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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二十一章 Invisible,
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四百三十八時限目 失敗の先輩として


 ダンデライオンは、芳ばしいパンと挽いた珈琲豆の香りが混ざり合った匂いで満ちている。


 天井に設置されているスピーカーからは、スネアドラムにブラシを効かせたスロウジャズ。ピアノが、ポロロン、とアルペジオを奏でた。


 今日の混み具合は、三割程度といったところか。


 文芸部員の姿は見当たらない。


 いつもの席に目を向けると、空席になっていた。然し、犬飼先輩が座ったのは、その隣の席だった。


 僕と佐竹はお互いに顔を合わせて、「まあ、いっか」と頷く。犬飼先輩が僕らの指定席を知っているはずもないし、改まって「隣の席にしませんか?」というほどのことでもないだろう。


 対面側に座ってメニュー表に目を通している犬飼先輩は真剣そのものだった。ああでもない、こうでもないと口に出して、悩みに悩みカプチーノを選んだ。


 僕と佐竹は入店時に伝えてある。僕はカフェラテ。佐竹は「いつものをホットで」、と注文した。ホットココアだって直ぐにわかったのは、それだけの時間をこの店で共有しているからだ。知らなくても問題ないけれど、知っているとちょっとだけ面白い。それだけのこと。


 照史さんが淹れる珈琲は、いつも美味しい。いつもと違うのは微妙にずれた店内風景だ。落ち着かないな、と思った。ほんのちょっとの視界のずれが居心地に作用するなんて──ああそうか。


 この感覚は、『しっくりこない』だ。


「ご注文は以上でよろしいでしょうか? ──では、ごゆっくりどうぞ」


 照史さんにお礼を伝えて、カフェラテを一口飲んだ。ミルクとコーヒーがいい具合だ。ブラックもすきだけど、苦味を抑えたいときにカフェラテは重宝する。苦いだけでは駄目なんだ。間食にチョコレートを摘むくらいがいい加減である。


「はあ……生き返るようだわ」


 カプチーノの泡をぺろと舐め、艶やかになった唇でしみじみと呟いた犬飼先輩は、暖を取るようにしてカップに両手を添えている。爪が綺麗に磨かれているとか、そういうところに目が向いてしまうのはある種の職業病みたいなものなんだろう。


 アルバイト経験もない僕が〈職業病〉なんて単語を使うと、片腹痛いと思われそうだ。


「このお店のコーヒーはどれも美味しいけれど、あたしは断然カプチーノ」


 ──あたしは断然カプチーノ。


 アイキャッチみたいなフレーズだ。カプチーノ、で締めることによって語感のよさが引き立っている。カプチーノだ、でも、カプチーノです、でも駄目なのだ。『俺は海賊王になる』よりも、『海賊王に、俺はなる』のほうが印象的な台詞になるのと似た現象だろう。


「俺は普通にココア派っスけどね。マジで」


 佐竹のフレーズは、最後の『マジで』が視聴者に間抜けな印象を与えかねない。普通という単語もいまいちはっきりしない表現だ。てんで駄目。おとといきやがれと劇場に罵声が飛び交う情景が脳裏に浮かんだ。


「ダンデライオンのココアは濃厚で、一度飲んだら他の店で飲めなくなるくらいヤバいっスよ。リアルガチで」


 佐竹の残念過ぎるレポートに、フフッと破顔して、


「リアルガチって言葉の意味はよくわからないけど、そこまで言うのなら今度注文してみるね?」


「はい、割とガチめにヤバいんで!」


 美味しさを伝えるのにウェイ語はやめようね、と生温かい目で佐竹を見遣ると、「なにか言いたげだな」って目を返された。


 言いたいことは山ほどあるけど、言ったところで佐竹の口癖が直るはずもないだろう。これまで幾度となく指摘しても変わらなかった佐竹だ。もうこのままでもいいんじゃないかな? 割とガチで。




「犬飼先輩。そろそろ本題に入りませんか?」


 犬飼先輩と放課後のティータイムを楽しむために、ダンデライオンにきたわけではない。犬飼先輩も、八戸先輩との下校を無下にしてまでこの場にいるのだ。始めるのであれば、早いほうがいいだろう。


「そうだね」


 犬飼先輩は首肯した。


「弟が、太陽が迷惑をかけてしまってごめんなさい」


 テーブルに額を当てる勢いで、深々と頭を下げる。


「太陽は昔から、自分のことになると他人を顧みない性格で」


 僕は、隣に座る佐竹をちらと見た。真面目に訊いている様子だが、犬飼先輩の謝罪をどう捉えるだろう。両手はテーブルの上で、拳を握っていた。


「あの」


 なに? と首を傾げた犬飼先輩に、


「太陽がやっとことに、一応の理解はしてるつもりなんっスけど」


「うん」


「どうして犬飼先輩が頭を下げる必要があるのか、俺にはわからないっス」


 糾弾されても文句は言えないと覚悟していたにも拘わらず、予想外の言葉に面食らったのか、犬飼先輩は目を丸くした。


 僕らは被害者ではあるけれど、佐竹に至っては僕よりも始末の悪い嫌がらせを受けた。当然、容易く許せるはずはない。犬飼先輩はそう思ったからこそ、弟の尻拭いをするために僕と佐竹をダンデライオンに呼びつけたのだ。


 だけど、佐竹義信という男は僕とは違って、終わったことをぐじぐじと蒸し返すような陰険な性格をしていない。甘いとも思うけれど、苦いだけでは世界は廻らないことを、佐竹は知っている。


「褒められたやり方じゃあないにしろ、すきな人に振り向いてほしいという気持ちは本物だった」


「……でも」


「これを機に、自分を省みてくれたらいいっスよ。──優志はどうだ?」


 どうだ、と訊かれてもなあ。


「許す許さないは別として、罰は必要だと思います」


 人間だから失敗もする、それはしょうがないだろう。大切なのは、その失敗からなにを学ぶか、にある。失敗からなにも学べないのであれば、延々と同じ過ちを繰り返すだけだ。


 僕だって何度も失敗した。失敗を繰り返して諦めてしまった過去もある。偉そうに語る資格はないのかもしれない。でも、だとしても、失敗の先輩として伝えられるものがある。ただ、それを当事者ではない犬飼先輩に言っても意味はない。


「罰……具体的にどういう罰が必要なのか、訊いてもいい?」


「考える、です」


「考える?」


「はい。僕が言えるのは、それくらいですね」


 僕が言った『考える』の意味は、『他人の気持ちなんてわかるはずない』と豪語した本人が頭を悩ませるべき問題である。


 その結果、自分の世界の色を失ったとしても。



 

【修正報告】

・報告無し。

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