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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二十一章 Invisible,
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四百三十三時限目 なにもない朝


 携帯端末のアラーム音で目を覚まし、洗面台で歯を磨く。鏡に映った自分の姿を見て、酷い寝癖だな、と思った。寝起き丸出しのラノベ主人公ほど大袈裟ではないけれども、さすがにこのまま学校に向かうのは恥ずかしい。


 洗面台の鏡は隠し収納の扉になっている。下部にあるちょっとした隙間に手を入れて引っ張れば、マグネットで固定された鏡が開く仕組みだ。内側の棚からスプレータイプの〈寝ぐせ直しウォーター〉を取り出して髪の毛に吹きかけて、百均で購入したブラシで髪を整えた。


 洗顔、化粧水、乳液の流れが染み付いていた。化粧水は質よりも量が重要らしい。なので、僕が使っている化粧水は安物だ。両手に残る乳液を水で洗い流すのは勿体ないので、腕に塗って伸ばした。


 この時間になると両親は出勤した後なので、リビングは閑散としていた。寂しいという気持ちはとっくの昔に薄れてしまった。いまでは朝の静かな時間が心地よく感じている。


 電気ケトルに水を入れて、スイッチを押した。ケトルに水を充分に入れてから電源を入れるのが正しい使用方法だ。そうしないと故障の原因になるらしい。あと、ミネラルウォーターも使ってはならない。ミネラル分が結晶化して、水垢になるからだ。


 お湯が沸くまでの間、朝食の準備をする。冷蔵庫のなかには、母さんが作っておいてくれたサラダがある。それと、卵、ベーコンを取り出した。今日はベーコンエッグとトースト、サラダ。飲み物はコーヒーで、ご機嫌な朝食にしよう。


 ヨーグルトもあれば尚よしではあるが、昨日の帰りに買おうと思って忘れた。今日の帰りには必ず買ってこようと心に誓いつつ、ベーコンエッグの調理に取り掛かった。──朝から気合いの入った朝食になってしまった。


 インスタントコーヒーを一口啜り、テレビの電源を入れる。通販、(さい)の国ニュースと番組を切り替えて、本日の天気予報でチャンネルを止めた。曇り時々雨。降水確率は三〇パーセントとある。一応、レインコートを着ていこう。埼玉県の降水確率なんて、あてにならない。これ、埼玉県民の常識だ。知らないけど。


 食器を片付けて部屋に戻り、着替えを済ませた。鶴賀優志の朝のルーティンは、大体こんな感じで終わる。


 自転車を車道に移し、跨る。カゴに入れた鞄には、ゴミ袋を二重にして被せてある。いつ雨が降ってもいいように、対策は万全にしなければならない。三〇分間ノンストップのサイクリングが始まるからだ。


「ちょっとのんびりし過ぎたかもしれないな……」


 腕時計を確認して、ペダルを漕いだ。






 だれもいない教室に足を踏み込む瞬間は、隔離された世界に進入する気分になる。うきうきやわくわくといったような高揚感ではなく、道場や体育館にある空気感。神聖な場所なんて(こと)(ごと)しく表現するほどでもないが、ちょっとくらいは身が締まる思いだ。それも、自分の席に座わってしまえば、直ぐに消えてしまうのだけれど。


 ぼんやりと窓の外を見つめた。春には満開になる桜の木も、いまは寒々しい枝を見せるばかり。緑が濃い遠方の山々の正体は、杉の木である。紅葉が見れるのは、後者の裏側にある山だ。とはいえ、もう紅葉のシーズンは終わってしまった。


 窓の外を見るのをやめて、教室全体を見渡す。月ノ宮さんの席、天野さんの席と見て、最後に僕の席の前、佐竹の席に目を留めた。


 そろそろ答えを出さなければいけないと、あの日、佐竹に抱き締められて思った。だけど、僕が選ぶなんて烏滸がましくないだろうか。どちらかと付き合う、という実感も未だにない僕が、どちらかを選ぶなんて失礼極まりないんじゃないか、とも。


 答えを出すと約束した日から随分と待ってもらっている。決断しなくちゃいけない。二人のことも、自分自身についても。


 僕は、女性として生きることを望んでいるわけじゃないんだと思う。でも、男性としていきるのは窮屈だって感じる。どうして〈男〉か〈女〉かを決めなければいけないのか。仮にそれが正しいとして、どうして幼少期の頃から教えないのだろうか。


 子どもにはまだ早い、と勝手に大人が決めつけて、鬱陶しい問題を先送りにしているだけだ、と僕は思えてならない。恋愛だってそうだ。昨今では昔よりも同性の恋愛に寛容だとはいっても、差別と嫌悪は根強く残っている。


 この問題を僕がどうにかできるなんて思い上がりはしないけれども、恋愛なんて形のない物を型に嵌め込むのは、それこそエゴなんじゃないかって──。


 だけど、均衡を守りたいという気持ちもわからなくはない。同性の恋愛に厳しい目を向ける人たちが悪ではないのだ。受け入れる必要もないと思う。ただ、「そういう価値観もあるよね」と、そっとしておけないのはどうしてか。


 同性の恋愛と訊いただけで目くじらを立て、「お前たちは間違っている」と糾弾する人も多い。男性が女性の格好をしただけで、「病気だ」と決めつける人もいるだろう。


 自分が受け入れられない〈事実〉を否定して、我こそが正しいと主張するその心こそ病気だ。でも、「お前こそ病気だ」って反論してしまえば、同じ土俵に立つことにもなる。声が大きいほうが正しいと判断するのは、本質から目を背けているだけで、解決には至らないわけだが、だとして、正論にどこまでの価値があるだろう。


 自分が相手の立場だったらと考えられる人が減っているのも仕方がないのだろう。そういう時代だって割り切るしかない。


「で、結局なにが言いたいんだ。僕は」


 ──恋愛って、面倒なことばっかりだ。


 これに尽きる。



  

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