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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二十一章 Invisible,
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四百七十二時限目 指輪の意味を彼は知らず、知る者は語らない


「うわあっ!?」


 私は慌てて体を仰け反らせた。


 どうしてこんなアクシデントが起きてしまったのか、いまいち状況が把握できずに虚を見つめていると、我を取り戻した佐竹君が席を立ち、鳴り続ける電話の受話器を取った。


「あ、はい。わかりました──延長? 延長は」


 ちらと私を見て、


「いえ、延長はしないです。はい。わかりました」


 受話器を元の位置に戻し、佐竹君は向かい側の席に座った。


「すまん!」


 座ったままの姿勢で腰を折り、両手を頭の上で合わせる。


「まさかこんなことになるとは……ガチですまん!」


「とりあえず、場所を移動しよ?」


「お、おう……」


 どうにか気を取り戻し、荷物を整理する。その間、私と佐竹君は会話を交えることはなく、淡々と作業を進めた。


 ──ファーストキス。


 唇が軽く触れ合うだけの行為をキスと呼ぶのは、あまりに気安い感じがする。だけど、『初めての口づけ』と考えると、なにか大切な物を失ってしまったような喪失感を覚えてしまって。


 ──悪いことしちゃった気分だなあ。


 出しっ放しにしていた携帯端末を鞄にしまって立ち上がると、先に撤収準備を終えていた佐竹君がドアの前で、「忘れ物はないか?」と確認の声。


「だいじょぶ」


 頭を振って答えた私に頷いた佐竹君は、ぐと力を込めてドアのレバーを下に押し込んだ。ストッパーが外れる固くて鈍い音と、密閉空間に外気が入り込む音が同時に訊こえた。


 佐竹君は重たいドアを左手で抑え、紳士のように私をエスコートする。その自然さたるや、だれかとカラオケ屋にいった際は、いつもそうしているんだろうな、と察せられる。


 些細な気遣い。


 子細な配慮。


 これらは不器用な佐竹君と無縁に思われるけれど、存外そうでもないのだ。──多分だけど。


 姉がああいう正性格だから、自然と身についたスキルなのかもしれない。


 お会計はきっちり割り勘で支払い、外に出た。


 夕方はとっくに過ぎて、夜の帳が池袋の街に下りている。クリスマスを盛り上げる電飾の数々を目の端に入れつつ、私と佐竹君は隣同士並んで歩いた。


 日中よりも冷えた空気が頬を刺して、ちょっと痛い。痛いって表現は過剰かもだけれど、喩えるならば、ゲームで操作しているキャラがダメージを受けたときに「痛てっ」と言ってしまう、そんな感覚に近しい。


 空には雲が掛かっていて、呆然に、これはいよいよ雪が降るのも現実味が増してきたかと眺める。──雨、降らないよね?


 私が乗る鉄道は稀有な天候に対しての防御力が紙のように薄いので、直ぐに運転見合わせになるイメージが強く、天気予報に信憑性が増したこの寒さでは、雪が線路に積もる前に、電車に乗りたいのが正直なところ。


 池袋駅東口の手前にある地下連絡通路の階段の横で、佐竹君の足が留まった。


「なあ」


「うん」


 その後に続く言葉を見つけられず沈黙し、俯く佐竹君。私も私で、なにを話せばいいものかわからないまま、無駄に時間だけが過ぎてゆく。


 大型モニターに映し出されたクリスマスソングランキングが、殊更に虚しく響いていた。


「指輪、付けてみてくれ」


「このタイミングで?」


「だって、付けたところ見てねえし」


 貰った指輪ケースを鞄から取り出し、指輪を──どの指に付けるのが正解なんだろう。左手の薬指に付けるのはまだ早いし、そういう意味合いで渡された物じゃない。であれば、右指のどれか。


 散々迷った挙句、右手の人差し指に嵌めた。


「どう?」


 手の甲を佐竹君側に向けて、


「似合ってるかな?」


「ああ、よく似合ってる。ガチで」


 指を締める感触がどうにも慣れず、外そうとした私の手を佐竹君の右手が掴み阻んだ。


「今日だけでいい。付けたままにしてくれないか」


「今日っていつまで?」


「せめて、俺と別れるまでの間だけ」


 折角貰ったし、付けないのは不義理かな。


「わかった」


「それと」


 切り出しにくそうに苦い顔をしていた佐竹君は、コホン、と咳払いをして、


「今後どうなろうと、その指輪は捨てないで欲しい。さっきも言ったけど、感謝の気持ちだからさ」


「当然でしょ? 私、そんなに性格悪くないよ?」


「でもほら、なんか持ってると気まずいなってあるだろ? ……いや、いまの発言はなしだ。忘れてくれ」


 ──言いたいことはわかってるよ。


 だから、私は頷いて、できる限りの笑顔を以って返事とした。


「一日早いけど、メリークリスマスだ。優梨」


「うん。プレゼントありがと。メリークリスマス。佐竹君」





 * * *





 帰宅後、ありとあらゆるしがらみから解放された僕は、入浴を経てベッドインする。でも、眠たいわけじゃない。疲労はなかなかのものだけれど、睡魔はまだ訪れなかった。


 珈琲を飲んで、チョコレートを食べたせいかもしれない。或いはカフェインが上手いこと作用して、眠気を抑制してくれているのかもしれない。


 カフェインが眠気の抑制になるなんて、ピアスホールから神経の糸が出て引っ張ると失明する都市伝説と同等の信憑性だ、とばかり思っていたが、今日ばかりは、ナイスカフェイン! と賞賛の声を送るべきだろう。寝たら明日まで起きなそうだし。


 佐竹から貰った指輪は、ベッドの小物置きスペースに置いた。白灰色のケースがあると、これはいよいよ女子のベッド周りに見えてくる。女子の部屋に入ったのは──そういえば、天野さんと月ノ宮さんの部屋には入っていたっけ。知らず知らずに、僕は世の中の男子高校生から恨みを買うかもしれない。先に謝罪しておこう。すまなーい!


 ファーストキスの件は深く考えないように努めていた。気にしても仕方がないし、あれは事故だ。佐竹だってこの件をずっと引き摺られるのは迷惑だと思う。


 ハプニングがあって唇を奪う形になったわけだけれど、それによって軋轢が生じるなんて僕も佐竹も御免だ──と、考えないようにしていても、あのときの感触を思い出してしまうのはしょうがないじゃないか。男同士のキス。僕と佐竹。うげえ。


「……忘れよ」


 うげえ、と思ったけれど、そこまで拒絶反応はなかった。寧ろ、自分のなかにある佐竹に対しての申し訳なさを解消できたのだから、結果的によかったのかもしれない。──天野さんはもっと大胆だったし、あれくらいわね?


 キッチンに移動して、明日の準備を始めた。


 明日は天野さんとのクリスマスデートがある。その際に渡す手作りスイーツの作成なのだが、さすがに生菓子を持って歩かせるわけにもいかない。かといって、クッキーは芸がないにも程がある。


「ドーナツ、か。悪くないかも」


 携帯端末で材料を調べると、どの家庭でもありそうな物ばかりだ。無塩バターとグラニュー糖はないけれど、遅くまで開いているスーパーマーケットが近所にある。作り方も簡単だし、多少のアレンジも加えられそうだ。


 まさか中学生時代に暇過ぎて始めたお菓子作りのスキルが人生の役に立つ日がこようなどと、あの頃の僕は思いもしない未来に、僕はいる。無駄だと吐き捨ててしまえる趣味がクリスマス前日の夜に日の目をみることになるなんて不思議な因果だな、と思いつつ玄関のドアを開くと、シュガーバウダーのような雪が降り始めていた。



 

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