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女装男子のインビジブルな恋愛事情。  作者: 瀬野 或
一十九章 He looked envious at the sky,
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三百九十六時限目 スーパースターに憧れて 2/2


「あの山の頂を拝めたのですから、お茶会の内容なんて些細な問題に過ぎません」


 そりゃあよかったですね、と僕は思いつつ、ちょっとした不満をオレンジソーダと一緒に呑み下した。どうしてこういう店で飲む炭酸飲料は格別に美味しいの? 疲れたときに飲む缶コーヒーや、眠たい状態で飲むエナドリに匹敵する美味さだ。


「話はそれだけ?」


「いいえ」


 と頭を振り、緩みきった頬を両手で揉みほぐす。毎日のように愛想笑いを作っている月ノ宮さんの表情筋は粘土さながらの柔らかさで、それでいて張りもある。触ったら低反発枕のような感触がしそうだ。だからといって、手を伸ばして触れようなどと恐れ多いことはしないが。


 教室では一切隙らしい隙を見せることがない月ノ宮さんだが、僕たちの前では自然体に振る舞っているように思える。学校では、さっきのように感情丸出しになって(まく)し立てるようなことは、ほとんどと言っていいほどない。それはつまり、僕らには気を許せる、という意思表示なのだろう。そうだったら嬉しいな。


「いろいろと考えたのですが、優志さんが邪魔をしていなければ、私は破滅していたでしょう。そのお礼を申しあげたくて待っていたのです」


 月ノ宮さんらしくないとっても素直な反応に、僕は首を傾げた。


「お茶会のお礼をって話じゃなかった?」


 訊ねると、恥ずかしそうに身を縮こませて、もにょもにょと口を動かした。


「そんなものは口実です……照れ隠し、です」


 照れ隠し、ねえ。


「なんですか」


「いや、べつにい?」


 口では僕を認めたように言っていたけれど、腹の奥底では『認めてやるものか』と意地を張っていたのかもな、と思った。


 それは僕も同じだった。月ノ宮さんを〈才色兼備の超人〉だと思っていたのは、自分が劣っているからこその安心感を得るためだったに他ならない。そうやって卑屈に構えていれば、いざというとき矢面に立たずに済むからだ。


 だけど今回、矢面に立たされて気がついた。気を配ることの大切さ、相手を思い遣る重要さ、他者を喜ばせるための努力が如何に大変であることを痛感した。 


 だれしもが産まれてすぐに、スーパースターになれるわけではないのだ。いや、産まれたてはスーパースターかもしれない。この世に生を受けた時点だけを切り取れば、だれしもが人生の主役足り得る。──然し。


 それからが大切なのだ。主役であり続けるには努力が必要不可欠で、怠けた者から主役の座を奪われていく。転落したまま人生を過ごすか、それともそこから這い上がるのかで、更に道は分岐していく。分岐すればしていくほど高みからは遠ざかる。


 月ノ宮さんは親愛なる兄が勘当されても腐らなかった。自分のやるべきことを定め、邁進する。それだけを念頭において日々を送っていたからこそ、いまの〈月ノ宮楓〉があるのだろう。


「含蓄のある笑いかたをするのは、やめていただきたいのですが」


 あはは、と誤魔化して、


「月ノ宮さんと僕は似た者同士なんじゃないかって思ってたんだ」


「お互いに頑固ですからね」


 それだけじゃない。


 負けず嫌いなところも同じだ。──でも。


「決定的な違いがあるって気がついたよ」


「それは」


「愛情、だね」


「あいじょう、ですか?」


 うん、と頷く。


「月ノ宮さんは愛に真摯だ。でも、僕はそうじゃない。受け止め切れないほどの愛情を与えられても困惑するばかりで後回しにする最低な人間だよ」


 月ノ宮さんは落ち着いた表情でコーヒーを飲んだ。一口飲んで蓋を開き、ミルクを数滴たらしてかき混ぜた。白と黒が混ざり合ってもコーヒーは灰色にならない。ミルクの量が足りないとか、そういう理由でもない。コーヒーは黒一色で表現されるけれど、実際には純粋な黒ではないのだ。


 仮に灰色のコーヒー牛乳が存在していて、「コーヒー牛乳です」と出された液体をコーヒー牛乳と認識できる者はいるのだろうか。「なにかの薬品だ」と思うほうが普通である。


 プラスチック製の蓋を丁寧にはめ込んで、もう一口飲む。多少の味の変化はあったようだが、それでも口に合わない様子だった。


 ちらと僕のカップを見る月ノ宮さん。口直しがしたい、と目が訴えている。口を付けてしまっているけどいい? 断りを入れてから差し出すと、「気にしませんので」。なんの躊躇いもなくストローに唇を付けて飲んだ。


 間接キス()()、意識しないんだ。


 ──とかってなんだよ。


「ありがとうございます」


 紙ナプキンで口を付けたところを拭いて返却された。


 渡されたカップを手前に置いて、もしかすると僕は月ノ宮さんに異性と思われていないんじゃないか? と思った。相手が僕ではなく佐竹だったら、と考える。月ノ宮さんは一度離席し、「お手洗いにいってきます」という口実で新しい飲み物を取りにいっていたかもしれない。


 僕とは違い、男と呼ぶに相応しい体格をしている佐竹と、いつまでも小学生に見間違えられる僕とでは対応に差がある。勿論、佐竹だからぞんざいに扱うというわけでもないだろう。リーダーっぷりは評価しているようだし、認めてもいる。生理的に無理というのであれば関わりを持たないはず。──であるならば。


 やはり僕は〈男性〉として見られていないってこと? 天野さんと出会ってなければ恋していたかもしれないっていうあの台詞の真意はいったいなんなんだ。どういった基準で他人を判断しているのか、いよいよわからなくなってしまった。


「先程のお話ですが」


 いつになく真剣な趣で、 


「最低だと思うのであれば最高を目指せばいい。甲斐性なしだと思うのであれば甲斐性のある人間になればいい」


 それだけのことではありませんか? と投げかけられた。


「そんな簡単なことじゃないよ」


「いいえ、簡単な話です。社会と人間は似ていて、仕組みさえ理解すれば九九の七の段よりも単純明快。複雑にしているのは、複雑だと思っている本人のせいでしかありません」


 言を止めずに続ける。


「優志さんは、自分の欠点に気がつかない人間よりは利口だと言えましょう。世の中には自分の正義が唯一だと勘違いしている愚かな人も多数存在しますが、それと比較しても立派に人間をしていると、私は思います」


 ──人間を、している。


 僕は、月ノ宮さんの言う〈人間〉をできているのだろうか。


「またしても私に勝利したのですから、しゃきっと胸を張ってください」


 つん、と左の人差し指で突かれた。


「いつか必ず優志さんを泣かせてみせます」


 そこに硬い表情はなかった。ときどき見せる優しげな笑顔と相手を気遣う温かい手。 僕でなければ惚れていたに違いない。六角形の心のバリアが分厚くてよかった。だけど、温もりだけはそのバリアさえ貫通してくるもので──。


「既に泣きそうなんだけど」


 泣きはしないけど、視界は歪む。


 情けないばかりだ。


「その涙は私に惨敗したとき用に取っておいてください」


 僕と月ノ宮さんの勝負は、まだまだ終わらない。


「これからもよき好敵手であることを期待していますよ」


「それはどうかな」


 強者扱いされたり、好敵手認定されたり、僕はバトル漫画の主人公ではないんだけど。みんな適当言って期待してくれるなよ。


 心の中で苦笑いして、オレンジソーダをずずずと鳴るまで飲み干した。──こんなに少なかったっけ?


 月ノ宮さん、口直しが多過ぎやしませんか。





 * * *





『最低だと思うのであれば最高を目指せばいい。甲斐性なしだと思うのであれば甲斐性のある人間になればいい』


 なれるだろうか。こんな僕でも誇りを持てる人間になれるだろうか。いつまでも空気に徹しているようでは誇りを持てるはずはない。


 月ノ宮さんの言葉を借りるのであれば、ただの空気ではなく、マイナスイオンを発生させるような良質な空気になればいいってことかな。


 言うだけならば簡単。然し、実行するのは困難。


 でも、挑戦しなければずっと透明なままだ。


 ──だれにも見つけてもらえないのは寂しい。


 来週から本格的に授業が始まる。生徒会は新たな生徒会長を迎えた新体制となる。夏休みを経てクラスの人間関係にも変化が起きているに違いない。それにも興味を示さなければならなくなるだろう……ならば手始めに佐竹軍団筆頭、クラスのリーダーでもある佐竹義信の誘いに乗ってみて、あのバイブステンアゲヤリラフィーなノリについていけるか試してみるのも悪くはないか? それはさすがに地獄の日々だよ、普通にガチで。


 バスの揺れが気持ちよくて、目を閉じたいとお思った。然し、眠るわけにはいかない。


 ──ああそうだ、佐竹のメッセージを読んでいなかった。


 眠気覚しの代わりになってくれるだろう、なんて調子のいいことを考えながら携帯端末を取り出した。


『明日は日曜日だしどっかいこうぜ』


 どっかってどこ? と返したが、既読の文字はつかなかった。財布の中身も乏しいし、遠出はあまり乗り気がしない。というか、ここ数日間はずっと動きっぱなしだったし、たまの日曜くらい寝て過ごしたのが本音だ。ぴろん、と通知音。それと同時に僕が降りる停留所の名前を車掌さんが読み上げた。返信は帰宅して、ベッドに寝転がりながらでもすればいい。涼しかったバスを降りた。


 季節はもう秋だというのに暑苦しい夜だ。見上げた空は、プラネタリウムのような星の輝きはない。でも、見えないだけでそこには確実に存在している。見つけられないというのは、とても寂しいことだ。


 僕を見つけてくれた彼らのようにだれかを見つけることができるかどうかは怪しいけれど、その手伝いくらいはできるんじゃないかとは思う。その前に。


 先ずは──そう、自分で自分を見つけてからだ。



 

【一十九章を書き終えて】


 どうも、瀬野 或です。

『He looked envious at the sky』は如何でしたでしょうか? 楽しんで頂けたのであれば嬉しい限りですが。

 今回のお話は、

『月ノ宮さんの結婚を阻止しよう』

『月ノ宮さんの告白を妨害しよう』

『月ノ宮さんのお願いを叶えよう』

 の、月ノ宮さん尽くし三本仕立てでお送りしましたが、長かった。本当に長かった。ここまで読んで下さった読者の皆様、本当にお疲れ様でした。次回は誰のお話になるのか、楽しみにお待ち頂ければと思います。


 これからも当作品の応援をよろしくお願い致します!


 by 瀬野 或


【修正報告】

・報告無し。

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