三十一時限目 彼女はいつも真実だけを突きつける[前]
縹色のジーンズに無地の黒パーカーというラフな服装で、佐竹琴美はカウンター席に座っていた。
美大生の琴美さんは、同人サークルに所属して漫画を描いている。
琴美さんが所属しているサークルは、創作クラスタ界隈で圧倒的な知名度を誇り、琴美さん自身もちょっとした有名人らしい。
佐竹琴美は、家族団欒するリビングでも、白昼堂々とBL原稿を描くくらい大胆不敵な妖怪メンタルお姉さんで、僕に女装のいろはを教えてくれた師匠でもある……のだが、物怖じしない態度と、だれにでもフレンドリーに接する性格は、引っ込み思案な僕だと手に余る。
といっても、リスペクトが無いわけじゃない。
佐竹の家に泊まったときに、琴美さんが描いた漫画やデッサンを見させてもらって、内容は兎も角だけど、画力の高さに脱帽させられた。そればかりでなく、相手の心理を読むのも長けていて、内臓まで見通しているのでは? って疑問に思ってしまう。
琴美さんと心理戦をしても、僕に勝ち目はないだろう。
だから苦手ってわけじゃないとしても、琴美さんと話していると、死神と対面しているような気味の悪さを感じてしまうのだ。
そんな死神よろしくな姉と毎日顔を合わせる佐竹は、もう慣れてしまったのだろう。それか、麻痺してしまったのかどうかはさておき、精神的には鍛えられたに違いない。
僕が佐竹に対して嫌味たっぷりな皮肉を吐いても、笑いながらツッコミを入れられるのだから、佐竹の寛容さは大したものだ。
だが、いくら他者に対して寛容であっても、プライベートな時間に姉と出会すのは本意ではないようで、ダンデライオンに踏み入ってから、一直線に姉が座る席に向かっていった。
「なんで姉貴がいるんだよ」
出て行けとばかりに詰め寄る佐竹に、琴美さんは余裕の表情を見せる。
僕の視点からでは佐竹の表情まで窺えないけれど、迷惑そうに眉を顰めているに違いない。
「どこでなにをしようが、私の勝手でしょ?」
琴美さんは殊更に興味無さそうで、佐竹を無視するようにコーヒーカップを呷った。
たしかに、そうだ。
琴美さんがどこでなにをしようが、琴美さんの勝手だ。
でも、タイミングが妙ではある。
僕らがこの店に立ち寄るのを知っていたかのように待ち受けていたし、店内入口正面の席を選んだのだって、挑発しているみたいだ。
「そうだけど……」
佐竹はなんとか言い返そうとするけれど、琴美さんにギロりと睨みつけられて、以下に続く言葉を呑み込んだ。
琴美さんは、目の前にいる佐竹に興味を失ったのか、視線を外して僕を見る。目が合うと口元をにたりと歪ませて、再び佐竹に視線を戻す。目が合ったのはほんの一瞬だったはずなのに、そのコンマ数秒の時間がやたらと長く感じた。
「私がここにいて、義信に不都合なことでもあるのかしらあ?」
「別に……」
おそらく、なにかを察したのだ。
嫌味たらしく口元を歪めるときは、大抵、碌なことにならないと断言できる。
佐竹の家に訪問して、初めて琴美さんに会ったときも、いまみたいな訳知り顔をしていた。
そうはいっても、目と目が合った瞬間に全てを察するなんて芸当は、超能力者でやメンタリストでもなければ不可能だ。
では、どうやって内情を把握しているのか。
注目すべきは、琴美さんの言動の数々だ。
常に相手より有利な立場でいようとするのは、交渉しているのは自分ではなく相手のほうだとするために他ならない。
相手よりも上の立場なら、交渉の席をコントロールできる。
相手を煽るのだって、無闇矢鱈に揶揄ってるわけじゃない。感情的になり、余計な一言を口走るのを待っているんだ。
言質さえ取れてしまえば、それを人質代わりに交渉していけばいい。
暴露系の配信者がよくやる手法である。
琴美さんは勝ち誇るかのように「だからアンタは愚弟なのよ」と言い放ち、蔑んだ目で実の弟を見下した。
いくら家族といえども、行動まで制限する強制力はない。
『どこでなにをしてようが勝手だ』
って言い分は、間違っていないと言える。
然し、琴美さんはその言い分の内訳を言明してないから、筋が通った文句とは言えない。
卑怯なやり方だ、と僕は思う。
「まあまあ、ひとまず座ったらどうかな?」
凍りついた空気を察した照史さんは、見ていられないと思ったのか間に割って入った。でも、兄弟喧嘩の仲裁をするわけではないようだ。
「家族だからこそ、いろいろあるよね」
気遣うような言葉を訊いて、琴美さんが失笑する。
「なにもないわよ。なにも持ってないもの、そこにいる愚弟は」
その言葉は、僕の心臓をチクリと刺した。
「これ以上お客様に悪態を吐くのなら、いますぐツケている分を支払って貰おうかな?」
「げえ。踏み倒そうと思ってたのに」
「全て帳簿に記入してあるから、そう簡単に踏み倒せると思わないほうがいいよ?」
いくらツケてるんスか? と佐竹が訊ねる。
然し、照史さんは首を振って回答を拒否した。
「個人情報だからね、言えないよ」
「言えないくらいの額をツケてんのか、姉貴」
「うるさいわね。アンタには関係無いでしょ」
ついさっきまでは、佐竹が圧倒的に不利な状況だったのに、『ツケをしている』とバラしてから状況が一変した。
さすがの琴美さんも、照史さんには逆らえないと歯噛みして悔しがっている。
弱みを握られているのだから当然だし、自業自得だとしか言えないが、その一方で、同人誌界隈で知名度がある、と言っても、収入が安定しているわけではないんだなと、世知辛さも感じた。
マイナーな世界だもんな、BLって。
ボーイズラブ、という言葉が浸透して、おっさんとおっさんの恋模様を描いたドラマが地上波で放送されたとしても、BL漫画が大衆娯楽として流通するのは難しい。
それは、女性同士の恋愛も同じだ。
同性愛という恋愛は、長くに渡って禁忌とされてきた。
ボーイズラブや、ガールズラブといった言葉が認知され始めたのもここ数十年であり、これまで禁忌とされてきた年月のほうが遥かに長い。だから嫌悪する人だっているし、悪ふざけで『ホモ』をネタにする低俗なヤツらもいる。
漫画やアニメ、そしてドラマといった媒体で周知されたとしても、受け入れられるかは別の話だから仕方がない。だからといって、馬鹿にしていい理由にはならないはずだ。
他者と違うってだけでバッシングするのは、風土病といってもいい。
嫌なものは嫌、で構わないと思う。
嫌だと思うならば近寄らなければいいだけだ。
それなのに、なんやかんやといちゃもん付ける必要性は無いだろう。『嫌なら見なければいい』って、とある人気芸人がラジオで言ってたけど、この言葉は真理だなって思った。
まあ、そのせいで彼が出演していた番組は視聴率が落ちて、ついに放送終了とまで至ったのだが、ことわざには『触らぬ神に祟りなし』って言葉もある。
結局、SNSで罵詈雑言を我が物顔で言い放っているヤツらは、自分の足で地雷原に踏み込んでおいて、『どうしてここに地雷があるんだ』と叫んでいるに過ぎない。
それこそ滑稽だし、愚かだとは思わないだろうか? ……思わないんだろうな。
そういう輩は、多かれ少なかれ『批判する自分かっけー』なのだから。
【備考】
この度は『女装男子のインビジブルな恋愛事情。』をご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
今回の物語はどうだったでしょうか?
皆様のご期待に添えるように全力で書いていますが、まだまだ実力不足な私です。次はより面白い作品が書けるように、これからも努力して参ります。
【瀬野 或からのお願い】
この作品を読んで「面白い! 応援したい!」と思って頂けましたら、お手数では御座いますが『感想』『ブックマーク』『評価(最新話の下部にあります)等』をして下さると、大変励みになりますので、どうかよろしくお願いします。
【誤字報告について】
作品を読んでいて〈誤字〉、もしくは〈間違った言葉の使い方〉を見つけた場合は、どうぞご遠慮なく〈誤字報告〉にてご報告下さい。
その全てを反映できるかはわかりかねますが(敢えてそういう表現をしている場合も御座います)、『これはさすがに』というミスはご報告を確認次第修正して、下記の【修正報告】に感謝の一言を添えてご報告致します。
「報告したら不快に思われるかも」
と躊躇されるかも知れませんが、そもそも『ミスしているのは自分の責任』なので、逆恨みするような真似は絶対にしません。どうかご安心してご報告下さいませ。勿論、誤字しないのが一番よいのですが……。
報告、非常に助かっております。
【改稿・修正作業について】
メインストーリーを進めながら、時間がある時に過去投稿分の改稿・修正作業を行っております。
改稿・修正作業はまだまだ終わりませんが、完成した分は『活動報告・Twitter』にて、投稿が済み次第お知らせ致します。
最後になりますが、現在ブクマして下さっている方々や、更新してないか確認をしに来て下さる方々、本当にありがとうございます。
完結を目指してこれからも書いて参りますので、引き続き応援して下さると嬉しいです。
これからも、
【女装男子のインビジブルな恋愛事情。】
を、よろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【修正報告】
・2019年2月21日……読みやすく修正。
・2020年1月2日……加筆修正、改稿。
・2020年6月7日……タイトルの間違いを修正。