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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二十一章 Invisible,
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四百四〇時限目 佐竹義信はストライクゾーンを見据える


 玄関を開けると乱雑に脱ぎ捨てられた姉貴の靴が目に留まった。


 靴くらい揃えろって何度も注意したけれど、直そうとする影もない。しょうがねえなと文句を垂れながら、明後日の方向にある一足の片割れを一つに揃えて置き直した。


「姉貴、買ってきたぞ……姉貴?」


 リビングのドアを開けて周囲を見回した俺の目に飛び込んできたのは、食卓の上に散らかしっぱなしの漫画道具と、丸めて放り投げたであろう床に散乱した用紙の数々だった。


 ゴミ箱に向けて投げた様子だが、無事に入っているのはたったの三つ。これがもし野球の投手だったらと考えると、ノーコンもいいところだ。ストライクゾーンにボールを収めることができない投手を投手と呼んでいいかはさておくとして。


 姉貴はどこにいったんだ? と首を傾げながら二階に進む。姉貴の部屋のドアをノックしてみたが返答はない。「いるか?」と声を掛けてドアを開けた俺の目に飛び込んできたのは、無造作に脱ぎ捨てられた下着類の数々だった。つか、飛び込み過ぎだろ。俺の目はプールの飛び込み台じゃねえんだけどな。


 この惨状を他人が見れば目のやり場に困るだろう。然し、姉の下着を見たところで弟の俺は動じたりしない。それどころか、苛立ちさえ覚える始末である。ずぼら過ぎるだろ、ガチで。


 自室にもいないとなると、これはいよいよ行方知れずだ。なかなか帰宅しない俺に堪え兼ねてコンビニにいったとするなら、玄関に靴はないはずである。どこいったんだよ。


 リビングに戻るとタオルを頭に巻いた姉貴が、腰に手を当ててビールをぐびぐびやっていた。


「あら、おかえり」


 あら、じゃねえんだよ。


「せめて下着くらい付けろって」


「別にいいじゃない。減るもんじゃないし」


「そういう問題じゃねえんだよなあ」


 振り向きさえしないけれど、姉貴は前も後ろも隠す気はないようだ。これが年頃の弟がいる姉の行動とは思えない。狂ってやがる。いや、もう随分と昔のから狂っているんだった、この姉は。


「ん」


 姉貴は片方の手を横に広げて、くいくいっと指を曲げたりした。なんのアピールだよ。つか、その手つきやめろ。中指と薬指だけを動かす理由なんて、下ネタ以外の何物でもない。


「早く寄越しなさいよ。買ってきたんでしょ?」


 人に頼みごとをした人間の態度か? 偉そうな態度が鼻につくが、ぐっと我慢してコンビニ袋を姉貴のくいくいっとしている指に下げた。


「あたりめにー、チー鱈にー、バタピーに……」


「言われた物は買ってきたぞ」


「ふーん。ま、いいわ。アンタにはその程度しか期待してないし」


 ソファーに用意してあった下着を装着し、食卓の上に放置してあった財布から一枚のお札を取り出した。


「はいこれ。お釣りは駄賃にしていいわよ」


「つうか、千円じゃ足りねえんだけど。普通に」


「アンタの目は節穴なの? よく見て」


 一々棘のある言いかたしかできんのかこの姉は、と思いつつも手渡されたお札を凝視する。


「二千円札じゃん! すげえ、初めて見た……」


「雨の中パシッたわけだし、それくらいの対価は当然でしょ?」


「マジか。──いや、待て」


 たしかに、二〇〇〇円もあれば事実上は黒字。漫画の単行本一冊分くらいの釣りが出る。有り難い限りではあるのだが、この姉がそこまで大盤振る舞いするなんて、なにか裏があるんじゃないだろうか。


「なあ姉貴。もしかしてだけど、二千円札は使いにくいからって理由で俺に寄越したわけじゃねえよな? 二千円札を処理したくて俺につまみを買ってこさせたとか」


「──勘のいいガキは嫌いだよ」


 下着姿で凄まれてもなあ。


「お金であることに変わりはないんだし、いいでしょ」


「こういう記念紙幣って使いどころがわかんねえし、実質奢りみたいなもんじゃねえか!?」


「文句言うなら返しなさい」


 そう言って、こっちにこいと言わんばかりに手招きする。


 返すわけねえろ、マジで。


「返したら実質じゃなくてガチになるだろ!?」


 あーもう面倒臭いわね、と言いながらあたりめの袋を開き、一本口に入れた。開封された袋からイカの臭いが部屋中に満ちる。どうせ姉貴のことだ、次の言葉は「この部屋、なんだかイカ臭いわね」で決まりだろう。


「この部屋、なんだかイカ臭いわね」


 ほらな?





 酒を飲みながら漫画を描くなんて、漫画家の風上にも置けないんじゃないか? と思いながら、俺は烏龍茶を片手にテレビを見ていた。テレビといってもテレビ番組ではなく、動画サイトに投稿されたゲーム実況なのだが。これも長年に渡り姉貴と行動をともにした結果、耳目に入ったエンタメのひとつだ。


「アンタ、その人の動画すきねえ」


「おう」


 画面に目を向けたまま適当に返事をして、烏龍茶をちびりと飲んだ。


「私、その人と会ったことあるわよ」


「へえー……え? どこで?」


「夏コミに初めて出店し始めた頃だから、かれこれ五年前くらい。まだ無名に近かったその人は、自分のグッズを自分で売ってたわよ」


 だれにでも下積み時代はあるだろうけれど、俺がこの実況主を知ったときには大人気で、チャンネル登録者の数も一〇〇万人に近かった。人に歴史ありだな。俺にも歴史はあるだろうか。ううん、いまいちぱっとしない経歴だからなのか、思い出の中に埋もれている。


「当時の様子はどうだった?」


「動画でのスタイルとは違って真摯な対応をしてたわ。それだけにギャップが凄いというか、裏方はしっかりこなす人ってイメージ」


「その頃の姉貴の漫画は売れたのか?」


「一〇〇部刷って、売れたのは一割ってところ」


 いまでこそ超売れっ子の姉貴にも、辛酸を舐めた時代があるようだ。俺が手伝いをするようになった頃には、既に〈コトミックス〉のネームバリューは圧倒的だった。そう考えると、姉貴には姉貴が辿った歴史がある。


 俺はこのままのほほんと暮らしていていいのだろうか。


 贔屓にしている実況者は、チャンネル登録者一〇〇万人という偉業を成し遂げた。姉貴はおそらく、この界隈で伝説を作るだろう。


 ──じゃあ俺は?


 他人に誇れるような会話力もないし、姉貴のように絵が上手いわけでもない。突飛した才能を持ち合わせていない俺は、なにも残せないまま人生を終えるのだろうか。と、漠然とした不安が心臓を苦しくさせた。


「姉貴」


「なに」


「俺のいいところってなんだと思う?」


「ないわね」


 即答かよ。いや、まあその通りではあるのだが。


 もっとこう、()()フォ()()()に包んだ言い回しはできないもんかなあ。あれ? アルフォートってチョコじゃね? ああそうだ、オブラートだ。


「アンタのいところなんてひとつもないけど、敢えて言うならバカなとこ」


「短所じゃねえか。割と──」


 ガチで、と言う前に、「だからアンタはバカなのよ」と、呆れ混じりな顔で溜息を吐く姉貴。馬鹿で悪かったな、馬鹿で。


「バカなアンタがなにを考えたってどうにもならないでしょ。それよりも手を動かしなさい。それができないのであれば足を使え。足を使えないのなら這ってでも進め。バカなんだし、行動あるのみよ」


「そう、だな」


「そうよ」


 こつん、と頭になにかが当たって、ソファーに落ちたソレを拾いあげた。くしゃくしゃに丸められた用紙。なんだよ、本気出せばストライクゾーンに投げられるんじゃねえか。手に取ったそれを広げると、そこには優梨らしき姿をした男の娘と、俺の特徴そっくりな男が濃厚な接吻をしているシーンだった。


「こんなもん描いんじゃねえよ、当てつけか!?」


 再びぐしゃぐしゃっと丸めて、ゴミ箱に向けて放り投げる。紙くずは綺麗な弧を描いて一直線に飛んだが、ゴミ箱の口に阻まれた。ノーコンかよ。いいや、俺は本気で投げていなかった。別に入らなくてもいいとすら思っていた。


 ストライクを狙わず牽制球ばかり投げている俺では、掴み取れる物も掴めないってわけか。


 これはいよいよ本気で向き合うしかなさそうだ。


 高校生活くらいは、せめて──。


 攻めて、いい思い出を。



 

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