三時限目 新しく芽生え始めている〝なにか〟 3/3
アイツがトイレで着替えている最中、手持ち無沙汰に携帯端末を弄っていた。頃合いのベンチもあったし、気持ちを落ち着かせるには丁度いい。
SNSを開いてみると、バスで一緒だったヤツらはカラオケに行ったようだ。『カラオケ最高!』とハッシュタグを付けて、散らかったテーブルの写真をアップしていた。俺もカラオケに参加してえなあ……マジで。その写真に煙草や酒っぽい物が映ってたら大炎上だが、コイツらは煙草や酒を呑むようなヤツじゃないと思いたい。
にしても、遅い。女のトイレってやたら長いよなって、アイツは女じゃないんだった。昨日の夜にあの姿を見てからというもの、その姿がいちいちチラついてどうにもならん。さっきもそうだ。どことなく女っぽい仕草がこう……俺の胸を騒ぎ立てる。
姉貴、やり過ぎじゃねえの、ガチで。
──俺好みのメイクにしたとか、姉貴は言っていたな。
アイツの様変わりように驚いて本音がぽろりと出ちまった。けど、性別までもが変わるわけじゃなし。
どうかしてるぞ、俺。
「ごめん、お待たせ」
声がして顔だけ向けた。
声だけ訊くとマジで女だ。
──うん?
「それ、どうした!?」
ユウは強風で吹っ飛んでしまうんじゃないかって思うくらい華奢だが、それでも体は男性のはずだ。なのに、胸には小さな膨らみがある。おかしいだろ、ガチで。
肥満体型のヤツだったら、まあそれなりにあるだろうけど、ユウはカリッカリのひょろひょろだぞ?
「そんなに見ないでよ。恥ずかしいから」
頬を赤らめて、瞳もどこか潤んでいるようにも見えた。印象が変わるとこうも見えかたが違うもんなのか? 胸はパットでも入れたんだよな、多分。そんな小道具いつ仕入れたんだよ……姉貴の仕業か!
「悪い。まさかここまで完璧に仕上げてくると思ってなくてさ。マジで女だわ。女以上に女だわ」
「なにバカなこと言ってるの……ほら、いこ?」
トイレの中でなにが起きた? 昨日の夜、姉貴の調教にも似た特訓を受けていたし、今日もずっと上の空で、考えごとをしているようだった。
それがいま、この状況を生み出した? だとするならコイツは演技が普通に上手いのかもしれない。はっきり言って女だ。いや、女以外のなに者でもない。コイツはいま、鶴賀優志じゃなくって、〈優梨〉という架空の人物にすっかりなりきっているんだ。表情も雰囲気もさえも、優志だったときの面影はこれっぽっちも無い。
マジでやばい。
──としか言えねえ。
戸惑いつつも受け入れて、百貨店の出口へ向かおうとする俺の左手に右手が絡んできた。
「え。お、お前マジか」
柔らかな手は、氷のように冷たくなっていた。
緊張してるんだ、コイツも。
「こうでもしないと恋人に見えないもん。嫌なのはわかるけど我慢して」
「お、おう」
もんって言葉遣いもここから徹底すんのか!? そこまでしなくてもいいと思ったが、ここは合わせるべきなんだろう。──それにしても。
このいい匂いはなんだ? これじゃまるで、本物の女子とデートしているような気分にまでなってくる。俺は優梨の正体を知っているはずだ。そのはずなのに、心臓がばくばくと脈を打つ。
コイツは正真正銘、男だ。男だ、男だ……。
自分でも吃驚する程に高鳴る胸の鼓動を『勘違いだ』と鎮めるよう努力した。姉貴が魔改造を加えたからレベルは相当高いのも認めるし、隣で頬を真っ赤にしながら俯いているコイツが可愛いのも認めよう。──だが、男だ。
ここまで化けるなんて普通は思わないだろ? 散々文句を垂れながらも身を呈して協力してくれてることには感謝しかない。だが、そこまで真剣に付き合ってくれるとも思ってなかっただけに、俺のほうが気恥ずかしくなるっての。
──めっちゃくちゃ嫌がってたのは嘘だったのか!?
もう、どこまでが本気でどこまでが演技なのかわかんねえな、ガチめに。
「なに? さっきからジロジロ見てるけど」
「お前さ、もしかして女装慣れしてたりする?」
足が止まった。
「〝さっきまでの私〟のことは忘れて? そうじゃないとボロが出ちゃうから」
う、うっす。
「いまだけは〝佐竹君の彼女〟だよ」
はにかむような笑顔を俺に向けるコイツは、紛れもなく美少女と言っても過言じゃなかった。可愛いかよ、クソ。多分、コイツが本当に女だったら間違いなく、絶対普通にガチで惚れてる。
いや、ちょっと待て。
いろんな意味でもちょっと待て。
姉貴の特訓云々だけじゃ、ここまで優梨にはなれないはずだよな。
だってそうだろ? 俺なら根を上げるくらいの膨大な知識を、たった一日──正確には半日か──で自分の物にするなんて不可能だ。
やっぱり、コイツの中には『こういう本性』のようなものがあるのかもしれない。普段は何考えてるのかさっぱり掴めないヤツだけど。──あのとき。
コイツに話しかけて正解だったな。
普通に面白いヤツだし。
そんなことを考えながら、ユウの荷物を駅にあるコインロッカーに預けるために駅への道を歩いた。
すれ違う人々から俺らはどう見えているのだろうか?
恋人同士と認識されているのか?
たしかなことは、ユウに視線が異常なくらい向けられていることだ。なるほど。だからコイツはさっきから、姉貴が言っていた『女より女らしく』を貫いているのか。
それなら、俺がコイツを守ってやらねぇと。
──は?
いや待て、男だぞ。
なにをどう守れって?
これから恋莉に会うのに、俺がこんなボロボロじゃダメだ。
どうかしてるぞ、俺。隣にいるのはクラスでぼっちで、未だクラスに馴染むことができていない、クラスメイトの名前も顔も覚えてない『野郎』だ。
そして、いまは俺の彼女、か。
──にやけてんじゃねえよ、気持ち悪い。
コインロッカーに辿り着き、ユウは鞄の中から必要なモノだけを取り出して、他の物をロッカー内に押し込むようにして入れた。
「財布とかどうしよう。さすがに鞄は持てないし」
「俺が預かるか? お前が嫌じゃなきゃだけど」
どうせ断られるだろうけど、一応提案してみる。
「うん、ありがと。お願い」
「お、おう」
よくそんな簡単に他人に貴重品を預けられるな。
信用されてると素直に受けとめていいのか?
「どうしたの?」
「あ、いや……なんでもない」
「変な佐竹君。ほら、急ご? 天野さんが待ってるよ。あまり待たせると怪しまれちゃうんじゃない?」
「そうだな」
行くか。
俺は預かった貴重品を鞄の中へしまうと、再び手を繋いで待ち合わせであるファミレスへと急いだ。繋いだ手が薄っすらと汗ばんでいるのは、きっとお互いに緊張しているからだろう。それとも、他に理由が? まさか、そんなはずはないだろ。
【誤字報告】
・2021年2月15日……本文の微調整。