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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
二〇章 The scenery I saw one day,
607/677

四百二十六時限目 リトルマーメイド症候群


 試練の塔はピサの斜塔を彷彿とさせるデザインで、外側には拳銃のバレルみたいな曲線を描く太いレールが巻きついている。座席部分は塔のイメージを損なわないように、石材を模して作られていた。セーフティバーは樹皮加工をされた鉄で、細部にも拘りが見受けられる。


 乗客全員がセーフティバーを装着したのを確認したスタッフが、『勇者一行の皆様、どうぞ生きて帰ってきて下さい』と、洒落にもならない台詞を吐いてその場を離れていった。設定上の理由で、試練の塔に挑んで帰ってきたものはいない、を強調したいのだろう。──それはわかる。


 でも、乗客は先の台詞の意味を違う意味で捉えてしまうのも当然だ。


「な、なあ……このアトラクション、大丈夫だよな?」


 私の右隣りに座る佐竹君は、ギルドスタッフの台詞を訊いて怖気付いた。


 無理もない、と思う。絶叫マシンはすきだけど苦手な佐竹君にとっては死の宣告に等しかったのだろう。万が一の確率に怯えている。


「ささささ佐竹先輩はびびびびりですねえ!? ぼぼぼぼくはここここんなのどうということはな──」


 いですよ、と言い終わる前にアトラクションが動き出した。左斜め上にゆっくりと旋回しながらシートが宙に浮く。地に足が付く安心感を失った二人はこの世の終わりみたいな表情で、離れていく地面を愛おしそうに見つめていた。


 私には、絶望する二人を構う余裕がなかった。


 セーフティーバーを装着した際にスタッフさんが言っていたのは、洒落にならない台詞と、『帽子などの外れやすい装飾品はこちらでお預かり致します』というアナウンス。──迂闊だった。


 高さ五十二メートルから落下するとなりと、その最高時速は約六十五キロ。とどのつまり、私たちは車体のない車に乗って高速道路を突き進むことになる。時速六十五キロの風圧は、人間が風に向かって歩けないほどの力だ。枝が折れ、民家の屋根瓦が吹き飛ぶほどの威力に、ピンだけで固定したウィッグが耐えられるはずもない。


 かつて私は、海で溺れたレンちゃんを助ける際に、ウィッグが外れてしまった経験がある。あのときは詮無いと諦めもついたけれど、では、この状況でウィッグが外れたらどうなるだろうか。ピンが外れて自由を手に入れたウィッグが、ファンパの空を飛翔する。


 それを目撃した人々は携帯端末のカメラを謎の飛行物体に向ける。そして、SNSで拡散するまでの流れ。『カツラが空飛んでて草』、とでも題そうか。


 そうなってしまったらと思うと、試練の塔、フライングウィッグ、倍の恐怖が私を襲う。


 二人は恐怖に耐えるべくセーフティーバーを両手で握りしめているけれど、私は一人で防災訓練をしているような格好だ。空中で地震が派生するはずもないのに、後頭部を抱える私。唯一の救いは、皆、自分だけで精一杯で、私のことなどお構いなしだという状況。


 不幸中の微々たる幸い。道端で一円を拾った程度の幸福感だが、道端に落ちている一円玉には他人の不幸が付着している、なんて言い伝えもある。どちらを選んでも災いが降りかかるのならば、私は全力でウィッグを死守する。それ以外に選択肢は存在しないのだ。


 試練の塔の最上部に到達して、嵐の前の静けさが訪れた。風景を見ている余裕などない。「あ、スカイツリーだ」なんて暢気な声をあげている勇者の一人に殺意が湧いた。魔王がコイツを倒せないのならば、私がコイツの息の根を止めてやろう──と思った瞬間に。


 突然の急降下。


 右に回転しながら常識外れのスピードで落下していく私たち、勇者一行。スカートの端がばたばた音を立てる。頬が持ち上がるような感覚と、下腹部辺りが寒くなる気持ち悪さが同時にやってきた。案外、乗っていると他の乗客──バンシー──の叫ぶ声は訊こえないものだ。というか、自分の頭部を抑えることに必死だからかも。


 だが然し、この男の叫び声だけは例外だった。


「プオオオオオオオオオオウッッッ!」


 キングオブポップが、隣にいた。スリラーな体験をビートイットする彼の視界はブラックオアホワイトしているに違いない。そして、脳内はジャムる。


 佐竹君のポップスター振りに冷静さを取り戻してはいるけれど、それはそれとして頭部を支える腕が限界を迎えそうだ。


 ──ああ、もう無理。


 腕が外れそうになったとき、左右から手が伸びた。


「やべえ状況だけどおおおおおッ!」


「鶴賀先輩の〝ソレ〟は全力で守りますううううううッ!」


 ありがとう、二人とも──でもね、この状況は如何ともし難いのよ? どこからどう見ても、観衆からは『彼女の頭を撫でている』とはならないし、不自然さに拍車が掛かっただけなんだよ。けれど、腕に力が入らなくなっていたのは事実だ。


 私は上下運動を繰り返す試練の塔に身を委ねつつ、顔から火が出るくらいの恥ずかしさに耐えるばかりだった。





 手荷物を回収し、近場にあったベンチにへたり込んだ。


「俺、多分、一度死んだわ……ガチで」


「同意見です……」


「二人ともありがとね。お陰でウィッグは無事でした……」


 座ったまま頭を下げる。


「ま、まあ、エスコートするのが趣旨だったしな?」


「取り敢えずはまだ同点というところでしょうかね」


 エスコートされたのがウィッグという事実は、私の心のなかだけに留めておこうと思う。


「なあ優梨、俺ら頑張ったよな? ちょっとくらいサービスしてくれてもいいんだぞ?」


「そうですね。片腕一本分くらいの努力は認めてほしいです」


 そう言われると、麦わら帽子を託したくなる。が、私は麦わら帽子を被ってこなかったので託せる物がない。ビビり二人が自分の恐怖を顧みず、尽くそうと頑張ってくれた努力には報いなければ。


「じゃあ、肩を貸してあげる。──これでいい?」


「マジか!」


「ぼくとしては太腿をお借りしたいんですけど、それはまた後日に取っておきますよ」


 二人の頭部が私の肩に乗せられる。


「ああ……俺、このまま寝れるわ。普通に」


「いつかはぼくだけの物になるので、それだけはお忘れなく……」


「ばか言ってるとやめるよ? 連帯責任だからね?」


 クスッ、と笑う。


 肩だけだって言ったのに、二人とも、ちゃっかり私の手まで握っている。


 なんだかなあ、と空を見上げた。


 太陽が落ち始めて青空の色に黒が混ざり、冒険の終盤を予兆させている。撫でるようなそよ風が心地いい。騒然とするファンパ内で、このベンチ周辺だけは静けさを感じた。


 私はいま、青春をしているのだろうか──。


 それとも、青春を演じているだけなのだろうか──。


 二人から伝わる熱のせいで、感傷的になっているだけだとしても、多分、私はこのときを楽しんでいるんだと思う。


 楽しいと罪悪感がセットになるのが嫌だ。やるべきことが他にあるんじゃないか、考えることがあるんじゃないか、楽しいと思い込むことで自分の罪の意識から逃げているだけなんじゃないかって、心が騒ぎ立てる。


 忘れようとしたってふとした瞬間に、真っ黒な感情が波のように押し寄せてくるのだ。


 楽しむことが罪になるなんてのは、被害妄想に過ぎない。否定して、肯定して、自ら生み出した侘しさの海に沈む。海底から見上げれば美しい世界が頭上に広がっていても、それに手を伸ばす勇気がない。掬い上げてほしい。でも救わないでほしい。


 私はこの症状を、リトルマーメイド症候群、と名付けた。なんとなくそれっぽい名前を付けてみると、なんとなくそれっぽい雰囲気になる。酷く曖昧模糊な説明でも、私だけが知っていればそれでいいんだ。


 助けてほしい──。


 なんて、口が裂けても言ってはならないから。


 私だけの葛藤に他人を巻き込むのくらいなら、人魚姫の末路のように、泡になって消えたほうがマシだ。



 

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