三十五時限目 天野恋莉は宇宙を見る
ロールカーテンが、太陽の熱をほどよく遮っている。
目を閉じて幾度か深呼吸すれば、直ぐに微睡みの中へ誘われてしまうくらい心地よい時間帯。欠伸が出そうになり、咄嗟に口元を隠した。それでも、緩んだ涙腺までは隠せない。目頭から溢れる雫を悟らせまいと顔を覆ったまま、空いたお皿に頭を垂れるように俯いた。
向かいに座るユウちゃんは、サラダとパスタだけでお腹は満たされたかな。そう思って、彼女の顔を指の隙間から覗き込む。満足はしたけど、ちょっと物足りないみたいな思案顔。食後のコーヒーを飲みながら、店内のどこかに視線を向けていた。
欠伸と涙を完璧に隠し通せたと確信して、仮面の代わりにしていた両手を取った。目の前に座っているのは、見た目こそ女の子だけど男子だ。可憐な少女を目の前にして思う感想ではない。
なんて、ちぐはぐな所感だろう。
彼を〈彼女〉と呼称するのも、女子よりも女子らしいと嫉むのも、彼女には些々たる問題かも知れない。私だけがそれを意識して思考を凝り固めているだけなら、一人で相撲を取っているのとなんら変わりない。滑稽ね。自嘲していると、さっきまでそっぽを向いていたユウちゃんが私を見ていた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもないわ」
もしも、鶴賀君とユウちゃんが別人だったら。いつまでも、幻想を追い続けてしまうのは、私の悪い癖だ。彼女は立派な女の子であり、男の娘。
男の娘と書いて『オトコノコ』と読む。
だれが最初に言い出したのか。言い得て妙だ、と思う。男性と女性。相反する存在だからこそ、噛み合わないようでいて、重ねてみると噛み合ってしまうものなんだ。性別って不思議。なにより、私の前に座している彼女がミステリーを極めている。
元々、鶴賀君は中性的な雰囲気のある男子だ。
教室の隅の席で斜光を一身に受けながら、黙々と読書をする佇まいは、私の目に儚く映る。手元にカメラがあったら、思わずシャッターを切ってしまうだろう。彼の姿は影となり、深い緑の葉と葉の間からシャワーのように降り注ぐ斜光と、萌え木の揺らめきを際立たせるはずだ。携帯端末のカメラ機能ではなく、ちゃんとしたカメラで撮影したい。お小遣いを貯めて買おうかしら? とまで考えて、それだけのためにカメラを買うのもどうかしら? って打ち消した。
こうしている合間にも、時間は刻々と過ぎていく。昼食デートをするために電話をしたわけじゃない。
彼がどういう人で、どういう考え方をするのか。そして、なぜ、その姿を選んで私の元へ来たのかを知りたい。知らないといけない。
友人以上の関係を築くなら、組み上げようとしているパズルの隙間を、全部とは言わずとも、全体像が見えるくらいには仕上げないと。
どう、訊ねたらいいのかしら? 普段、友だちに話しかける際に、どんな言葉を選んでいたか意識するなんて、梅高に入学して以来だ。
「ねえ」
と、ユウちゃんに声をかけた。
「なに?」
えっと……。
続きを言うべきか躊躇う私を、彼は不振に思うかもしれない。つい、「お腹はいっぱいになった?」なんて、臆病な返しで逃げてしまった。
「心配しなくても大丈夫だよ。お腹減ったらまたなにか注文するから。デザート、とか?」
「なんで疑問系? 気にしないで、好きなもの食べていいわよ? なんだったら、私が追加注文してあげるけど」
「本当に、本当に大丈夫だから」
ユウちゃんは『本当に』を強調させて、両手を小さく前に突き出し、頭と一緒に揺らす。こんな言葉をかけるつもりじゃなかった。物怖じせず、はっきり言う天野恋莉も、恋心を抱く相手を目の前にしてはたじたじね。
目の前にいる子は、やっぱり綺麗で、可愛らしくて、儚さや憂いの表情すらも魅力的に感じてしまうくらい、彼女のことが好きなんだ。
どうしても、ユウちゃんと鶴賀君を切り離して考えてしまう。
だからこそ、今日は鶴賀君と話したいって伝えたのに。でも、鶴賀君はそうしなかった。彼のことだから、私の裏の気持ちを察したのかも知れない。私を喜ばせようとした結果がユウちゃんの姿だとしたら、これこそが鶴賀君の優しさ。
ひとつ、パズルのピースが埋まる。
「レンちゃん。今更な質問をしてもいい……?」
突然、ユウちゃんは顔を俯かせて、子どもがおねだりでもするような上目遣いで私を見た。それは狡い、可愛い過ぎる。抱き締めたい衝動を無理矢理殺して、「なに?」と返事をすると、ユウちゃんはテーブルの上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。
訊きたいことってなんだろう?
彼女の緊張が私にも伝染したかのように、心臓が締め付けられる。
「レンちゃんを、なんて呼んだらいいかな」
「なんてって?」
「私の正体を知られた状態で、以前と同じように接するのもどうなのかなって思って……。さすがに、馴れ馴れしくしない?」
どうしよう、可愛い。
ネットで、枕詞として代用される『待って』という言葉の意味を初めて理解した。
どうしようもなく可愛い、感動した……そういう状況で、火山のように噴火してしまわぬように一呼吸置きたい。それゆえに、『待って』だったんだ。
それにしても、目の前にいる〈男の娘〉は、大人びた雰囲気と、小動物のような愛くるしいさを合わせ持つなんて反則よ。マジで。
つい動揺して、佐竹みたいになってしまった。
これからは、突発的に語彙力を失う現象を『佐竹る』と名付けようかしら。
「レンちゃん……?」
「え? あ、ごめんごめん! 私は気にしてないから、いままで通りに呼んで?」
「うん。そうするね」
ダメだ私、早くなんとかしないと。
どうしようもなく愛おしい気持ちで、胸が張り裂けそう。『同性を好きになる』って、自分では受け入れたつもりだったけど、改めて、『同性恋愛を受け入れた』と、私は認識した。……男の娘だけど。
だったら尚更、鶴賀君と、どういう関係性を築いていけばいいんだろう。私は、どう向き合っていくべきなんだろう。
私の頭の中は滅茶苦茶で、好きになった相手はもっと破茶滅茶な存在で、滅茶苦茶と破茶滅茶が相まり、ちょっとしたビッグバンが発生するくらいには気が動転していた。
それはつまり、新しい宇宙が生まれてしまったということ? その新しい宇宙に、私はなにを求めるの?
アインシュタインが垣間見た、世界の真理とは真逆の世界。
空海法師が悟りを開いた、色即是空の曼荼羅とも違う輪廻の狭間。
どちらかと言えば、愛で平和を訴えたジョンとヨーコのような感覚。
いや、それも違うわね。アインシュタインも、空海も、ジョンとヨーコだって同じ世界を夢見たんだと思う。その夢が儚く散ろうとも、残された人々が紡いだ新しい宇宙に蕾を添えて、芽吹いていくのを待っている。
こんな例えは、大袈裟過ぎるかもしれない。でも、それくらいの衝撃だ。
ひとつ、私自身を描いたパズルのピースが埋まる。
答えは、私が生み出した宇宙の中にあるのかしら? 彼に訊ねて答えを得ても、その答えに納得できたとしても、私が自らの手で、一つ一つ、彼を描いたパズルを組み上げていかないと、納得してもしきれないはずだ。
スタートラインが間違っていたならば、輪郭だけは残して、もう一度、確認しながら、丁寧にパズルを組みあげていこう。
額縁から、全てのピースを振り外した。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが『感想』『ブックマーク』『評価(最新話の下部にあります)等』をして下さると、大変励みになりますので、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2020年1月16日……加筆修正、改稿。