第十六話 アデライドのお茶会
エレオノーラが高ストレスな学園生活を送っているころ、リディアンは精力的に諸外国と新たな条約を結び、市場を求めて海外に目を向けていた。
特に蜜月関係にあるのはウラベスア大陸の火林国である。
「なぜ火林国から毎月たくさんの貢物が送られてくるのだ? やはり脅しているんじゃないか?」
ザナーガンがじとっと疑いの眼差しを向けるとリディアンは柔らかな微笑で躱す。
「いやだなあ。父上。火林国とは本当に友好関係を築いているんですよ。皇帝は若いですが、なかなか見どころのある面白い奴です。友達になりました」
真実はわからないが親書を見るにリディアンに心酔しているのがヒシヒシと伝わる。少なくとも脅しで奪ったわけではなく、心からのお礼で送ってきているようである。
「まあ、友好国が増えるのは喜ばしいことだ」
ザナーガンはひとまず息子を信じることにし、送られてきた財宝をありがたく受け取った。
「まあ、こんな美しい織物初めて見ましたわ!」
王妃ドロテアはキラキラ光る絹織物をうっとりとした目で見る。
「これは髪飾りですの? ゆらゆら揺れて素敵ですわね!」
金銀宝石がちりばめられた美しい髪飾りや耳飾りはどれも珍しく、それらの装飾品は王妃とエレオノーラに渡された。
そして、それを宰相デルシディアスが家族団らんの時に口を滑らしたのである。
「いやあ、火林国からの貢物は素晴らしかったぞ。 ティアラとも違う髪飾りは細やかな細工がしてあってエレオノーラ嬢によく似あっていた」
宰相としては友達の娘さんを褒めたつもりである。
しかし、アデライドにとってエレオノーラは仇敵だ。
「へ、へえ。お父様、火林国の貢物はそれほどまでに素敵なものばかりですのね。ところで、わたくしはどういったものを頂けますの?」
顔をひきつらせながらアデライドが尋ねると宰相はあっさり「ない」と答えた。
「火林国からの貢物は王家に対してのものだからなあ。エレオノーラ嬢は未来の王妃として飾りを献上されたのだ。何の関係のないわしらのところに来ないさ」
と宰相はガッハッハと笑った。
実務能力もあり、気のいいおっさんだがデリカシーにかけているのが欠点である。
アデライドは内心怒りまくっていた。
『あんな女が身に着けるよりわたくしが身に着けたほうが美しいのに、わたくしには何もないですって?!! お父様もお父様よ!! 娘を王妃にしたいとは思わないの!!!?』
宰相デルシディアスが娘を王妃にしないのは親心である。
なにしろリディアンが「エレオノーラと婚約できないなら火竜を召喚するよ?」と脅した現場にいたのである。
『こんなエキセントリックなリディアン王太子に可愛い娘を嫁がせるなんてとんでもない。バゼスティルマ公爵には悪いが、わしは娘を守り抜く!!』
宰相デルシディウスは娘思いの良い父親だった。
しかし、そんな親心を知らないアデライドは父に対して不満を募らせ、エレオノーラへの怒りを燃やした。
『絶対に婚約者の座を奪ってやりますわ!!!』
彼女は腹の内を押し殺し、父に微笑みかける。
「ねえお父様。わたくし、火林国のお話をもっと知りたいですわ。リディアン様とお話しする機会を設けてくださいな」
可愛い娘の頼みに宰相は「おお、そうかそうか」と喜んだ。本当に良い父親である。
彼はさっそく内務府主催の茶会の招待状をリディアンだけでなく高位貴族の令嬢たちに送った。この国で友達がいないアデライドを哀れに思った親心である。彼はデリカシーがない上に乙女心を読めなかった。
後で聞かされたアデライドは激怒して父に問いただした。
「な、なんですってお父様。リディアン様と一対一のお茶会ではありませんの!?」
「いやあ、なにしろお前はこの国に来て日が浅いだろう。これを機にお友達を増やすといい」
のほほんと言う父親にアデライドは詰る気も失せ、「こうなったら他の令嬢をリディアン様から離れた場所に追いやってやるわ」
そしてアデライドは一計を案じた。
『集合時間を一時間遅れで記載した招待状をエレオノーラに届けてやるわ。遅刻したところをあざ笑ってやりますわ!!』
かくしてアデライドの欲望渦巻くお茶会が開かれた。
場所は宮殿内の一室である。
騎士の一個大隊が整列しても十分の広さに複数のテーブルが置かれ、序列に従って席が割り振られている。
なお、リディアンのテーブルは二人席でもちろんアデライドが座った。
時間になってもやってこないエレオノーラにアデライドはにんまりとほくそ笑む。
『あげつらってやりたいですけど、それは本人の前でやりましょう。苦渋に染まる顔が見たいですわ!! まずはリディアン様に自己紹介をしなければいけませんわね』
アデライドは表情筋を酷使して最高の笑顔をリディアンに見せる。
「リディアン殿下。お会いできてうれしいですわ。昨年までユズフ王国におりましたので、殿下のお茶会に参加できなくて残念でしたわ」
暗に婚約者選びのお茶会に参加できなかったのは外国にいたためだとアピールする。
そして、ユズフ語が堪能なこと、難しい経済の話も披露していかに自分が有能かを売り込んでいく。
『ふふん。あの女は政治経済学が苦手なことは調査済みですのよ。リディアン殿下は実利を優先するお方。美貌だけでなく教養も頭脳も優れたわたくしを王妃に望まれるはずですわ』
しかし、リディアンはつまらなそうに扉の方向を見ている。
さっきからこの調子でアデライドは少しずつトーンダウンし、なんとか気を引こうと話題を変えた。
「あ、あの殿下?リディアン様とお呼びしてもよろしいかしら?」
「嫌だよ」
「え?」
アデライドは唖然とした。
まさか断られるとは思っていなかった。
なにしろ彼女は今まで男性に素っ気ない対応をされたことがない。
一瞬硬直したアデライドだが、すぐに気を取り直して笑顔を見せる。
「せっかくお知り合いになれたのですもの。お近づきのしるしにぜひ」
ウフフと懇親の笑顔を見せたのだが、リディアンは聞いちゃいない。
なにしろ開かれた扉から肩を上下させたエレオノーラが居たのだ。
「エレオノーラ! こっちだよ。早く早く! 君がいないと退屈で死にそうだったよ」
リディアンはさっきまでの無表情とえらく違い、喜びに満ち溢れている。
アデライドは嫉妬が爆発し、目を吊り上げてエレオノーラを睨んだ。
「まあ、バゼスティルマ様!! 遅刻なさるとはどういうおつも「エレオノーラ。君と一緒に食べたいと思ってお菓子を持ってきたんだよ。ダーガル用意を」あの、殿下」
エレオノーラを怒鳴りつけるアデライドだが、その声はリディアンの声に消された。
さらにリディアンは席を立ってエレオノーラの傍へと向かい、いつのまにか用意された二人掛けのテーブルと椅子に二人で腰を掛けた。
「火林国から贈られた縁起物のお菓子だよ。美味しいから食べてみて」
勧められたエレオノーラだが、この菓子は季節ものの貴重な果物が使われており、火林国の貴族ですらおいそれと口にできないものだ。
父から聞かされて「食べてみたい」と思ったものの、いざ提供されても口に運ぶ勇気はない。
さすがのエレオノーラも価値くらいわかる。
「リディアン様。お気遣いはとてもありがたいですが、貴重なものをわたくしが頂くわけにはいきませんわ。どうぞリディアン様が召し上がってくださいませ」
青ざめるエレオノーラにリディアンは眉根を下げ、愛しくてたまらないといわんばかりに微笑む。
「ねえ、エレオノーラ。貴重なものだからこそ君と一緒に食べたいんだよ」
「まあ、リディアン様……」
じいんと感動に打ち震えるエレオノーラの顔はまさしく恋する乙女である。
恋敵の喜ぶ顔程イラつくものはない。
アデライドはなんとか邪魔しようと顔を真っ赤にしながら駆け付けた。しかし、二人掛けなので必然的にアデライドは立ったままである。
「リディアン様!! 火林国と言えば、リディアン様の尽力で国交を結んだと聞いておりますわ!! わたくしも国の力になりたいのですが、女の身ではままなりません。せめてリディアン様を支えさせていただければと思います」
アデライドはもはやなりふり構ってはいられなかった。
『この際、側妃でもいいから地位を確約していただきますわ。エレオノーラはそのあとでゆっくり排除すればよいのよ!!』
同類は同類の考えがよくわかるものである。
意図が分かったエレオノーラは恐ろしい形相でアデライドを睨みつけた。
『この女。わたくしを排除するつもりですわね。 返り討ちにして差し上げるわ!!』
エレオノーラは頭をフル回転させて迎撃する言葉を探す。リディアンさえいなかったら遠慮のない暴言を吐きだすのだがそこはいじらしい乙女心である。
ところが、エレオノーラがちんたらしている間にリディアンが口を開いた。
心なしか嬉しそうな明るい声音である。
「国のために身を捧げるその気概、とても嬉しいよアデライド嬢。さっそく手配するから明後日には火林国に旅立ってくれるよね。あちらでは同盟の証に美女を送る風習があるんだって。僕はエレオノーラ一筋だからお断りしたけど、こちらから贈る分には全然かまわないんだよね。立候補してくれて嬉しいよ」
リディアンの表情はまさに喜色満面である。
アデライドにようやく笑顔が向けられたが、内容は実に酷い。
語尾の強さ、笑っていながらも真剣なまなざし。
リディアンが本気と言うことはこの場の誰もが痛感した。
「い、いやですわ!! そんなの絶対に嫌!!」
アデライドは真っ青になって取り乱した。
しかし、その返答にリディアンは呆れたようにため息を吐く。
「国のために力になりたいって言ったのに口だけだったんだね。」
蔑まれる目で見られ、アデライドは必死に弁明する。
「い、いえ!! ほんとうにわたくしはリディアン様のお力になりたくて……」
「おためごかしはもういいよ。それにエレオノーラに嫌がらせした相手をこの国に置いておくわけないだろう?」
リディアンは冷たく微笑む。
大好きなエレオノーラを陥れられ、内心怒り心頭なのである。
「そ、そんな……」
ポロポロと涙をこぼすアデライドにエレオノーラはさすがに可哀そうになってきた。
『好きな殿方に売り飛ばされるようなものですものね。しかも、リディアン様から蛇蝎を見るような目で見られている上、他の招待客にも醜態を見られてしまって……』
泣きわめいたアデライドの顔は化粧がくずれ、ぐっちゃぐちゃである。
あまりの酷さにエレオノーラですらハンカチを差し出したほどだ。
『化粧って崩れるとまるでオバケみたいで怖いですわ……!!』
エレオノーラからハンカチを差し出され、アデライドはハっとしたようにエレオノーラを見た。
『今まで敵視して陥れようとしたわたくしを助けようとしていらっしゃるの……? なんて心が広いのかしら』
ぶっちゃけアデライドの化粧崩れの顔が怖いのが大半の理由だが、そもそもが箱入り令嬢のアデライドは簡単に絆された。
「バゼスティルマ様。今までごめんなさい。わたくしがこんなことを言える義理はないけれど、お優しくて寛大なあなたこそ王妃に相応しいですわ。わたくしはあなたに生涯の忠誠を誓います!!」
アデライドは化粧が崩れたまま(本人は気付いていない)エレオノーラの前に跪いて手の甲に口づけを落とした。
遠目で見ると美しい令嬢が膝を折る姿は宗教画のように美しい。
しかも、陥れようとした相手に慈悲を与えたのだから、まさしく聖母である。
その場にいた貴族や従者はワっと歓声を上げた。
満足げに笑うリディアン、感激の涙をこぼすアデライド、美しいシーンに歓喜する観衆。
エレオノーラだけは消化不良のまま流されてお茶会は終わった。
帰宅後、エレオノーラは最近雇い入れた侍女のリューナに愚痴をこぼす。
彼女はエレオノーラのお気に入りである。
リューナは無表情かつ無口であるが、おべっかも使わないし、とんちんかんな返答もしない。
それがとても居心地がいい。
「ねえリューナ。良いことをしようとして称賛されるのは嬉しいわ。でも、何もしていないのに称賛されるのは気持ち悪くてしかたがありませんわ……。ああまた、悪寒が……!」
居心地の悪さに顔色を悪くするエレオノーラの真向かいでリューナはテキパキと茶を淹れてコクコクと相槌を打つ。
一通り、愚痴を言い終わってスッキリしたエレオノーラはリューナを解放した。
部屋を下がって廊下を歩くリューナに同僚の侍女が声をかける。
「リューナ、大丈夫だった? 怒られたりしてない? エレオノーラ様はとてもキツイ方だから大変でしょう。疲れたら交代するからね!」
「そうそう。わたしたちはまあまあ慣れてるから」
ベテランの彼女たちはリューナを心配して言った。
しかしリューナは首を振る。
「大丈夫ですよ。話聞いていませんから」
そう言い切る彼女は伯爵家の三女である。
頭がいいため「おまえならペルシディウスに通える!!」と両親からプッシュされていたが、「学校に行くのがめんどくさい。手っ取り早く金を稼いで旅に出たい」という至って己の欲望に忠実な理由でバゼスティルマ公爵家に来た。
「聞いていた通り、破格のお給料で懐があったかいです。この調子だとあと二年で目標金額まで貯まりそうですよ」
リューナは珍しく小さく微笑む。
ベテラン侍女たちは「まあ、リューナが納得しているならいいか」と胸をなでおろし、「でも疲れるだろうから他の仕事はあたしらが肩代わりしよう!」と面倒な仕事をすべて請け負った。
エレオノーラは好き勝手喋って気が晴れ、リューナはいつもの仕事をしているだけで破格の金が入る。
お互いいい関係である。