四百三十九時限目 鶴賀優志はうちゅうに想いを馳せる
「今日はどうもありがとう。また機会があったら」
犬飼先輩はそう言い残して新・梅ノ原方面に帰っていった。僕と佐竹は犬飼先輩の後ろ姿が十字路に吸い込まれていくまで、無言で見届けた。
姿が見えなくなって気が抜けた、と言わんばかりの大きな溜息を吐き出した佐竹は、両手を頭部の後ろで組んで退屈げに「俺たちも帰るか」と。
「そうだね」
東梅ノ原駅に到着し、屋根のある場所で傘に付着した水滴をばさばさ落としていると、コンビニに寄っていた佐竹が戻ってきた。手には大袈裟な大きさのビニール袋を持っている。
「そんなに、なにを買ったの?」
「ああこれか?」
ビニール袋を持つ手をくいっと持ち上げて、なにやらご自慢そうに、
「姉貴が〝つまみを買ってこい〟ってさ」
「つまみ?」
「コンビニで売ってるあたりめにハマってるんだと。おかげで家中が酷い臭いだぜ? マジで」
イカに限らず、乾物は独特の臭いがある。食べている本人は気にならないというのが憎いところだが、たしかにコンビニで販売しているあたりめは美味しい。因みに、僕はイカフライがすきだ。スナック菓子感覚で、たまに買ったりする。
「そういえば最近、琴美さんの姿を見ないけど」
「いないほうがむしろ平和だと思うぞ?」
佐竹の言い分はごもっともである。トラブルしか運んでこない琴美さんに、頻繁に顔を出されては身が保たない。だが、琴美さんには恩義もある。佐竹琴美なくして優梨はない、と断言してもいいくらいだ。いろいろと教わったし、それと同じくらい迷惑も被ったけれど、その全てが無駄だったとは思わない。
考えさせられることも山ほどあった。琴美さんの恋人である弓野紗子さんとの結婚をどうするかなんて、一高校生の僕ではどうしようもない話ではあったが。それに、琴美さんの絵の腕前がたしかだということも知れた。でも、漫画のペンネームはセンスないと思う。──コトミックスって。
「姉貴のこと、気になるのか?」
「まあ、知らない間柄ではないし」
「近況ねえ……そういえば」
なに? と顔を向ける。
「次回の夏コミは、あのサークルとコラボするとか言ってたな」
「あのサークルって、どのサークル?」
「ほら、トラウマ必至の……どすこいのところ」
どすこいのところ、と言われて、直ぐに思いつく辺りがあのサークルの凄さを物語っている。この前の夏コミでは男の娘が相撲をやるとかやらないとか、そんな内容だったっけ。行司も巻き込んでなんちゃらかんたらと、よくもまあそこに目をつけたと褒めるべきだろうか。ネタ的人気があるとはいえ、悍ましい内容であることに変わりはないけど。
「それ、売れるのかなあ」
「コトミックスの名前は売れてるし、それなりには? 知らねえけど」
経歴の汚点にならないだろうか。でも、琴美さんの性格からして、ネタだからこそ本気になりそうだ。読んでみたいような、みたくないないような、怪談めいた興味を唆る。
ホームにあるベンチに座って電車を待つ。ダンデライオンを出るタイミングが悪かったこともあって、次の電車は一時間後だ。
「なあ」
隣で携帯端末を弄っていた佐竹が徐に、忘れ物を思い出したみたいな声を出した。
「太陽のことなんだけどさ」
僕は返答をせず、ただ頷く。
「犬飼先輩の気持ちもわからなくはないんだ。身内が悪さをしたから謝罪するってのもさ。でも、なんっつうか……腑に落ちない」
「どうしてそう思うの?」
佐竹は、「うーん」と唸り声を上げて、
「一見するといい兄貴……いや、いい姉貴だと思うぜ? だけど、謝罪するってことは、弟の行為が悪だって決めつけてるとも思わねえか? 太陽のやったことは悪ふざけの域を超えてる。だとしても、それだけ本気だったって言えるだろ」
本気だったらなにをしても許される、とも受け取れる台詞ではあるが、佐竹が言いたいのは、空気を絵に描くような、抽象的な部分だろう。
「犬飼先輩も頭ごなしに否定してるわけじゃねえけど、形式的な謝罪ってのは気持ちよくねえなって思う」
言いたいことはわかるけど、それは虫がよすぎる話だ。
「佐竹は罪の意識を軽んじてない?」
「はあ?」
「悪いことをすれば、相応に罰を受けるのは当然だよ。身内の不始末なら尚更じゃない? 犬飼先輩が出しゃばるのもどうかとは思うけど、姉として責任を感じるのもわかるでしょ」
いや、どうだろう。自分で言っておいてなんだが、琴美さんの人となりを鑑みると、首を傾げたくなる。
佐竹がなにかやらかしても、「自分の尻は自分で拭け」ってタイプだし、もっと言えば、爆笑しながら煽るくらいしそうな人だ。満足するまで笑って、オーバーキルするくらい煽ったあとに、心臓を抉るような一言でトドメを刺す。佐竹琴美とは、そういう人間なのだ。
綺麗な薔薇には棘があるなんて、昔の人はよく言ったものだよ。
「責任、か。重たいな」
「背負うべき業でもあるからね」
俺も、と佐竹が呟く。
「うん?」
「優志を巻き込んだ責任は、取るつもりだ。もちろん、それは義務感じゃなくて、でも……ああ、よくわかんね」
ぐしゃぐしゃって頭を両手で掻いて、
「とにかく、そういうことだ」
「締めるならもっと頑張って言葉を探してよ」
「出てこないもんは出てこないんだ!」
はいはい、と僕は呆れ混じりに笑う。
「雨、やまねえな」
「だね」
大分落ち着いたとはいえ、白糸のような雨が降り続いている。ホームの屋根から雫が滴り落ちて、黄色の線の外側を濡らしていた。線路に敷かれた石の隙間に落ちている空き缶に目が留まり、宇宙人が地球で頑張るコマーシャルのやつだ、と思った。
僕の隣にも宇宙人がいる。なんというか、自分以外の人間は宇宙人じゃないか? って考えるときがある。どういう考えをして、どういう生きかたをしているのかわからない。わからないから宇宙人なのだ。
僕らがいる惑星の名前が地球だって、幼少期の頃には既に理解していた。スーパー戦隊が「地球を守る!」と戦っていたし、漫画に登場する主人公も、「この地球を渡してなるものか!」と剣を握った。
だけどもし、この惑星の名前がEarthではなかったら?
別の惑星人は「青い天体だ」くらいの認識しなかったら? 地球という名称は地球人が勝手に決めた名前に過ぎず、他の銀河系は違う名称で呼び合っているかもしれない。
それに、宇宙と雨中をかけた壮大な駄洒落にしては、随分と遠回しだなとも思った。
宇宙のことはよくわからない。でも、放り投げ込まれた空き缶のなかにある小宇宙の存在は、それなりにではあるものの、認識できそうな気がした。
【修正報告】
・報告無し。