四百四十二時限目 ディア・マイ・フレンド
朝にクリスマスの話題が出てからというもの、教室の彼方此方で「クリスマスどうする」という話題を口にするクラスメイトが目立ち始めた。
いや、本当は僕が興味なかっただけかもしれないけれど、クリスマスに浮かれるような歳ではなくなってしまったし、どちらかと言えば年始に両親から貰うポチ袋の中身のほうが気になるところだ。
お小遣いという名目の生活費はそれなりに貰っている僕だが、自由に使えるお金は限られる。
貯えは多いに越したことはない。学生はなにかとお金が掛かるのだ。その主だった理由は交際費なのだけれど、交際する相手がいない僕の場合はお品代に上様を添えて提出するのが無難だろう。便利な言葉だなあ、お品代。でも、コンビニで買ったアイスまでお品代に含むといろいろ面倒になるだろうことは、政治の歴史が裏付けている。アイスくらいは自費で払おうね!
閑話休題。
十二月に入ってからというもの、教室に空席が目立ち始めていた。欠席者の半数が風邪、またはインフルエンザである。学級閉鎖まではいかないまでも、普段より静かな昼休みの教室はどこか空気が重たい。
悄然とした教室でお弁当をパクつき、モグりモグりと教室の様子を窺ってみれば、仲よしグループの仲間内が欠員していて意気消沈する様が見て取れる。前方の席で決闘している決闘者共や、佐竹軍団所属のギャルたちも、どこか気怠そうにしていた。
お弁当を食べ終えた僕は、缶コーヒーが飲みたくなって教室を出た。
湿気の多い廊下を進み、非常階段を下りて体育館裏口へ。
自販機で一〇〇円のブラックコーヒーを購入し、その場でちびりと一口飲んだ。やはり不味い。エビチリの口のままだからそう感じるのもありそうだが、缶コーヒーのブラックはいつ飲んでも不味い。不味いとわかっているのに買ってしまうのだから、カフェイン依存って怖いなあ。
然し、缶コーヒーを飲んでいるときの一仕事した感は異常だ。むしろそれを味わいたくて飲んでいる節までもある。無職なんだけどなあ。学生の仕事は勉強だと訊きますが、義務教育から離れた高校生の勉強は趣味の一つに分類されるのでは? なんて思って、だれもいないことを確認してからふんと鼻息を鳴らした。
不味い物を欲しがるように、やりたくないことも強要される現代社会は苦いですなあ。
それも一種の中毒なのかもしれない。
体に悪い物が美味しく感じるように、日本人は自分を精神的に追い込むのがすきなのかもしれないね。知らないけど。
コーヒーでほっとしたのも束の間だった。
冷たい風に煽れた体がぶるりと震える。はあと吐いた息は白く、雲の色と同化していく。面倒がらずにコートを羽織ってくるべきだったなあと後悔して、教室に戻ろうと校舎に足を向けたときだった。
「あ」
と発声した僕に、階段から下りてきた流星が「おう」と答えた。
流星は僕の横を無言で通り抜け、自販機の前に留まった。つまらなそうな声音で、「ぱっとしねえな」とぼやき、硬貨を投入する。購入したのは僕と同じブラックコーヒー。かちゃりとブルタブを開けて、一口飲む。「不味い」て顔をした流星が、やっぱり「不味い」と率直な感想を述べた。
流星は普段もブラックコーヒーを好む。その理由は粗方予想できるけれど、僕は敢えて口にしない。自分のライフスタイルを貫こうとしているのだ。水を差すのは野暮だろう。本音を言うと、子どもが背伸びをしているみたいで微笑ましい眺めでもあった。
早く大人になりたくて普段飲まない珈琲を飲み、友人に「コーヒーはブラックが一番だよな」とイキるみたいな。SNSに自撮りを添えて「酒なう」とツイートするバカッターみたいな。『#炎上覚悟』のハッシュタグをつけて本当に炎上したみたいな。いやいや、流星はそんな愚行はしないけれど。
「なんだよ」
じいと見ていた僕を訝るように言う。
まさかのまさかだが、「保護者目線で一挙手一投足を見ていた」とは答えられないし、不良が仔犬を助ける様子を物陰から覗う感覚に陥っていたとも言えるはずがない。──さて。
どう言い繕うものかと逡巡していると、流星は「ちっ」と舌打ちをした。どうやら僕の態度に否定的な印象を受けたようだ。無論、そんなつもりはさらさらないのだが。
「流星はクリスマスどうするの?」
散々悩んだ挙句の答えにしては、そこそこ場違いというか、空気を読めない話題の入り方をしたなあ、と思う。だが、教室でも話題に上がるほどのトップワードではある。別に流星のクリスマスの予定を訊いたところで、「へえそうなんだ」と頷くしかないだろうけど。
「興味ないって顔に書いてあるぞ」
僕を睨みつける流星だったが、やがて呆れたみたいな溜息を吐いて、
「クリスマスはバイトだ」
「もしかしてサンタコスするの?」
「もしかしなくてもサンタコスするだろうよ」
なるほど。クリスマス時のメイド喫茶〈らぶらどぉる〉は、メイドさんたちがサンタコスでお出迎えしてくれるようだ。
それはそれで興味を唆る話だが、聖夜に単騎でメイド喫茶凸というのはどうなのだろう。帰り際にうっかり死にたい気分にならないだろうか。上司が言う、「クリスマスは苦しみますだ」のギャグハラスメントくらい体に障りそうではある。
「お前はどうなんだ、優志」
「僕?」
「お誘いがあったんだろ」
見ていたのか。
「お前がだれとクリスマスを過ごすかなんてどうでもいいけどな」
「いい性格してるよ」
「お互い様だろ。──でも、そろそろ答えを出してやってもいいんじゃないか」
流星の問いに答え倦んでいたら、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「次の授業は優志が得意な英語だったな」
はは、と乾いた笑いが口を衝いて出た。
珈琲が飲みたい気分になったのは、教室の重苦しい雰囲気から逃げたかったのもあるし、ほっと気分を鎮めたかったのもある。でも、それらの理由が全てではない。午後一番の苦手な授業で寝ないようにとか、いまさっき取って付けたような言い訳は見透かされてしまうのだろう。
流星はこう見えて観察眼が鋭い。それに磨きを掛けたのは、メイドとしての経験だ。嫌々ながらもちゃっかりナンバーワンを取ってるし、ツンツンなエリスたんがホールで頑張っている姿を遠巻きに見てるのも結構すきだったりする僕である。
観察眼が研ぎ澄まされているということは、すなわち、僕の考えだって当たらずしも遠からずという感じで岡目八目よろしくしているのかもしれない。
──僕は、佐竹を避けている。
そのことに気がついて後を追ってきたのは間違いない。
佐竹を避けたところで席は目の前だし、休憩の合間に話しかけられる可能性もある。そうなったら、僕はどんな顔をして向き合えばいい。
佐竹が僕をクリスマスに誘いたそうにしているのは、十二月に入ってからずっとソワソワした態度を見せているのでわかりやすい。天野さんもそれを理解した上で、教室で堂々と、宣戦布告とばかりに僕を誘ったのだ。
天野さんは腹を括っている。
その覚悟にどう向き合うべきなのだろうか。
「どうでもいいついでに言っておくが」
教室のドアに手を掛けて、流星が言う。
「今回ばかりは優志が一人で答えを出すべきだぞ」
そう言って、僕の返答を待たずドアを開いた。
【修正報告】
・報告無し。