第二十二話 波乱のパーティ 後編
余裕しゃくしゃくの数名を除き、周囲が固唾を飲んで見守る中、ガラガラと重い音とともにカーターとその手下が荷車を引きずってやってきた。
荷馬車の上にあるのは泥や油が入ったバケツ、美しい紐が山積みになっている。
紛れもなく悪事の証拠なのでエレオノーラは失神しそうになった。
「ご覧ください! エレオノーラ嬢が悪役たる証拠です!」
カーターは誇らしく言い放った。
エレオノーラの口からはヒィィと悲鳴が漏れ、顔が蒼白になる。
もはや打つ手なしのエレオノーラだったが、そこへ美しい声が響いた。
「部外者ですが一言よろしいかしら? 最高級の美容品がなぜ悪事の証拠になりますの?」
声の主は宰相の娘アデライドである。
以前エレオノーラを陥れようとしたが、エレオノーラの慈悲(勘違い)に感動し、隠れ信望者になっている御仁である。
彼女の言葉に皆の視線が一気にアデライドに集まった。
「皆様よろしくて? こちらの油はユーテントス王国のクレル油です。クレルの実から採れるのですが、精製が難しく小さな香水瓶一つで金貨十枚はします。ユーテントスでも王族かその婚約者しか使えない代物ですわ」
油の入ったバケツをちらっと見てアデライドは笑う。
「あまりにも高価ですので美容に使いますが、これはあらゆる場所にも使えますの。床に塗れば素材に浸透し、丈夫で持ちがよくなります。もちろん食用もできますし、少し果実の甘い香りがあるので常温でも香油として置けるんですの。喉の疾患によく効きますわ」
アデライドの演説はまだ続く。
「こちらはクズフ王国の海泥です。美容に良い成分が豊富で皮膚病にもよく効きますの。ですが、精製には非常に手間暇がかかり、また優先的にクズフ王族に回りますので流通もごくわずかです。クレル油と同じくらい高価ですの」
アデライドは証拠品がいかに高価かを懇切丁寧に説明していく。紐にしても王室御用達の職人の逸品である。
「さて、悪事の証拠として出されましたが、このように高価なものを悪事に使うために用意する人間がいまして? このように素晴らしい品、悪用するよりも自分で使いますわ」
アデライドの言葉は説得力があった。
なにしろ泥は見た目も薄い灰色で匂いもバスソルトのような軽い匂いである。油も化粧品のような優しい香りなのだ。
アデライドの言葉にカーターは確かにと思った。単純な男である。
「そう……ですね。素人目ですが明らかに匂いも違いますし、これを悪事に使うとはかなり考えにくい……」
アデライドに見ほれるカーターにマーラは怒鳴る。
「ちょっとしっかりしてよ! 泥は気に入らない相手にぶつけるためだし、油は転びやすくするための物なのよ!紐は……えーっと確か」
マーラは一生懸命、乙女ゲームの内容を思い出す。
悪役令嬢エレオノーラはヒロインやその友人をいろんな方法で危害を加える。
紐は高価な壺にくっつけられており、ヒロインたちが通る通路にピンと張られてある。足で引っ掛けて壺を割るというストーリーである。だが、紐は釣りに使う細い糸で断じて飾り紐でない。
言葉に詰まるマーラにアデライドはオホホホと笑う。
「話になりませんわ。ところであなた、最近エレオノーラ様の悪評を振りまいているそうね。エレオノーラ様はお優しいから何もおっしゃらないけれど、わたくし、いい加減我慢の限界ですの」
美女の怒り顔は迫力がある。
マーラは怯み、カーターは鼻の下を伸ばす。
アデライドの言葉に黙っていられなくなったのはリディアンである。
「エレオノーラの悪評が振りまかれているだって? それは本当かいアデライド嬢」
リディアンは驚いた顔で尋ねた。
ちなみにエレオノーラはどこまで世間にバレてるのかと顔面蒼白になった。教師を買収したことだろうか、それとも招待客リストを改ざんしたことだろうか。
エレオノーラが頭を抱えている間、アデライドは嬉々として答える
「ええ、本当ですわ。恐ろしいことに彼女たちはエレオノーラ様の悪評を吹聴していましたの。ですが勇気ある生徒が証拠を集めてわたくしに持ってきてくださいました。わたくしがエレオノーラ様を慕っていることは有名でしたから」
どこか誇らしげに言うアデライドにリディアンが送る視線はさながら同志のような雰囲気である。
「そうか。ならその生徒に褒美をあげないといけないね。さて君たち、今度はそちらが糾弾される番だが、これに反論できるかな?」
リディアンの笑顔は朗らかである。エレオノーラが褒められるのは気持ちがいいのだ。
カーターはほぼほぼ負け戦を悟った。
バルディはエレオノーラに庇われたときからマーラに不信感を持っていたので、ただ成り行きを見守っている。目は穏やかでどんな罰でも受けようという気概がにじみ出ていた。
とりまきの手のひら返しにマーラは怒りが心頭に発した。
「なんでわたしが悪役令嬢みたいになってんのよ! アンタ! どういうつもりよ!!」
マーラが口汚くエレオノーラを罵るのでリディアンとアデライドの顔が凶悪になる。
しかし、エレオノーラは逆だった。
『ホーホホホ!! 形勢逆転ですわ!! わたくしの私刑が正当化できるようにもっと墓穴を掘りなさいな!!』
エレオノーラは罵倒してくるマーラに微笑を向ける。
「マーラさんとおっしゃいましたわね? 公爵令嬢のわたくしに無礼を働いたこと、許せませんわ。不敬罪として公爵家で処罰いたします。大人しく来るなら手荒な真似はしません」
もちろん嘘である。
縄で縛り上げ、鞍のない馬に乗せ無様な姿を公衆の前でさらさせるつもりである。
「うそつけ! ぜったいになんか企んでるでしょうが! なんたって悪役令嬢なんだからね!」
マーラが罵詈雑言をエレオノーラに吐き出す。悪は悪を知るのである。もしかしてこの中で一番エレオノーラのことを理解しているかもしれない。
『くっ……! わたくしの心の中を読まれたのかしらっ……!! 恐ろしい子ですわ!! 早急に始末しなければわたくしの地位が危ないですわね!!』
エレオノーラの微笑が引きつるが、周囲は『心の痛みを我慢し、笑顔で耐えている公爵令嬢』だと好意的に解釈する。
ちなみにリディアンは基準が色々とぶっ壊れているので、たとえエレオノーラがどんな拷問をしようとも、
『酷いことをされたのに生かしてあげるなんて優しいなあ』となる。今もエレオノーラの清らかさに感心しきっている最中である。
清らかどころかお腹真っ黒のエレオノーラは早急にこの危険人物を除去しようと企んだ。今のエレオノーラの表情は真剣である。
「聞くに堪えない暴言の数々我慢できませんわ!! いますぐ……え?」
「エレオノーラ様! もう大丈夫ですわ!! 先生を呼んできましたから!!」
輝く笑顔でシェルミアが叫ぶ声にエレオノーラの勢いは完全に削がれた。
彼女の後ろには厳しくて有名なミンティル女史が厳めしい顔で立っているからだ。
エレオノーラの顔が引きつる。
『クっ……まずいことになりましたわ。あの先生は賄賂がききませんのよ……!! シェルミアなんてことをしてくれましたのっ!!』
マーラはマーラで顔を青白くさせている。
『なんで女教師が出てくんのよ!! 呼ぶにしてもヒロインと仲の良い男教師にしなさいよっ!!』
「皆さん静粛に。あらかじめ言っておきますが、私に賄賂は通じません。泣き落としも同様です。いいですね。マーラ・グラムヴァー」
ミンティル教師の鋭い視線がマーラを指す。名指しされてマーラは肩を跳ねさせた。
「な、なぜ私を責めるんですかっ!! エレオノーラの悪事を糾弾する方が先じゃないですかっ!!」
「ハア。 胸に手を当ててこれまでの行いを思い返しなさい。あなたはエレオノーラ嬢に虐待されたと騒いでいますが、私の知る限りエレオノーラ嬢は一人きりになることはありませんし、王妃教育に生徒会長の仕事などで多忙を極めています」
ミンティルは眼鏡のフレームをくいとあげる。
「逆にあなたは婚約者のいる男性を取り巻きにしてエレオノーラ嬢の悪評を振りまいていますね。こちらへいらっしゃい。みっちりと性根を叩きなおして差し上げます!!」
ミンティルはうろたえるマーラの腕を掴み、ずるずると引きずった。
去り際、ミンティルはエレオノーラに会釈する。
「エレオノーラ嬢。身分をかさに着ず、真面目に生徒会長の責務を全うしたあなたは素晴らしい人です。早朝から深夜まで身を粉にして働いている姿を私だけではなく他の教師も見ています。悪評に屈せずこれからも頑張りなさい」
ミンティルは厳しいが、褒めるときは褒める教師である。
とくに頑張っている生徒には優しいのだ。
思いもよらず怖い教師に褒められてエレオノーラはカチンコチンに固まった。
『仕事を頑張ってよかったですわ……。でも悪事がバレたら一巻の終わりですわね。なんとかマーラをわたくしの手で仕留めないと安心できませんわ』
恐怖におののくエレオノーラだが、何も知らない観衆は誰からともなく拍手をエレオノーラに送った。
内情を知らなければ『悪評にも屈せず、地道にコツコツ努力したことを厳しい教師に認められた健気な令嬢』である。
ベルフィードとテセリオスも惜しみない拍手を送った。
リディアンは満足そうに笑み、アデライドとシェルミアは顔を見合わせて笑いあう。ちなみに隅の方ではバルディとカーターが必死でメルリアとデリールードに許しを請うている。
「さあ、エレオノーラ様。パーティを再開いたしましょう!! せっかくエレオノーラ様が企画して下さったんですもの!!」
アデライドが手を出してエレオノーラをエスコートする。
「できることなら、わたくしがエレオノーラ様と踊りたいですけれど、リディアン様に蹴とばされるのは怖いですから眺めるだけにいたしますわね」
そう言ってリディアンの元へ連れて行くアデライドの姿は姫騎士である。
ピンと伸びた背筋に優雅な姿はへっぴり腰(ミンティルが怖くて腰が抜けかけ)のエレオノーラよりよっぽど王妃に相応しい。
「よくわかっているじゃないかアデライド嬢。僕の愛しのエレオノーラをはやく離してくれないかい? 君のような美女に言い寄られたらエレオノーラが惑わされるかもしれない」
「ま、お上手ですこと」
アデライドとリディアンが朗らかに語り合う不思議な空間が生まれた。
エレオノーラは無事にリディアンの元へたどり着き、楽団が再開した音に合わせてダンスを踊ったが始終恐怖でカチカチだった。
『ミンティル先生にばれたらどうしましょう……。招待客リストから除いた令嬢に口止めをしに行かなければ』
パーティが終わった後、エレオノーラは『具合が悪いので帰ります!!』と心配するリディアンやベルフィードたちを振り切り、エレオノーラはさっそく件の令嬢たちの屋敷へと向かった。
公爵令嬢の来訪とあって使用人総出の歓待を受けたが、すぐに人払いをさせた。
「コホン。今日、懇親パーティがあったのは知っているわね? あなたが招待されなかったのはわたくしの手回しによるものですの。ですが……」
エレオノーラがペラペラとしゃべったところで大きな音がした。
見れば令嬢ベンレリアが跪いているのだ。
「ちょ、ちょっと何の真似ですの?!」
「ありがとうございます……!! わたくし、王太子殿下が怖くて怖くてたまらなかったのですの。招待されればパーティに行くしかありませんが、エレオノーラ様のおかげで心安らかに過ごせます。本当にありがとうございます!!」
ベンレリアは穢れのないキラキラした瞳でエレオノーラを仰ぎ見る。
「レミダーファ嬢もグリノア嬢も同じ思いでしたが、幸いなことに招待状が来なかったので一同喜んでおりました。エレオノーラ様のお慈悲だったんですね!!本当にありがとうございます!!」
口を挟む隙が無いままベンレリアは怒涛の勢いで話す。
彼女の父親は重臣会議専属の書記である。リディアンが『火竜召喚するよ?』と脅した現場にもおり、その恐怖は家族に身振り手振りで語って聞かせた。
それゆえベンレリアはリディアンを怖がっていたのである。
エレオノーラは誤解だと何度も言うが、思い込みの激しい彼女は『こういうのを偽悪者っていうんですのね……!』と聞く耳を持たなかった。
日頃の疲れもあり、討論できるほどのバイタリティがなかったエレオノーラは「今日はこれくらいで許してあげるわ!」と捨て台詞を残して自宅へ帰った。
ちなみに他の令嬢も似たり寄ったりで感謝状やら花束が贈られてきており、エレオノーラはどっと疲れた。
挙句、アデライドが取りまとめ役となってその令嬢たちとのお茶会が開かれることになり、エレオノーラは気が遠くなりそうになった。