四百七十五時限目 プライズゲーム対決
コンビニキャッチャーの前で自分の無力さに打ちひしがれていた。
二つのボタンでアームを動かして吊るされている景品を掴むだけの簡単な作業だと思っていたのに、ここまで苦戦するとは努々考えもしていなかった。
千円以内でどれだけ景品を手に入れることができるのか? という名目の勝負だったけれど、残りの硬貨は百円玉が五枚。
五百円玉を使えば六回チャレンジできる。
けれど、五回挑戦してもコツを掴めなかった私がこのまま挑み続けても、お金と時間の無駄な気がしてきた。
──こんなに難しいなんて知らなかったわ……。
嘆息を吐き、硬貨を握り締めたまま別の台を探していると、ユウちゃんがクレーンゲームの前で顎に手を当てて真剣な表情で景品を睨んでいた。
狙っている物は、縦三〇センチメートルほどの、くまのぬいぐるみ? だった。
熊のぬいぐるみといわれて想像するのは、焦げ茶色の可愛いらしい目をした物だけれど、ユウちゃんが狙っているくまぬいぐるみは紫色で、三角のサングラスをかけていて、蝙蝠のような黒い羽が生えていて、三叉の槍が右手に縫い付けられている。
──可愛いけど、楓の趣味ではなさそう。
ガラスの奥に貼り付けらている商品説明に〈デビくま〉と商品名が記載されているのを見て、この名前をどこかで訊いた覚えがあった。
思い出した。
たしか、泉がこのぬいぐるみを欲しがっていたんだっけ。
テレビでギャル系タレントが紹介してから人気に火がつき、ちょっとしたトレンドになっているとかいないとか、そんな話を休み時間に訊いたような記憶がある。
クラスの女子の何人かも、似たぬいぐるみのストラップを鞄に下げていたような……記憶が曖昧なのは流行り物とブランド品に興味がないからでしょうねと、流行りに敏感な女子高生あるまじき発言を心のなかで呟いた。
ユウちゃんは何度かトライしたのか、これ以上投資して取れるのかの算段を、頭の中で計算している様子。
「あれ?」
よく見ると、ユウちゃんの左手には重量感ある商品が入ったビニール袋が握られていた。
──もう景品を手に入れたの!?
このままユウちゃんの動向を探っていても埒がない。
私は比較的簡単そうな景品がないかと足を動かした。
「これならまだいけそうな気がするわね」
見つけたのは、お菓子がディスプレイされているクレーンゲームで、親切にもお菓子の箱にアームを引っ掛ける用の黄緑色の輪っかが付いている。
「おやつカルパスなんて楓は食べるのかしら?」
ひとつ一〇円で販売されているポピュラーな駄菓子で、小学校低学年の頃に遠足のおやつに買っていったけれど、楓のようなお嬢様がカルパスを好んで食べるとは思えない。
だが然し、クレーンゲームの才がない私には、もうこれしか道は残されていないともいえる。
「よし」
意気込んで百円玉を投入しようと思った私の手が、寸前で留まった。
ここで安直に百円玉を投入すれば、得られるチャンスは五回。
でも、五百円玉を使えばおまけで一回多くチャレンジできる。
──仮に六回プレイ縛りの内にカルパスを入手できたとして、残りもカルパスに投じるのはどうなの? 払い戻しができない以上、慎重になるべき。
とはいえ、五回の挑戦で入手できる可能性は低い。
ユウちゃんに勝利するには、少なくとも二つは景品を手に入れなければならないのだから、ここは刻んで挑戦し、残った百円玉を別の景品に当てたほうが懸命じゃない? と、内なる私が警鐘を鳴らす。
そうはいってもこの商品以外に選べる選択肢はないのだから、素直に五百円硬貨を使って六回プレイするべきだ、ともう一人の内なる私が反論する。
──コンビニキャチャーで散財したのがここにきて影響を及ぼすなんて!
百円玉でワンプレイ刻みか、五百円玉を投じて泣きの六回に全てを賭けるのか大いに悩んでいると、眼前にあるクレーンゲームのガラス越しにいるユウちゃんが〈デビくま〉に挑んで失敗していた。
──勝機はまだ残されてるはずだわ!
確実に勝利を狙うのであれば、カルパスの他に別のなにかをゲットする必要がある。
「私は、勝ちにいくっ!」
意を決して、百円玉を投入した──。
* * *
『結果はっぴょーう!』
太鼓のリズムゲーム機から、採点を告げる間延びした声が訊こえた。
その声を背後に、私とユウちゃんは「せーの」の合図で獲得した景品を見せ合う。
私は五回のチャンスを経て〈おやつカルパス〉を見事に落とした。
思っていたよりもアームの掴む力が弱くて苦戦したけれど、奇跡的に輪っか部分がアームに引っ掛かり取ることができた。──でも、ちょっと詐欺っぽくない? 定価で購入したほうが安いと思う。
努力と執念と諦めない心が齎した奇跡の結晶とも呼ぶべき〈おやつカルパス〉を堂々と掲げる私に対し、ユウちゃんはなにやら決まりの悪そうな顔をして頭を下げた。
「参りました」
「へ?」
「なにも取れなかったよ」
「なにも取れなかった?」
私は首を捻る。
ビニール袋の中身の正体は……?
「これ、バッグなんだ」
ユウちゃんは詫びる意を言葉に添えて、ビニール袋の口を両手で開く。
中を覗き込んで確認してみると、ユウちゃんが言っていた通り、朝、待ち合わせ場所からここまでの道中下げていたショルダーバッグが肩紐を丁寧に折られた形で、横向きにされて入っていた。
「勝つための工作ってわけね?」
呆れ混じりに言う。
ユウちゃんは困ったように笑いながら、
「プレイミスを誘うのは作戦のひとつだよ?」
その効果は絶大だった。
カルパスを手に入れようと必死にアームを動かしている最中、ユウちゃんの持つビニール袋がどうしても目に入って仕方がなくて、集中力を大分持っていかれた。
「見かけによらず姑息な手を使うのね」
「えへへ……ごめんなさい」
へにゃあと笑い、頭を下げる。
「ユウちゃんは〝デビくま〟に千円全部使ったの?」
「だってあのくまのぬいぐるみ可愛いかったし、裏表のある楓ちゃんが持ってたら面白いなあって思ったら、是が非でも取ってやろう! って気分になって」
「半分悪意じゃない……呆れたわ」
ユウちゃんがどう言い訳をしようとも、この勝負は私の勝ちだ。
「負けた人は勝ったほうの言うことを訊く、だったわよね」
「お手柔らかにお願いします……」
なんでもということは、その……。
──キスも有りって考えていいのかしら?
いやでも、はしたない女だって思われるのは嫌だなあ……今更だけど。
──じゃあ、今日一日手を繋ぐというのは?
お手柔らかにとは言われたけど、文字通りにお手柔らかなユウちゃんの手の感触を試すだけで満足すると?
もっと違うお願いをするべきじゃない?
喩えば、『私を選んで欲しい』とか──それは卑怯よね。
「決めた」
「はい、どうぞ!」
「私は」
これは、お遊びの罰ゲームだ。
それなのに、私の心臓は鼓動を早め、喉が締め付けられる。
体温が上がって、自分の頬が赤らんでいくのがわかった。
これは、ただの罰ゲームだ。
罰ゲームなのだから、私が要求してもなんら問題はない。
──そうよ、問題なんてひとつもないじゃない!
「私のお願いは、デートが終わる瞬間まで、私の傍を離れないこと」
言ってしまった──。
『手を繋ぎたい』
それだけの願いであれば、私自信が勇気を出せばいいだけ。
もっとユウちゃんに近づきたい。
叶うなら、ユウちゃんの体温を感じていたい。
だから……。
「……これでいいの?」
「え……ええっ!?」
ユウちゃんは私の右の腕を取り、むぎゅうと体を押し付けるように自分の腕を絡めた。
「これ、かなり恥ずかしいね」
「そ、そうね。もうちょっと離れても……いや」
──このままが、いい。
私はユウちゃんの腕に触れて、離れないように力を込めた。
「ば、罰ゲームだから、当然の権利でしょう?」
「お手柔らかにって言ったのに、いじわるだなあ」
はしたない女と思われるよりは、意地悪だと思われたほうが百倍マシよ。
【修正報告】
・報告無し。