四百六十二時限目 月ノ宮楓は彼に願う
話し合いは思っていたよりもスムーズに進行していった。
前以て買う物に目星を付けていたのが功を奏したのかもしれない。
寝具といえば家具量販店だが、最近は小洒落た雑貨屋にも置いてある。優れた商品を購入する場合は、勿論、前者に軍配が上がる。けれども、クリスマスプレゼントとなれば機能性だけで判断するのもどうだろう。
そういうわけで、雑貨屋が入っているショッピングモールにしようと場所が決定。他の商品も見てみたいという天野さんの要望により、待ち合わせ時間も早めに設定されて解散となった。唯一の心残りといえばフライドポテトを食べ損なったことくらいだったが、これからの出費を考慮すると我慢するしかないだろう。五桁万円は軽く飛んでいくだろうしなあ、と預金の心配をしながら帰宅した。
* * *
翌日の朝、教室で佐竹に絡まれた。
絡まれたといっても喧嘩を吹っかけられたわけではない。教室に入ってくるなり僕の机に両手を付いて「話があるから放課後は空けておいてくれ、マジで」と切羽詰まった表情で言い放ち、何事もなかった様子で仲間たちに合流。面倒事かとびくついた僕が馬鹿みたいじゃいか。
その日の佐竹をずっと観察していたが、やっぱりなにかあったようだ。
二日前のお昼休みに、犬飼弟が『ヘタレと話をする」って走っていったけれど、態度が急変するタイミングに時差があり過ぎるのでは? どうして翌日ではなく一日置いた今日なのだろう。
仮に、犬飼弟が佐竹に悪知恵を吹き込んだとする。でも、佐竹が僕を貶めようだなんて考えるとは思えない。ならば、それを未然に防ぐために行動しているのではいか? と勘繰ってみたものの、どうもそうではないようで。
結局、佐竹はその日いろいろとポカをやらかし、現在は職員室で説教を喰らっている。
三〇分くらい経過した頃、上手のドアがガラガラと音を立てて開いた。ようやっと三木原先生の説教から解放されたのかとチラ見すれば、そこにいたのは帰ったはずの月ノ宮楓嬢ではないか。
「帰ったんじゃなかったの?」
「いいえ。人払いをしてきたのです」
そういって、佐竹の席に座った月ノ宮さんは微笑を湛える。座る動作も然ることながら、背凭れに背中を預けずぴしと背筋を伸ばした姿勢に、幼少期からの努力の一端が垣間見える。おそらく、家庭教師に相当訓練させられたに違いない。
月ノ宮家の一員としての教養を身に付けるのは、いつか迎えるXデーに備えてだろう。本来、それは兄である照史さんの役目だったはずなのだが、兄はもう月ノ宮家と絶縁している。ゆえに、月ノ宮さんにかかる重圧は相当な物だったはずだ。それも『どうともない』と落ち着き払える精神力は大人顔負けである。世の中には凄い女子高生がいるものだなあ。
などと感心していると、月ノ宮さんはきょとんとした目で「どうかしましたか?」と小首を傾げた。慌てて「なんでもない」と答える僕に、「これ以上私のファンは要りませんよ?」なんて冗談を飛ばす。──はて、これはまた面妖だ。
どうにも友好的な態度が胡散臭いというか、いつもならば二言目には挑発が飛び出す口なのに、いったい全体どういった要件だろう。ここまで物腰が柔らかいと、それはそれで薄ら怖さを感じてぞっとしない。
「クリスマスの件は順調ですか?」
「まあ、ぼちぼちかな?」
残すは佐竹との打ち合わせで、それも今日で終わるだろう。だから早く戻ってきてくれよ佐竹。月ノ宮さんが割とガチで恐怖だ。これからとんでもない命令が下るのではないかとはらはらどきどきである。なるほど、この感情こそが恋! ──そんなわけあるか。
「もしかして月ノ宮さん、怒ってます?」
怒らせても怒らせなくても怖いなんて、それはもう怪物や怪異の類じゃないか。
「怒っていませんのでご安心を」
その一言には騙されないぞ。「怒らないから本当のことを言いなさい」と言われて本当のことを言ったら、「どうしてそんなことをしたんだ」って怒られるのが道理である。話が違うじゃないか、理不尽にもほどがあるってもんだ。そういう人間は「怒ってない、叱ってるんだ」って屁理屈まで武器にしてくるので殊更に質が悪い。
ソースは中学時代の同級生、柴田健──通称・柴犬──。イキっていた中学時代の柴犬は、度胸試しといってスーパーマーケットでお菓子を万引きしようとしたのだが、速攻でGメンに捕まった。そのときスーパーの店長が言った言葉こそ、「怒らないからどうしてこんなことをしたのか言ってごらん」だったらしい。
当時はそれを武勇伝のように語っていたけれど、いまでは完全に黒歴史扱いだよなあ。彼女の春原さんは、多分この事件を知らないはずだ。よし、この件を使って柴犬を強請ってみようか。彼女に知らされたくなければ貸していた五〇〇円を返せって。──元々僕の五〇〇円なんだよなあ。
「怒ってないのであれば、僕になんの用事?」
「なんでしょう……人生相談?」
「逆にしたいくらいだよ……」
「お金を稼ぐ方法でしたら五十万円ほどでお売りしますが?」
情報商材詐欺じゃねえか。危うく「分割でもいいですか?」って前向きに検討するところだったわ。あっぶね。マジでおっかないな月ノ宮さん。微笑を崩さない辺りが然なきだに怖い。そこらにいるマイルドヤンキーなんて比じゃないぞ。──でもその情報はちょっと欲しい。
「最近、皆さん忙しそうですね」
月なんとかさんのせいですよ、と言ってやりたい気持ちを堪えて僕は頷いた。
「師走だからじゃないかな」
「ですね。──でも」
月ノ宮さんは寂しそうに、顔を俯かせて笑う。
「以前のように四人でダンデライオンに集まって、あの席で談笑できないのは残念です」
月ノ宮さんにとってのダンデライオンは、実家よりも心置ける場所なのだろう。最愛の兄がいて、美味しい紅茶と珈琲も飲める。月ノ宮邸がいくら豪華絢爛でも、こじんまりした隠れ家のようなあの店の温かい雰囲気には敵わないと言いたげに天井を仰ぐ。
「私は優志さんを恨んだりしません。だから、答えが出たあかつきには、また四人で、あの席で談笑をしましょう。──それが私の願いです」
僕はなにも言えない。
肯定も否定もできない。
──さようなら。
そういって教室を出ていく月ノ宮さんの背中を見送ることさえできずに、ぼうと遠くの空を眺めていた。脳裏にはずっと、月ノ宮さんの『さようなら』がこだましている。単なる別れの挨拶だったとしても僕には違う意味に感じてしまって、なんだかとても泣きたい気分になった。だけど、涙は出ない。
胸の奥にある疼痛を堪えつつ、一人になった教室で、いつ戻るかもわからない佐竹を黙々と待ち続けた。
【修正報告】
・報告無し。
※活動報告にちょっとしたおしらせがあります。(2021年6月11日現在)