできるがダメオヤジの公爵はエレオノーラの話を聞きもしないで断罪の準備にとりかかる。
エレオノーラは嬉々として店の名前を言いかけた。
「店の名前は……」
すぐにエレオノーラは口を噤む。
店の名前は憲兵のブラックリストに載っている『龍の祠』である。
非合法薬物や武器を扱うアングラな場所だ。
エレオノーラがそこを知ったのは、屋敷に入った泥棒を専属の騎士たちが武器や防具の出所を吐かせたからである。エレオノーラは騎士の弱みを握り、脅して『龍の祠』に行くときの護衛にしている。もちろん、両親には内緒である。
口にすればエレオノーラの悪事はバレてしまうだろう。
さらに、龍の祠がなくなったら、エレオノーラはお買い物先がなくなるのである。
エレオノーラはこのとき悟ってしまった。
圧倒的に優位なのはあの店である。
親にも言えず、かといって官憲に頼ることもできないエレオノーラに仕返しするすべがない。
「ど、どうかしたのかい? エレオノーラ。可愛い顔を化け物ヅラ……いや、個性的にするほど嫌な思いをしたんだね」
子煩悩すぎる公爵は目尻を下げて可愛い娘に語り掛ける。
宮廷では仕事ができるナイスミドルなのだが、いかんせん親バカ過ぎた。
子を思う親の感情は麗しいが、お宅の娘さんは素行悪いですよとエレオノーラの後ろで控える騎士は心の中で突っ込む。
エレオノーラは言いたくても言えないジレンマに顔を思いっきり顰めた。
普通にしていれば美少女の範疇に入るだろうが、今の顔は正直言って芝居上のサタン真っ青の極悪人面である。
「お父様……わたくしの間違いですわ。もうお気になさらないで下さいな」
絞り出した声はダミ声である。
公爵は目を真ん丸にしたが、エレオノーラは何も言わず自室へと逃げた。
部屋に戻ったエレオノーラはベッドに体をうずめ、わんわん泣いた。
「悔しくて悔しくてたまらないわ! もっと裏社会に通じていればこんな屈辱は受けなかったのに! こうなったら悪を極め、裏社会でトップに立ってあのクソガキをひれ伏させてやるわ!」
悔しさに涙をにじませたエレオノーラは、このとき、完ぺきな悪役令嬢になろうと決意したのである。
実に苦くて悔しい思い出だ。
といってもつい最近のことなので、思い出す度はらわたが煮えくり返る。
恋のトキメキはどこかに消え去り、エレオノーラの表情は強張った。
「はっ!わたくしがあんな店に出入りしていると新聞社に話されでもしたら王妃の座があやうくなりますわ。早急に手を打たなければ……!」
エレオノーラは弱みを握った騎士を呼び出し、例のクソガキの弱みを握るように命じた。
「家族か好きな子を調べなさい。人質に取ってやるわ」
しかし、調べても調べても出てこない。
騎士は途方に暮れ、店主に素性を聞いても苦笑いしか返ってこなかった。
結局、ガキの情報は得られずじまいで、エレオノーラは怒り狂った。
愛しいリディアンとお茶会をしている時でさえ、ふと思い出して眉間にしわを寄せる。
「エレオノーラ? 気分でも悪いのかい?」
気遣ってくれるリディアンの声にエレオノーラは
「オホホ。なんでもありませんわ」
と頑張って取り繕った。
『今日もリディアン殿下はお美しいですわ……! この方の婚約者になれて本当に幸せ! ですが、殿下にあんな店に出入りしていると知られたら嫌われてしまうかもしれませんわ。やはり草の根わけてでも探し出さなければ!』
固く決意するエレオノーラだが、にっくきクソガキが目の前の少年であることにまったく気付いていないのであった。