第二十七話 帝国の侵略 前編
今更だがラヘンディア王国に敵国が存在する。
イーザス大陸の南方を広く支配するグーデンテール帝国という大国で、肥沃なラヘンディアをわが物にしようと幾度となくラヘンディアに攻め入った乱暴な国である。
リディアンの祖父ことザナーガンの父親にめっためったにやられて以来、大分おとなしくなった。しかし、いつまた攻めてくるかわからないため、ザナーガンはドルーズ辺境伯と協力してグーデンテール帝国を監視していたのである。
リディアンも知ってはいたが、「ドルーズ辺境伯の管轄に僕が出ていくのは野暮だしねえ。要請があればいくけどさ」と放っていた。
グーデンテール帝国の要人たちが賢ければこの幸運に涙を流して喜んでいただろうが、情報収集能力に乏しい奴らはそんなことはなかった。
「ようやく国土も落ち着いた。今こそラヘンディアに借りを返してやる!!」
時の皇帝グルフーブは自堕落な生活のせいでグラマラスになったボディを揺らし、居並ぶ臣下に宣言した。
「おお!! いよいよでございますか!!」
「長きにわたるこの苦しみ、今こそラヘンディアに贖わせてやりましょうぞ」
皇帝グルフーブの言葉に臣下たちは沸き立った。なにしろラヘンディアは農作物豊富で金銀銅に鉄どころか様々な鉱山を持つ宝箱なので主人に似て強欲な臣下たちは沸き立つ。
「にしてもアイシア国め、常々我が属国になれと言っているのにラヘンディアなんぞに尻尾を振りおってからに」
アイシア国はグーデンテール帝国の西北に位置するご近所さんである。マデルは口八丁で帝国の申し出を躱していた。
「陛下、わたくしめにお任せを。王太子の嫁はアイシア国に滞在しているとのこと、軍勢を率いて手始めにその女を捕虜にして見せます!!」
自惚れ屋のベンドレ侯爵が愛剣を掲げて宣言する。
他の臣下もこぞって志願するが、どれもこれも見栄のためである。
しかしボンクラな皇帝は忠義心と信じて疑わず、「そなたらの忠義心見事!」と褒めたたえた。
「素晴らしいそなたらの男気に余は感動を禁じ得ない。ベンドレ侯爵よ。そなたが全軍を率いてアイシア国を攻め落とすがよい。エレオノーラとかいう小娘はわが右腕上級魔術師ルーバズに任せるとする」
皇帝が宣言すると臣下にどよめきが起こった。
上級魔術師ルーバズはグーデンテール帝国が誇る最終兵器である。彼を雇うために税率を上げ、国庫の四分の一を使った。もちろん、反対する人間は多かったが、ルーバズが何もない所から炎を繰り出して椅子を燃やした時、皆が押し黙ったのである。ラヘンディアの人間なら特に何も感じなかっただろうが、この世界で魔術を使える者はほとんどいないため、手のひらサイズの火球でも十分驚くし、戦慄するのである。
低位魔術師ですら各国がこぞって手に入れたがる中、上級魔術師の希少価値は筆舌に尽くしがたい。
皇帝はルーバズを手に入れたとき、「世界の覇者になれる」と確信した。
「ベンドレ侯爵よ。そなたの忠義心は見事である。よって上級魔術師ルーバズの同行を許そう。ルーバズ。上級魔術師のお前にかかれば小娘の誘拐など容易いだろう」
「もちろんでございます、陛下。イーザス大陸がいくら広かろうと上級魔術師はこのわたくしとバフェグ以外おりません。そのバフェグがアイシア王国にいないとなれば赤子の手をひねるようなものでございます」
でっぷりと肥えた魔術師ルーバズが歯の抜けた口で気味悪く笑う。
「フハハハハ。そうだろうとも! リディアン王太子は魔王と噂されているが、すべては上級魔術師バフェグの力だろう。お前の働きに期待しているぞ!」
「かしこまりまして!」
ルーバズは深々と頭を下げた。ここで瞬間移動を使って消えればカッコもつくだろうが、あの技はバフェグですら諦める高位魔術である。
ルーバズは歩いてホールを退去し、馬車でアイシア国に向かった。
最強の上級魔術師が動くとなればベントレ侯爵もがぜんやる気がわいてきて気合いが十分である。
「これでもう我らの勝利は間違いない!!」
彼はそう確信し、豪華な甲冑を身にまとった。
しかし、馬には乗れないので馬車で軍隊の先頭を走った。彼の私物(愛用の枕、寝台など)を荷馬車で運ぶため、軍勢ではなく大げさな引っ越しにも見える。
ベンドレ侯爵の軍勢はルーバズから遅れて十日後に出立した。
さて、大軍の移動を察知したものがいる。
南方を治め、グーデンテール帝国の監視を国王から任されたドルーズ辺境伯である。彼は諜報機関を組織し、グーデンテール帝国の情報も手に入れていた。
「なんと悪辣なグーデンテール帝国め! 正攻法でかなわぬからと、か弱き姫に手を出すとは!! 大恩あるエレオノーラ様のため、すぐに兵を出すぞ!!」
真面目で忠義心のあるドルーズ辺境伯は国王の信頼が厚いため、彼の一存で兵を動かせるのである。
「あなた。エレオノーラ様は、わたくしたちの娘シェルミアが無礼を働いたおりに優しく導いてくださったお方。か弱いあの方はきっと心細くていらっしゃいますわ。どうか、エレオノーラ様をお救いになって」
妻が涙を流しながら夫に言う。
エレオノーラの狂信者であるシェルミアのせいで夫妻はかなり勘違いをしているのだった。
「おお、泣くな我が妻よ。わしが必ずエレオノーラ様を救い出して見せる!!」
リディアンに一言いえばそれで終わる話なのだが、「ラヘンディアは遠く、また忙しいリディアン王太子の手を煩わしてはいけない」と援軍要請はせず、出兵の連絡だけ送った。
緊張感がただようドルーズ辺境伯の屋敷で一人の少年が辺境伯に進言した。兄と比べられるのが嫌で王都から逃げた第二王子ヴァルドである。心優しい彼は森で野生生物の保護や薬草の研究をしているのだが、「リディアン殿下のように魔獣を狩るなどして剣の腕を磨いているのだ」と誤解された可哀そうな少年である。
本来、戦いが嫌いな彼だが義姉の危機と聞き、恐怖を堪えて立ち上がった。
「あの! 僕……いえ、私も従軍しとうございます!」
「おお!! ヴァルド殿下が参戦するなら百人力!! 殿下に相応しい軍にしなければ!!」
ドルーズ辺境伯は大喜びで優秀な兵をヴァルド王子の配下に加えた。ヴァルドが必死で止めたが、娘と同じで思い込みの激しい彼は止まらなかった。
「リディアン殿下の弟御が我々の将軍として戦ってくださるそうだ。リディアン殿下は戦の天才と聞く、ザナーガン王も勇猛で知られた方、そんな方の血を引くヴァルド様を戴けるとはなんたる光栄!!」
将兵たちの士気は高い。
ヴァルドは得意な医療面で後方支援予定だったのだが、将軍に祭り上げられたうえに先鋒隊を任されてしまった。
年齢の割に大人びてすらりと背が高く、精悍な顔つきと鋭い眼光は生まれながらの覇者である。
将兵たちは若き将軍の初陣だとすっかり舞い上がった。
「……どうしよう。僕、戦えないのに!」
コワモテに似合わずヴァルドは怯えて体が震えたが、周囲は武者震いだと勘違いして「さすがヴァルド様!」と歓声を上げ、ヴァルドが泣き言を言っても取り合って貰えなかった。