第一話 王子と魔術師
剣と魔法の世界アルファーラにある大陸イーザス。
その二割ほどをラヘンディア王国が占めている。
肥えた土地、豊富な水資源、さらに鉱山もあるので宝飾品はおろか武器の素材にも困らない。国王夫妻は温厚で統治能力も高い上に八歳になる王子リディアンは天使のような美しさで有名である。
「まあ、リディアン殿下よ」
「相変わらずステキね! きっと成長された暁には誰もが振り向く美男子になっているわ」
キャアキャアと黄色い声を上げるメイドたち。
新米の彼女らは廊下を通る八歳の王子リディアンにメロメロである。
王妃に似た優し気な顔立ちと洗練されたしぐさはまさに正統派王子様である。
しかも知能は気難し屋と名高い王立大学長が大絶賛するほどだ。
「このお年でこの知能とはご成長が楽しみでならんわい! この方の御代でラヘンディアはもっともっと発展するぞ!」と小躍りして喜び、翌日ぎっくり腰になったのは学生の間で有名である。床の中でも「リディアン殿下が大陸を統一してラヘンディアが帝国になって海の外の国も……!」とすこぶる笑顔で妄想を巡らせている。学長夫人は「うちのひと、急に饒舌になって若々しくなったわあ」と呆れ顔である。
このようにリディアンは非の打ち所がない完璧な王子と評判なのである。
だが、宮中ではそうでもない。
さっきの新米侍女はともかく、ベテランになるとリディアンのリの字を見聞きするだけで変な顔をする。
理由は一つ。
リディアンが天使の顔を被った人格破綻者だからである。
宮中の廊下を歩くリディアンは柔和で天使のようだが、彼の私室前に立つ男はどうみてもカタギではない。目は鷹のように鋭く、褐色の肌から異国情緒があふれている。知る人が見れば「あ、あれは獰猛で名高い戦闘民族グジュリの男では……?!」と腰を抜かすだろう。
そんな相手とリディアンはにこやかに会話している。
「首尾はうまくいった?」
「はい。仰せの通り無傷で連れてまいりましたが、態度が悪く、殿下の気分が害される恐れもあります」
「構わないさ。むしろ活きが良い方が楽しいしね」
嬉しそうに微笑むリディアンの顔は実に子供らしい愛らしさだ。
リディアンが私室に入ると床に転がされた男が二人こっちをみた。
先に騒いだのはローブを纏った男だった。
「きっさまー! このわしを誰だと思っている! 魔術師バフェグだぞ! それも下級どころか大陸に数人しかいないと言われる上級だぞ! そのわしを簀巻きにして連れ去るとは言語道断! 悪魔をも恐れぬ所業だぞ!」
落ちくぼんだ目、ボサボサの頭。年齢不詳の気味の悪い男がしわがれ声で叫ぶ。ところどころシミがある茶色のローブは彼の不気味さを一層際立たせていた。
次に騒いだのが毛むくじゃらの男。
「この野郎! 俺様はロブドフ王国の王ガーカだぞ!それをいきなり拉致りやがってどういう了見だ!すぐに縄を外しやがれ!その頭カチわってやるよ!」
ガラの悪い男が吠える。
刈り込んだ頭はまるで黒いハリネズミ。無精ひげを生やし、焼けた肌に胸毛もっさり腕毛黒々。極めつけは荒んだ目である。これで国王というのは無理がある。
豪華絢爛の王子の私室はまさにカオスだった。
麗しい幼児、異国の男、不気味なおっさん、ガラの悪いおっさんの四名が混在している。侍女侍従の精神衛生上、人払いをしたのは幸いだろう。
リディアンはむさくるしいおっさんその一(ガーカ)にひるむことなく、にっこり笑顔で話しかける。
「威勢がいいのは嫌いじゃないけど口の利き方には注意しなよ。僕は生粋の王族でお前は盗賊上がりの自称国王なんだからね。あーあ、旧王国リンデルは小さいながらも役に立ったのに、お前が乗っ取ってしまったから僕の商売が上がったりだよ」
唇を尖らせるしぐさはお子様らしくてかわいいが、言っていることは傲慢不遜である。
ガーカは青筋を浮かべて震えている。
リンデル国を強襲して玉座を乗っ取ったのは本当だが、王冠を被り玉座を堪能しているガーカにとって言われたくない言葉ナンバーワンが『盗賊上がり』である。図星を指されると人は怒るものだ。
「このやろう! 大人しく聞いてりゃ言いたい放題言いやがってクソガキが! しかも商売だと? お前のような小僧がリンデルの価値などわからんだろう! なにしろ他の国もリンデルの価値をわかっちゃいねえ! まだ公にはなっちゃいねえが、裏家業の連中にとっちゃリンデル産の武器はすげえ貴重なんだよ! まちがいなく大陸一の武器屋だ!」
ガーカが言い切ったところでリディアンは鼻で笑う。
「あそこはもともと彫金の国だったことは知っているかい? 至高の技術をもつ彼らに武器を作るように命じたのは僕なんだ。それを横からかっさらって職人を使い潰した張本人が価値を語るなんて馬鹿にもほどがあるよ」
リディアンが吐き捨てるとガーカの顔が真っ赤になる。
「うるせえ!ガキがぎゃあぎゃあほざくな!くそっこの縄さえなけりゃあてめえの面カチわってやるのによォ!」
ガーカは身動きが取れないままもがく。ジッタンバッタンと跳ねる姿はまさに魚である。
「縄をほどいてやって」
リディアンが言うと側にいた異国の男は剣を振って拘束を解いた。その瞬間、はじけるようにガーカはリディアンに飛び掛かる。
ニヤリと笑うガーカ。
クスっと笑うリディアン。
微動だにしない異国の男。
ガーカの拳がリディアンの顔に直撃する寸前、ガーカは一瞬にして塵になり、空中に溶けるように消えていった。
目を見開いて驚くのはバフェグだけ。
異国の男は平然としており、リディアンはさわやかな顔である。
「ま、まじゅ……つ?」
思わず声が漏れる。
なにしろ人間業じゃない。考えられるとしたら魔術だが、それ自体が異常である。
王族や貴族は魔力を持つが、それを使うためには致死率50%といわれる死ぬほどつらい修行が必要で、よほどの変わり者(バフェグはこちら。彼に暗い過去などなかった)か切羽詰まった者じゃないとやろうとは思わない。
ゆえに魔術師は貴重なのである。
ましてや下級魔術師はいざ知らず、上級ともなれば大陸に一人か二人いるかどうか。
そしてその上の最上級魔術師となると伝説の中にちょこっといるくらいだ。
上級魔術師のバフェグすらさっきの芸当は逆立ちしたってできない。せいぜいファイヤーボールをぶちかまして黒焦げにするくらいである。
つまり、この幼児はバフェグ以上の術者……すなわち伝説級である。
顎が外れんばかりに口を開けるバフェグにリディアンは優し気な微笑を向ける。天使の微笑だが、惨状を見た後のそれはまさに悪魔。
「手荒い招待で申し訳ないね。魔術師バフェグ。自由時間があまりとれなくて害虫駆除と一緒になっちゃったんだよ」
微笑まれているが、これだけでバフェグはチビりそうである。あと謝られている気が全くしない。
「君に来てもらったのは僕の先生になってもらうためだよ。魔術は独学で少し齧ったけど、やっぱり先生に習った方がいいじゃない? あと、魔術師は貴重だから他国にわたる前に囲いこみたかったんだよねえ。あ、もちろん報酬は払うよ」
建前と本音がごっちゃになっているが、そもそも彼に建前なんて必要あるのだろうか。丁寧な物言いだが恐怖しかない。
なにしろさっきまでバフェグとともに簀巻きにされていた奴が瞬殺されたのである。絶対これ断ったら瞬殺される奴!とバフェグの本能が察知し、簀巻きにされたまま頭を床に擦り付けた。
「報酬なぞ必要ございません! 私で良ければ手足になって御身のために働きとうございます!」
悲鳴のような声でバフェグが言えば、リディアンはにっこりと笑う。
「あ、そう? それじゃあこれからよろしくね。ダーガル、彼のことは任せたよ」
そう言い終わるとリディアンは一瞬にして姿を消した。
瞬間移動など上級魔術師のバフェグでも使えない。圧倒的な魔力量と驚くべき操作能力である。
「わし、教えることないよね……」
涙目でバフェグは言うが、異国の男は聞こえないふりをした。