三十二時限目 雨が降っても地は固まらず[中の上]
倉庫から出てきたのは、姉貴だけだった。
一仕事終えてすっきりしたといわんばかりの所得顔を浮かべて、「フンフンフーン♪」と鼻歌を鳴らしながらテーブルへと戻ってきた。然し、座る様子はない。テーブルの横に立って、ぐるりと俺たちを見た。
俺たち全員とアイコンタクトしてから、なにを企んでいるのか薄気味悪い笑顔を湛える。碌でもないような計画を閃いたのかも知れないと思うと内心穏やかではいられず、姉貴が喋り始めるまで固唾を飲んで押し黙っていたら、嫌味ったらしく失笑された。
「大型動物に怯える小動物みたいな顔してるわよ?」
「お、怯えてねえし!」
姉貴は興味なさそうに「ふーん」とだけ返して、俺から視線を外した。
「……なるほどねえ」
なるほど……? なにに対して『なるほど』と納得したかわからずにぽかんとしていたら、恋莉がテーブルをこつこつ叩いた。
「口が開いてるわよ」
「うるせえな、開けてたんだよ」
「酷い言い訳ね……」
姉貴が見守る傍らで所在無いやり取りをしていたら、少しだけ落ち着きを取り戻せた気がする。
だが、全て丸く収まったわけじゃない。
いまも尚、姉貴は悪意を感じる笑みを湛えていた。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「いまはまだ、言わないでおくわ」
はあ? と不平を鳴らして抗議しても、答える気はさらさらない様子で、「それじゃ」と切り出した。
「後は若い者に任せて、老兵は退散するわ」
「なにしに来たんだよ。……ガチで」
「その理由は、これからわかるわよ」
会計は払っておくから♪ と言って、姉貴は照史さんに声を掛ける。
楓と恋莉は支払いを拒んだが、「いいのいいの♪」と伝票を奪い、そのままレジへと向かって支払いを済ませた。
「若者たちよ、青春を謳歌したまえ!」
と言い放ち、ご機嫌なままで退店していった。
姉貴が退店して暫くの間、嵐が過ぎ去ったような静けさに放心していると、楓が横髪を耳に掛けて、「行ってしまいましたね」と小さく呟いた。
「ちゃんと〝ご馳走様でした〟って伝えておいてよ?」
カラカラに渇いた喉を潤してから、「おう」とだけ返事をして、コップに残った水を一気に呷った。氷はもう溶けていたけど冷たさは残っていて、渇きだけでなく、倦怠感まで洗い流してくれたようだ。
姉貴が退店してからも、優志は倉庫に閉じ篭ったまま出てくる気配がない。
「遅えな……」
様子を見に行くべきだろうかと頭を捻った。
べ、別にやましい理由なんてこれっぽっちもないぞ? と自分に言い訳しながら席を立とうとしたら、開かずの間になっていた倉庫のドアがガチャリと開く。
倉庫から出てきたのは、春らしい爽やかな服に身を包んだ美少女だった。
* * *
三人は、私を見るなり目を丸くした。
いや、目を疑っているようにも見える。
私が〈優梨〉の姿で戻ってくるのは察しているばかりだと思っていただけに、集まった視線に息が詰まってしまいそうだった。鼻から息を吸って、ふうっと吐き出す。胸の中心辺りに蟠った黒い煙霧も一緒に吐き出したかったけど、油のようにこってりと絡みついて離れてくれなかった。
「待たせてごめん」
こんなに待たせるつもりはなかったけど、どうにも心の整理がつかなくて、ドアを開けるのを躊躇ってしまった。
でも、整理はまだできてない。
オモチャ箱をひっくり返したように、心の中はぐちゃぐちゃと散らかったまま。足の踏み場もない部屋で、床に転がるオモチャたちを蹴飛ばすようにしながらドアに辿り着いたけれど、ドアノブに手を乗せては下ろしてを何度も繰り返してた。
とはいえ、このまま三人を待たせるのは気が引けると思い、意を決してドアノブを回していまに至ったわけだけど、心の準備ができてなかったのは、私だけじゃなかったみたいだ。
「よ、よう」
状況が呑み込めずにいる佐竹君は、おっかなびっくりしながらも小さく手を挙げる。
「いつもより気合い入ってねえか? 普通に」
「琴美さんがメイクしてくれたから、ね」
笑ってみせようと心がけても、頬が固まってしまったのか、愛想笑いみたいになってしまった。
「ユウちゃん……、でいいのよね?」
「うん」
自分を〈優梨〉と称していいのかどうかもわからないまま、レンちゃんの問いに首肯した。
「なんだか、いつもと雰囲気が違いますね」
「琴美さんの腕がいいからかな?」
いいえ、と楓ちゃんは首を振る。
「そうではなくて、あの……、無理をしてるように感じます」
無理してないと言えば嘘になる。
でも、皆に望まれているのは優梨だ。
「大丈夫だよ」
とだけ答えて、佐竹君の隣にすっと座った。
「そう言えば、琴美さんは?」
ひっちゃかめっちゃに場を荒らした張本人の姿がどこにも見当たらず、隣に座る佐竹君に訊ねてみる。
「姉貴は……多分、帰った」
「ここまでの会計を支払ってくれたわ」
レンちゃんが佐竹君の補足をしたら、楓ちゃんは栗鼠のように、ムスッと頬を膨らませた。
「いいところだけ全部持っていかれて不満です」
「楓も、無理に奢ろうとしなくていいから……」
力を持つ者が力を振るうのに理由はありません! と、まるで時の権力者のような台詞を吐いて拗ねる。
「金銭的には、私のほうが勝ってますので!」
「力こそパワーかよ……」
──力とパワーは同じ意味では?
──ネタにマジレスすんな!
「佐竹君だったら本気で言いそうだもん」
「俺のアウェー感えげつないな!?」
気を遣ってくれたってわからないほど鈍感ではいられないので、無理矢理にでも会話に交ざったのが功を奏したのか、笑みを浮かべられるくらいには緊張が解けた。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが『感想』『ブックマーク』『評価(最新話の下部にあります)等』をして下さると、大変励みになりますので、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2020年1月6日……加筆修正、改稿。