二十四時限目 それぞれの思惑[月ノ宮楓・後]
「楓は博識ね」
「そんなことはないですよ」
リュウグウノツカイの逸話も、八尾比丘尼伝説も、以前にちょっと興味が沸いて調べた程度の薄い知識で、誇らしげに語れるほどの代物ではなかった。
人魚伝説で印象に残っているのは、人魚が食用目的で探されていたこと。なんでも、人魚の肉を食べると八尾比丘尼のように不老不死になれるらしい。
八尾比丘尼は一十五、六歳の見た目で数百年も生きていたとされている。
永遠の若さ、永遠の命は人類の夢と言っても過言ではなく、中世ヨーロッパに生きた貴族たちの間で、『赤子の肉を食べると若さを保てる』という話や、『若い女の血を浴びると美容にいい』なんて、血生臭い話が出てくるほど。
また、その頃には黒魔術や錬金術といった観点からも、永遠の命に対するアプローチをかけていて、その代表的な物が〈賢者の石〉だけれど、私の知る限り、賢者の石に辿り着いたのはパラケルススのみでありながらも、彼が本当に賢者の石を生成できたのかは不明だ。
「じゃあ、ダイオウグソクムシについては?」
ええと……。
「……食べたら美味しいらしいです」
それは『オオグソクムシを食べたら』であって、オオグソクムシよりも体が大きい『ダイオウグソクムシを食べたら美味しい』かはわからない。
イカは美味しいけれど、ダイオウイカはアンモニア臭が酷くて食用に向かないと訊くので……ダイオウグソクムシの味を想像して、気分が悪くなってきた。
「食べられるかなんて訊いてないけど。……ふふっ、楓って冗談も言うのね」
あ、ああ……。
今日一番の笑顔が眩しい……。
冗談を言ったつもりはないけれど、結果オーライというやつですね!
「ごちゃごちゃ考えてるのが馬鹿らしくなってきたわ。ありがと、楓」
勿体ないお言葉、恐悦至極に御座います!
大殿様の家臣の気持ちが、少しだけわかったような気がする。
好意を寄せている相手を楽しませることが、こんなにも心が温まるだなんて知らなかった。私が会社のトップになった暁には、部下からそう思われるような存在になろうと心に決めて、うんうん頷いていたら、恋莉さんがそんな私を見て一笑した。
「首振り人形みたいよ? その動き」
その言葉ではっと我に返った私は、顔が火照るのを感じて咄嗟に顔を覆った。
「うう……、見ないで下さい」
恥ずかしさをどうにか霧散させようと、体をもじもじしながら、塞いだ両手の隙間から恋莉さんの様子を窺うと、恋莉さんは温かい目で私を見ていた。
「見ないで下さいと言ったではないですかあ……」
「ごめんなさい。でも、最初のイメージとは随分違うなって思って」
「最初のイメージ?」
恋莉さんとの運命的な出会いは、入学式にまで遡るので省略するとして、どんなイメージを持たれていたのか訊ねた。
「綺麗で可愛いのは言わずもがなだけど、どこか近寄り難い印象だったのよ」
すみません!
最初の部分がよく訊き取れなかったので!
もう一度!
愛情込めて発声を!
お願いしてもよろしいでしょうか!
あと、音声だけ録音するのは可能ですか?
……なんて、欲望丸出しにしたい気持ちを抑える。
「それは、月ノ宮の名を冠する者の宿命みたいなものです」
事実、これまでそういう目でしか見られなかったのだから、恋莉さんがそう思っていても無理はない。
であるならば、それを利用する手段はないでしょう。自分が優位に立てるならば、私を見ずに〈月ノ宮〉という名前だけを見ている者たちは、遠慮無しに手駒としてきた。そういうドライな関係が嫌いなわけではない。利害が一致しているなら、配下に置いても損は無し。
小学校から中学校は、ありとあらゆる学校行事に干渉して、敏腕を振るうかのように生活していたけれど……、それが楽しくなかったわけではないにしろ、満足感は得られずに卒業を迎えた。
そして、高校は実家から近い場所にある梅高を選び、自分の将来に向けた勉強を優先しようと決めて、生徒会や部活動の勧誘は全て断った。
だけれど、断った理由は他にもある。
いま、眼前にいる彼女を一目見たとき、これまでに類をみないほどの衝撃と、感動と、激しいくらいの興奮を覚えたから。
一目惚れなんて生温い言葉では言い表すこともできないような、官能的な出会いに驚喜したのは言うまでもなく、その日の内に彼女のことを徹底的に調べ上げた。
思い返せば、ここまでかなり遠回りした気がする。
優志さんと佐竹さんが、なにやら怪しい動きをしているのが目に留まり、機を見るに敏と行動して正解でしたね……。
「いや、私が言ってるのは、そういう意味じゃないんだけど」
「え?」
「楓とよく目が合うんだけど、そのときの目がね……。いやらしいのよ」
──ど、どのようにでしょうか?
──鼻の下が伸びてる感じかしら。
「やたらニヤニヤしてるし、ちょっと……ね」
いま、天国と地獄を同時に見た気がする。
「正直に言わせて頂くと、恋莉さんの美しさに目を奪われていました……」
「ええ!? 楓のほうが綺麗だし、可愛いじゃない!」
「それは見識の違いです」
自分の容姿を肯定できる人間は、芸能人かナルシスト、と相場が決まっている。
「まあ、たしかに。自分で自分の容姿を肯定するのは難しいわ」
ダイオウグソクムシの住む水槽の前でする話じゃないわね、と恋莉さんは苦笑いした。
「適当に回って、佐竹たちと合流しない?」
喉も渇いたし、と続ける。
「そうですね」
はあ……、もうおしまいですか。
可能ならば、このあとお食事でも如何でしょうか? って誘いたいのは山々ですが、ダブルデートと銘打っているので無理でしょう、と観念して、恋莉さんが歩き出すタイミングで、私も足を踏み出した。
【備考】
読んで頂きまして誠にありがとうございます。
これからも応援よろしくお願い致します。
誤字や脱字を発見した場合は、お手数では御座いますが画面下にある『誤字報告』からよろしくお願い致します。
by 瀬野 或
【誤字報告】
・2021年1月27日……誤字報告による修正。
報告ありがとうございます!