第二十一話 波乱のパーティ 中編
カーターの芝居がかったセリフが会場に響いて空気を読んだ楽団は奏でる手を止めた。
「親から押し付けられた結婚に僕はいつも苦しんできました。誕生日に贈り物しなければならず、舞踏会のエスコートも自由に相手を決められない。これがどんなに辛いことかわかりますか?!」
カーターの悲痛な叫びを聞いてデリールードの弟は『姉さん。あの人から贈り物ってもらったことないよね』と聞き、デリールードは『ないわ。それに舞踏会でエスコートしてもらった覚えもないわね』と呆れたように言った。
カーターが悲劇の主人公のように悲痛な叫びを訴えるが、他の生徒は『うわぁ……』と困惑気味である。なにしろ、カーターがマーラにひっついているのは学校中が知っている。
嘘八百並べながら自己陶酔する姿はちょっと怖かった。
なお、リディアンは彼らの話が面白くて大人しく聞いていたが、ついにこらえ切れなくなって噴き出す。
「なっ!なぜ笑うのですっ!」
プライドを傷つけられたカーターは怒りで体を震わせた。
「アハハハ。これが笑わないでいられるかい? 政略結婚がどうしたっていうのさ。貴族に生まれた時点で子供でも義務を理解して努力を重ねているのに、次期当主の君がそんなこともわかっていないんだもん。笑っちゃうよねえ。君たちの家は格式があって王家とのつながりは深いけど、君のような愚か者がトップにいるなんて背筋が凍るよ」
リディアンの言葉は容赦がない。
けちょんけちょんに貶されてカーターは涙目である。
彼はとっても打たれ弱かった。
「ち、父は関係ないでしょうっ!わたしは好きでこの家に生まれたのではありませんっ!」
涙声で反論する彼は全身プルプル震えさせている。まるで怯える子犬だが、リディアンは容赦しない。
「その割には権力を思いっきり使ってその子に貢いでいるようだけど? 平民の娘がそんな豪華なドレスを着られないもんね? ハア……君のような男と婚約させられたご令嬢こそ不憫だよ。王太子としてお詫びしてもしきれない。不幸な結婚は見たくないから婚約破棄を君たちの婚約者と父君に勧めておくね」
にこやかにリディアンが言い切るとカーターは震える。
デリールードとの結婚はカーターの家に大きなメリットがあった。
早い話が赤字経営の商会への援助である。
いまさらながらにカーターはデリールードとの婚約の意味を思い出した。彼女がいなくなれば資金は引き上げ……おまんまの食い上げである。
「お、横暴です!このようなことがまかり通るなんてあなたに正義の心はないんですか!」
カーターがリディアンをにらみつけるが、リディアンは目をぱちくりと瞬かせた。
「え? なぜ僕が非難されるの? 君たちが嫌がった婚約を破棄してあげようといってるのに?」
「ぐぅ……な、なぜ婚約解消ではなく破棄なのですか……!」
苦虫を噛み潰したような顔で彼は言った。
自称だが頭のいい彼は自分たちが正当性を欠いていることをきちんと理解していた。しかし、それでもなおあがくのは無駄に高いプライドのせいである。
リディアンは鼻で笑った。
「君たちの一方的な感情で婚約者を蔑ろにしたからだよ。ルールを破ったのは君たちなんだからペナルティがないとダメだよねぇ」
すこぶるいい笑顔でリディアンは言った。
はたから聞くと「公正な王太子様」と見えるだろうが、バルディやカーターのような簡単に責任を放棄するような輩は信用できないので、早々に切りにかかっているだけである。
王太子の真意を読み取ったカーターは震える声でぽつりとこぼした。
反論ではなく情に訴えた。
「ですが、マーラは天使なのです。彼女のおかげで私やバルディは救われました。彼女を思うことがそんなにも罪なのでしょうか」
悲しみに染まったカーターの顔に先ほどまでの激情はなかった。ひたすらに愛した女性を思う男の顔である。
だが、リディアンはカーターの涙に一つも揺さぶられることはなく、珍獣を見る目で見ている。
「逆に聞くけど、この女のどこがそんなにいいの? 礼儀がなっていないし金遣いは荒らそう、婚約者持ちの男にまとわりつく不道徳さ……ほんとう謎だよねえ」
リディアンは心底理解できないと言わんばかりに腕を組んで唸る。
「な、なんてことを言うんだ! 俺たちのことはいくら悪く言ってもいい! だがマーラを侮辱するんじゃねえ!マーラは本当に優しいんだ! それに極悪女の正体に気づかずエレオノーラ嬢を溺愛しているお前に女の見る目をとやかくいわれたかねえ! 俺たちはその女の悪事の証拠を集め回っているんだ!」
バルディが怒鳴った。
がるるると牙をむく姿はまさにしつけのなっていない犬である。
「へえ? いい度胸だね」
最愛のエレオノーラを侮辱され、リディアンは怒りが一気に爆発する。
瞳孔が開ききった瞳は真っ黒に見え、凍り付くような視線に周囲は恐怖を感じた。
モロに食らったバルディは白目をむいた。
ちなみに、エレオノーラは別の意味で青ざめた。
『わたくしの悪事の証拠……もしかしてアレがばれたのかしら? それともアチラかしら……』
心当たりがありすぎるエレオノーラの心臓はドクンドクンと早鐘を打つ。
なにしろエレオノーラは気に入らない相手を陥れるための仕掛けをリューナに頼んでいる。
例えば中庭にある落とし穴。
カムフラージュのために芝生を乗せているが、中には海泥(クズフ王国御用達スキンケア品)がたんまり入っている。
滑りやすいよう廊下に撒かれた油(化粧用のボディオイル)、足を引っかけるため張り巡らせたロープ(職人の手作り)も色々な所に仕掛けられている。
エレオノーラのくだらないこだわりのため、仕掛けはすべて最高級品で用意されている。人を陥れるためには努力と金を惜しまないのである。
余った素材はリューナや他の侍女がありがたく使っているので、そんじょそこらの貴族令嬢よりも肌質が良くなっているのは余談である。
『悪事が露見すればわたくしの地位が危ういですわ。なんとかしないとリディアン様と結婚できませんわ……』
証拠を出される前に彼を抹殺しなければとエレオノーラは焦る。
「殿下! 差し出がましいですが、この件はわたくしに任せていただけないでしょ……ん?」
エレオノーラはここではじめて会場の空気がおかしいことに気づく。 凶悪な魔獣のようなリディアンにエレオノーラが平然と声をかけたので皆が驚いたのだ。付き合いの長いエレオノーラはこの程度でびくともするはずがなく、首をかしげながら、エレオノーラは気を取り直してリディアンに語り掛けた。
「殿下、聞いてらっしゃいます?」
「ごめんエレオノーラ。怒りで我を忘れていたよ。……それでエレオノーラの希望はこの鈍物を裁きたいということだけど……僕に譲ってもらえないかな? 口惜しさと悲しさで僕はどうかなりそうなんだ」
申し訳なさそうに眉尻を下げて聞いてくるリディアンは子犬のようでエレオノーラはうっかり絆されそうになるが、共犯者を吐かさないと安心できない。
「殿下、どうかわたくしにお任せください。それに前回もお譲りしましたでしょう? 今度ばかりは譲りませんわよ」
いつになく強気なのは悪事を暴露されることを恐れているからだ。
保身がかかっているのでエレオノーラは必死である。
しかし、事情を知らない者からすれば、暴君を諫める賢婦に見える。
バルディは信じられない目でエレオノーラを見た。
『俺はお前を罵ったのに、こんな俺を助けてくれようとしているのか……! この人は皆が言う通り慈悲深い人なのか! そんな人に俺はなんてことをっ!』
単純なバルディは己の浅慮を恥じた。
素晴らしい変わり身の早さだが、それほどリディアンの視線は怖かった。
バルディはすぐさま這いつくばってエレオノーラに頭を下げる。
「エレオノーラ様っ! 申し訳ありませんでした! あなたはこんなに優しい人なのに俺は勘違いして酷いこと言いました!」
素直に謝るバルディにエレオノーラは顔を引きつらせる。
『謝るんじゃなくて共犯者を知りたいのよ!! 証拠を握りつぶしたいのよ!!』
エレオノーラの魂がそう叫ぶが、ギリギリのところで我慢をする。
周囲は改心したバルディと慈悲深い令嬢の構図を微笑ましそうに見ていた。現実との乖離がますます進んでいく。
しかもリディアンでさえフフっと微笑ましそうに笑った。
『腹立たしいならぶちのめしちゃってもいいのに、できないところがエレオノーラの可愛くて優しい所だよねえ』
過激派のリディアンから見ればエレオノーラは立派に慈悲深いのである。
和やかな雰囲気が流れる中、その雰囲気をぶちこわしにかかったのはマーラだ。
なにしろヒロインは悪役令嬢がいるからこそ引き立つ。
悪役令嬢が聖女扱いされてたまるか。
マーラのための物語なのだからエレオノーラは断罪されるべきである。あと単純に自分以外がチヤホヤされているのがムカついた。
『ふん。このまま逃げ切れると思わないでよね! ゲームの通りにギロチン送りにしてやるわ!』
マーラは内心高らかに笑いながら、顔では悲壮感を漂わせてバルディに叫んだ。
「騙されないでバルディ! この女は悪役令嬢なのよ……!みんなで一緒に証拠集めをしたでしょう? カーター! はやく証拠を持ってきて、ここで白黒つけましょう!」
マーラの強い言葉にカーターはうなずき、手下の生徒に取りに行かせた。
自信満々のマーラとリディアン、不安そうなバルディ、冷や汗をかきまくっているエレオノーラ。四者四様である。
ベルフィードとテセリオスは邪魔にならないように離れたところにいる。
もし、エレオノーラが彼らに助けを求めていれば、改心したと思い込んでいる彼らは騎士のごとくエレオノーラを助けるだろうが、リディアンがいる限り彼らの出番はないのである。