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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二十一章 Invisible,
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四百三十六時限目 八戸望の脳内は下ネタで溢れている


 翌朝も雨が降っていた。


 雨天の送迎バスは湿度が尋常ではない。へばりつくような車内の空気を煩わしく思いつつ、僕は外の風景を眺めていた。


 びしょ濡れになった小さな傘が、規則正しい列を作って青信号を待っている。ランドセルがカラフルだ。僕が使っていたのは黒で、渋い鶯色のランドセルを持っている同級生が羨ましい思っていた。懐かしい記憶だ。


 学童たちを過ぎると、茶色く濁った川が見えた。昨日から続く雨のせいで、勢いが増している。(はん)(らん)はしないだろうけれど、増水した川に落ちればひとたまりもないな。と、他人事みたいな感想を抱いた。


 この雨は、一週間ほど続くらしい。今朝の天気予報で、お天気お姉さんが言っていた。黄色のレインコートを着ていた。傘も差していた。レインコートの意味とは。


 世は矛盾が付き物というが、レインコートに傘は過保護なのではないか? と僕は思う。然し、これもクレーム対策の一環かもしれない。それとも、スポンサー的な問題か。どっちもなさそうだな。


 僕の隣に座る一学年上の先輩・()()(のぞむ)は、読んでいた本をぱたりと閉じて、「雨だね」と所在無さげに呟いた。


 独り言だ、と無視してもよかったが、どうも返答を待っているというか、期待している様子である。僕は窓の外を見つめたまま、八戸先輩と同じトーンで、「そうですね」とだけ答えた。


 バスが坂道に差し掛かったときだった。


「太陽と揉めたらしいね」


 思い出したと装うけれど、当初からこの話題を振ろうと(いとぐち)を探していたのだろう。天気の話題でワンクッション入れるなんて、面倒な話題の作りかたをしなくてもいいのにな。


「はい」


 と、僕は頷いた。


 梅ノ原駅で八戸先輩の姿を見かけて、この話題に触れるだろう予感はしていた。それなりの回答は、八戸先輩が口を開くまでの間にいくつか用意できた。ただ、想像どおりの質問を八戸先輩がするのかどうかは、出たとこ勝負だ。


「仲よくしてほしいとは思うんだけど、どうかな」


 犬飼弟に泣きつかれて情に(ほだ)されたというよりも、親戚の子どもが可愛いから、みたいな口振りだった。


「八戸先輩も気苦労が絶えないですね」


「自分はベースがお似合いなんだろう」


 そう言って、苦々しく笑う。


 ベースって、楽器のベースだろうか。ボーカルとギターは華で、ドラムが縁の下の力持ちだとすると、ベースはそれらを繋ぐ線のような役割だ。地味過ぎず、目立ち過ぎずの燻し銀みたいな。


 どちらかと言えば、八戸先輩はギターだろう。それも、早弾きを追求したスラッシュメタルバンドの変態変速ギターだ。抜群のテクニックでオーディエンスを沸かせる。勿論だが、悪い意味で。


「太陽君から顛末を訊いたんですか」


 まあね、八戸先輩は首肯した。


「敵を作りやすい性格なんだ。素直過ぎるゆえに」


 素直な性格であれば、なにを言っても許されるわけではない。


 自分のキャラクター性を他人に押し付けるのは横暴だ。


 素直だから、我儘だから、サバサバだから──。


 ()()()()()()は沢山あるけれども、それを堂々と盾にするのは厚かましい態度だと言わざるを得ないよね。


「本音だったたら、なにを言ってもいいんですか?」


「そういうわけではないさ。ただ、理解する努力だって必要だろう?」


「理解していほしいのならば、当人が理解されるように努力するべきだ、と僕は思いますけど」


「いやはや、手厳しい意見だ」


 あんなことにならなければ、「善処します」と答えられただろう。


 でも、なにもかもが手遅れだ。


 一度拗れた関係を修復するには、相応に努力が必要である。僕と天野さんがそうだったように、双方が歩み寄ろうとしない限り実現しない。


 それだって、これまで培った信頼関係の有無が作用する。僕と犬飼弟の信頼関係は、最初からなかった。マイナスから始まって、マイナスで終わった関係に、プラスになり得る根拠はどこにもない。


「太陽も反省しているとは思うんだ。──それでも難しいかい?」


「太陽君次第としか……いや、難しいですね」


 それだけのことを、犬飼弟はやってしまったのだ。簡単に許してしまえば、同じことを繰り返しかねない。それこそ、犬飼弟のためにならないんじゃないかって、僕は考えた。


「厳しいな、鶴賀君は」  

 

「後輩に道を示すのが、先輩の役目ですよ」

 

「耳が痛いねえ」


 バスは急勾配の坂道を登り切った。


 開けた視界に入るのは、灰色の雲に覆われた空と、一件のコンビニエンスストア。コンビニの横を通り過ぎれば、なだらかなS字の下り坂になる。


 あと一〇分もすれば梅高に到着するタイミングで、「八戸先輩は、告白されて振った経験はありますか?」と質問を投げた。


 八戸先輩は顔色ひとつ変えず、


「あるよ」


 当然だと言わんばかりの声音に、格の違いを見せつけられたような気がした。


「その後、振った相手とはどういう関係ですか?」


「良好な関係だったり、疎遠になった人もいるね」


 いまでも友だちだ、とは言わないんだな。それに、狡い答えだな、とも思った。告白をする方も、される方も、そう簡単にできることじゃない。その後の人間関係だって、これまで通りというわけにもいかないだろう。


 相手の気持ちを拒絶するなら、尚更だ。


「疎遠になった人と復縁しろって言われたら?」


 坂を下り終えた先にある信号が赤になり、バスが一時停止した。青信号に切り替わり、再び走り出したタイミングと同時に、八戸先輩は開口した。


「相手が復縁を求めるのであれば、その限りではないな」


 飽くまでも、自分からは動かない。


「下衆ですね」


 でも、否定はできなかった。肯定もしないけれど。


「この問題に答えはないさ。強いて言うと、自分がどうしたいのか」


「自分がどうしたいのか……」


「鶴賀君もさっき言っていただろう。──()()()()()って」


 バスが梅高の停留所に到着した。


 我先にと立ち上がる梅高生徒たちの片手には、傘がある。それを見て、僕は「しまった」と思った。電車に傘を忘れてしまった!


 動揺する僕を見て、八戸先輩はいやらしい目つきで笑う。


「入れてあげようか? それとも、逆がいいかな?」


「表現が生々しくて気持ち悪いので結構です」


 とは断ったけれど、校舎までの距離を鑑みれば、相席したい。


「強がっていても、これが欲しそうな顔をしているじゃあないか?」


 手持ちの傘を、これ見よがしに見せびらかしてくる。


「くっ……殺せ……」


「最初から素直にそう言えばいいんだよ。素直になるのは、とっても大切だからねえ?」


 八戸先輩の勝ち誇った態度が鼻につくけれど、雨に濡れるよりはマシだ。


 とはいえ、正体不明の喪失感が僕を襲っていた。


 相合傘をしながら校舎に向かう道すがら、隣を歩く陰険な男に一泡吹かせられないものかと考えていたが、僕に雨が掛からないように傘を差す八戸先輩を思うと、責めるに責められない。

 

「八戸先輩が濡れちゃいますよ」


「これくらい、どうということはない」


 ちょっとだけ、気づかない程度に八戸先輩の下ネタトークに乗っかってあげたのに、今度は真面目に返すのか。


「自分はね、濡らすほうが得意なんだ」


「ああ、そうですか」


 前言撤回。


 やっぱり、八戸先輩の脳内は下ネタで溢れている。

 


 

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・報告無し。

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