四百七十一時限目 友としてできること
「普通に似合ってんだし、優志も優梨もどっちでもよくね? マジで」
「え」
どっちでもいい? 思わず変な声が出てしまった。
佐竹は持っていたカップを受け皿に置き、口元をおしぼりで拭う。
「楓の発言の真意なんて、本人にしかわからねえ。だったら種明かしする必要もないだろ? 俺はそのドレスが似合ってると思った、以上!」
と、締め括られてしまった。
「佐竹の言い分はもっともだけど──どうしてくれるのよ、この空気」
「空気なんて読みたいやつが読めばいい。そもそも〝空気を読め〟って強要する風潮がうぜえし、言いたいことが言えない世の中なんてポイズンだろうがよ」
珍しく佐竹がグレートなことを言うものだから、デーデレレーン、デーデデレレーン、とエレキギターの痺れるリフが脳内再生余裕、待ったなしである。なん一〇年前の作品だかわからないが、僕らの世代でドラマの内容は知らずとも、この曲の認知度は少なくない。
だがまあ、佐竹はどちらかというと、空気を読むというより壊すほうが得意なんだよな。勿論、いい意味と悪い意味の両方で。
「さすがにこれは、優志さんも形なしですわね」
「参ったよ、ほんと」
お前の席ねーから! 状態からの復活劇を目の当たりにして、これ以上言及する意味を見失ってしまった。
ハンマーで壁を叩き割られた女子高生の気持ちとは別物だが、呆気に取られたという意味では相違ないだろう。
「優志が言いたいこともわからなくはねえよ? でもよ、楓がそのドレスを贈った意味なんて、どうせ大した理由じゃねえだろ」
「そうなの?」
言おうとした質問を、天野さんが問う。
「私なりに意味を込めてお贈りした代物ですが──どう捉えようと優志さんの自由です」
「この展開は読めなかったなあ」
愚痴が喉を衝いて出た。
こんな状況になるなんて、読めるはずがない。
存在感を空気レベルにまで透かした僕であっても、読めない空気はあるのだ。
「締まりがつかない状況ですね」
微苦笑を浮かべる月ノ宮さん。
僕は「コホン」と咳払いをして、
「今更だろうけど、僕の感想というか、お気持ち表明的なことはしておきたい」
弛緩した空気はどうにもならなそうだが、それでも──。
一呼吸。
「月ノ宮さんは、このドレスを僕に着させ、二人に、優梨の姿を重ねさせようと、巧みな話術で誘導した」
何故そんなことをしたのかは、この点に繋がる。
「僕のこの姿を見て二人がどういう反応をするのかたしかめたかった──違うかな?」
もう格好もなにもつかないのだが、それでもと無理矢理続ける。
僕はホームズではないし、コロンボでもない。異議あり! と相手を追い詰める弁護士でもなければ、桜吹雪の刺青で全てを片付ける破天荒なお奉行様でもないわけで、いくら格好つけようとも男子平均よりも劣る貧弱な一高校生に過ぎないのだ。──こうも自分を卑下する言葉がすらすら出てきてしまうのが頗る残念でならない。
月ノ宮さんは僕の発言を否定しようとはしなかった。
「いままで優志さんは、優梨という存在を演じるために女装をしてきました。佐竹さん、恋莉さんとデートする際も、できる限り女装して馳せ参じていますね? だから、優志さんのまま女性服を着た姿を見て、それを受け入れられるのか見定めたかったのです」
え、ちょっと待ってウソやだなんで知ってるの? 月ノ宮家の情報収集能力ってやつ? 必殺お仕事人なのん? と訊ねたら一から一〇どころか一〇〇まで答えられそうでやめておいた。
知らないほうが幸せなことってあるよね。クラスメイトの評価や他人の裏の顔とか、知っても得しないものに首を突っ込む必要はない。興味本意で首を突っ込もう者は、無慈悲に首を撥ね飛ばすのが世間の常なのだ。これ、重要だから覚えておいて損はないゾ。
月ノ宮家の恐怖に呑まれそうになっていた僕は、「どうしてそんなことを?」と質問する天野さんの声を訊いて意識を取り戻した。
「優志さんにはいろいろとご迷惑をかけてしまいましたので、ほんの罪滅ぼしではないのですが、背中を押す意味でそのドレスをお贈りしました」
月ノ宮さんが言う『迷惑』とは、婚約者云々の件だろう。大したことをした覚えはないけれど、本人は『助けられた』と恩義を感じていたようだ。その借りをこのドレスで返したってことならば──なるほど、実に月ノ宮さんらしい。
「これから先も優志さんと女装は切っても切れない関係になるでしょう。そうなったとき、お二人は優志さんの隣を堂々と歩けるのか──それを判断したかったのです」
「試されてたってことか?」
口を尖らせて文句を言う佐竹の不満はご尤尤もだ。
試すような言動は、だれしも気持ちがよいものではない。
天野さんも佐竹の問に頷く。
「どうしてそこまでするの? 私が言うのもおかしいのだけれど、優志君と楓はライバル関係のはずじゃ──」
そのことですか、と月ノ宮さんは何事もなかったかのように微笑んだ。
これまで何度か月ノ宮さんの微笑みを見てきた僕だけれど、それらが一挙に霞んでしまうほど『綺麗』だったもので、ブレンドが入ったカップを探る手が、テーブルを泳いでしまった。
「優志さんは好敵手以前に、私のご友人ですので」
優しげな笑みでそう語る姿を見て、はっとさせられた。
僕と月ノ宮さんの関係は、月ノ宮さんの一方的なライバル視によって成り立っているものだと思っていた。
自分のライバルが不甲斐ないのは釈然としない──と、僕が揉め事に巻き込まれて解決に至るまでの道中、ちょくちょく暗躍してくれているのだと勝手に思い込んでいた。
月ノ宮さんが抱える問題を僕に吐露したのだって、好敵手足り得るのかをチェックしているからで、そこにはギブアンドテイクの精神しかない。
然し、そうではなかったらしい。
友人として手助けしてくれていて、友人として助言を求めてくれていたのか。
──やり方が回り諄いのは、お互いさまってわけね。
回り諄いが酷過ぎて、僕と月ノ宮さんの立ち位置は知恵の輪のように複雑になっていたのも僕の誤認識だったってわけだ。
「もしかしてだけど、月ノ宮さんって実はとってもいい人なの?」
「今更ですか? 私はとっても優しくて、慈愛に溢れる人柄ですよ?」
自分で言うのもなんとなくあれな気もするが、月ノ宮教の信者たちが聖母・月ノ宮楓様にぞっこんなのも納得だ。
「そうか? 俺とのメッセージにはその慈愛が見受けられねえんだけど。──なあ、楓。これはいったいどういうことだ? ガチで」
「なんのことでしょう?」
まるで怪しい宗教の教祖のように、白々しく答えた。
「おい優志。騙されるな。月ノ宮楓は毒だぞ。それも猛毒だ。タランチュラだ。素手で触れたら怪我では済まないぞ」
「タランチュラの毒性はさほど強くないとご存知ありませんか? 一般的なハチよりも弱いのですよ? なので、ご安心を」
「毒がある時点で安心できないじゃない……」
思わず、といった態度で天野さんがツッコミを入れる。
「まあ、私がタランチュラというのであれば、優志さんは差し詰め、タランチュラホークでしょうか」
なんだかマニアックな話題に移行しているが、タランチュラホークというのは鷹ではなくて、タランチュラの天敵とされるハチの一種である。
「オオベッコウバチでもオオグモオオカリバチでもどっちでもいいんだけど、話を戻していいかな?」
このままだと無限に話が飛躍しそうだ──8だけに。
場を諌めるように言うと、その場にいる全員が首肯した。照史さんまで頷いたのは──いいや、深く気にする必要はないだろう。僕らの話を訊きながら楽しんでいるようにも見えなくもないが、照史さんだって事の顛末を知っていい人間の一人なのだから。
【修正報告】
・報告無し。