四百四十六時限目 我ら天敵と彼女は謳う
暫くして月ノ宮さんが戻ってきた。
心做しか濡れた制服をハンカチで拭き取り、涼しい顔で「お待たせ致しました」と着席する。服が濡れているのは僕らの目が届かない場所にいきたかったからだとすると、いよいよ行動に移す気満々のようだ。
「どこまでいってたのよ」
天野さんの問いに、
「雨の様子も確認したかったもので」
だから制服が濡れているのです、と一応は成立する言い訳を白々しく語る月ノ宮さんだが、僕と天野さんは月ノ宮さんがなんらかのアクションを起こしたと察していた。
僕らのカップが空になっているのを見た月ノ宮さんは、「お兄様、すみません」と照史さんを呼んだ。そして、人数分の紅茶を注文する。口直しをしたいと思っていただけに、有り難い。が、佐竹だけは申し訳なさそうに苦笑する。
「俺、そこまで用意してねえんだけど」
「紅茶の一杯や二杯、私がお支払いしますのでご安心ください」
「二杯もいいのか?」
「え? ええ、問題ありません」
佐竹は『言葉の綾』を本気に捉えたようだ。遠慮というものを知らないのか、佐竹。
社会に出て上司から食事に誘われて、「なんでもすきな物を注文していいぞ」の言葉を真に受けた佐竹が、遠慮なしにうな重の特上を注文する光景が目に浮かんだ。
そんなことを平然とやってしまう未来しか見えないけれど、大丈夫なのだろうか?
因みに、この問題の正解は『ランチセット』である。ランチセットであれば、そこまで悪印象を与えないだろう。ワンコインで済ませられる可能性もある。社会人って面倒臭いなあ……。
月ノ宮さんは紅茶を一口飲み、そっと受け皿に置く。
「そういえば、さきほどの答えがまだでしたね」
忘れていてくれたらよかったけれど、そうは問屋が卸さないってか。
「皆さん、クリスマスはどうしましょうか?」
──皆さん?
さっきの攻防はなかったような口振りだ。あのまま問い詰められていたら答えを出さざるを得なかったのに、どういう風の吹き回しだ? 月ノ宮さんの意図がまるで見えない。
「本当は私も去年のようなクリスマスパーティーを開きたいと思っているのですが、すみません。いまさっき、用事ができてしまいました」
「え?」
これには僕も、天野さんも、佐竹さえも驚きを隠せなかった。さっきの電話が嘘であることを、僕らは見破っている。それにも拘らず自分が吐いた嘘を貫こうとする理由はなんだ? それだけならまだしも、クリスマスパーティーに参加しないとは事実上の撤退宣言でもある。
あの月ノ宮嬢が戦いを避けるなんて。
僕は軽くパニックを起こしていた。ここで退くということは、天野さんと関係を深めるチャンスを逃すって意味でもあるんだぞ? 絶好のチャンスをみすみす逃すなんて月ノ宮さんらしくない。
「もしかして、あのことがまだ糸を引いていたりする?」
僕の懸念は夏に起きた、月ノ宮さんを取り巻くあの事件に由来している。本当はまだ未解決のままで、僕を気遣って解決したかのように振る舞っていたのではないか。ハイスペックな月ノ宮さんだからと裏を取らず鵜呑みにしていたけれど、そうじゃなければとんだお笑い種だ。
然し、月ノ宮さんは頭を振った。
「あれはもう終わった話です。そうではなく、立食パーティーに出席しなければいけなくなっただけですよ」
「そ、そっか」
嘘は言ってないように思えるけれど、どこから嘘でどこまでが真実なのか、その境界線が曖昧だ。さっきの電話は本当で、そのことを告げられたとするならば月ノ宮さんの言い分に筋は通る。でも、だけど、筋が通っていたとしても、歯に食べ物が挟まったような違和感は拭えなかった。
「私のことは気にせずに、クリスマスを楽しんでくださいませ」
「そう言われても……」
「なあ……」
はいそうします、なんて言えるほど白状ではない二人が揃って顔を見合わせた。そして、困窮の果てに僕を見た佐竹が、情けない声で「優志はどうする?」と決断を迫ってきた。おい、僕にファイナルジャッジを託すなよ。こうなったら「部屋でだらだら過ごす」って選択も辞さないぞ。──それもできないから困ってるんだが。
「では、一つ提案をしてもよろしいでしょうか?」
僕らは頷いた。
「クリスマス、クリスマスイブを利用して、私にプレゼントを用意してくださいませ」
「どういうことだ?」
「言葉の通りですよ、佐竹さん。クリスマスは恋莉さん、イブに佐竹さんが相談役の優志さんを連れてプレゼントを買いにいく。──ああそうです。私は女性なので、プレゼント選びに女性しか入れないお店もあるでしょう。その場合は厄介ですので、優志さんは優梨さんの姿になっていただけますか?」
言いたいことは理解した。理解したけれど不可解だ。月ノ宮さんへのクリスマスプレゼントを用意するのはいいとして、どうして曜日を分ける必要がある? 三人一緒にいったほうが合理的──いや、月ノ宮さんの狙いはそこじゃないのだろう。
おそらく、月ノ宮さんは然してプレゼントを欲しいとは思っていない。プレゼントを送るためという大義名分を僕らに提示し、二人が満足できる『クリスマスデート』を形にしたのだ。この一点だけに的を絞れば、月ノ宮さんが企てる陰謀めいた提案にも合点がいく。
ただ、月ノ宮さん本人が身を引く理由がわからない。嘘に嘘を上書きしてまで実行するのはどうしてだ? 僕のため? 佐竹のため? それとも天野さんのためだろうか。
我慢した功績にプレゼントという報酬があったとしても、僕らが月ノ宮さんを満足させるだけのプレゼントを用意できるとは思えない。貰わずとも、自分で手に入れるだけの財力が月ノ宮さんにはある。
「クリスマスが私で」
「イブに俺か」
僕が月ノ宮さんの狙いを勘繰っている合間、二人は闘志に火を付けていた。こんな結果でいいの? これが二人のやりたいクリスマスだったの? 戸惑う僕に月ノ宮さんは無言で口を動かす。その口が『逃げられませんよ』と言っているようで、蛇に睨まれたマングースの気分だった──。
【修正報告】
・報告無し。