二十四時限目 それぞれの思惑[天野恋莉・後]
「私のことを、いつもチラチラ見てるわよね」
「そ、そんなことないですよ? かかか、勘違いでは……?」
たどたどしい声音は途中で上擦り、表情は強張っている。
『なにかを隠している』
私の女の勘が、そう囁いて止まない。
「勘違いならいいけど、もし言いたいことがあるならはっきり言って欲しいわ」
「……はい」
月ノ宮さんは胸に手を当てて深呼吸をした後、真剣な眼差しを私に向けた。まるで、この機会を待っていたかのような決意すら感じて、今度は私が身構えてしまった。
「天野さんと、もっと仲よくなりたいです」
「え?」
ぎゅっと下唇を噛み締めて、意を決して発した言葉は、高貴な雰囲気を漂わせている彼女とは不釣り合いな胸中の吐露だった。
「それだけ……?」
「はい」
こくりと頷いて、真剣な眼差しを向ける。
「天野さんとお友だちになりたいです」
「それだけの理由で私を見ていたの……?」
「不快にさせてしまっていたなら、申し訳御座いません」
今度は深々と頭を下げて、そのままの姿勢を崩さない。
「わ、わかったから頭を上げて。……恥ずかしいから」
月ノ宮さんは遠慮がちに頭を上げて、スカートの裾をぐっと握り締めた。
ああ、もう!
「不愉快に思ってないから、そんな顔しないで」
それに、このまま頭を下げられていたら、ちょっとした騒ぎにもなり兼ねない。
人付き合いは得意そうなのに、不器用なのねえ……。
「あの、お友だちの件は……」
お友だちの件って、商談じゃないんだから。
──いいわよ。
──いいのですか!?
「いいってば……」
ここまで不器用だと、それはそれで面倒臭い。
右手を差し出して握手を求めると、月ノ宮さんは両手で私の手をしっかりと握った。
「不束者ですが、末永くよろしくお願い致します!」
「もう、なにそれ」
ふふっと笑うと、月ノ宮さんも破顔した。
それから、私たちは海月の水槽を後にして、進路を順々に巡る。歩きながら言葉を交えるうちに、名前で呼び合うまでにはなった。
今更になって「恋莉さんと呼んでもよろしいですか?」とか訊いてくるものだから、恥ずかしいたらありゃしない。「じゃあ、楓って呼ぶわね」なんて返す私の身にもなって欲しいけど、私の名前を小声で囁きながら、満足そうに微笑む彼女の横顔を見て、注意する気も失せてしまった。
だけど、楓の勇気は見習わないとって思う。
私も結構不器用で、もっと器用になれていたら、私生活も円滑に回るはずなのに、『ここぞ』というときに恐れをなして、前に進むのを躊躇いがちだ。
その原因は理解してる。
理解はしていても、心と体が同じように動いてくれないから、私も酷く不器用なんだ。
一丁前にプライドだけは高くて、都合の悪いときは子どもの皮を被り、図々しく大人になりすますことで嫌なことから逃げてるだけ。
ユウちゃんと釣り合うはずがない。
それでも……、諦めたくない。
「恋莉さん?」
水の妖精〈クリオネ〉の水槽の前で、ぼうっと考えごとをしていたら、考える人間〈天野恋莉〉を心配そうに覗き込む彼女と目があった。
「ごめんなさい。考えごとしてたわ」
「悩みごとですか?」
大したことじゃないって首を振ると、少し残念そうに眉を下げて、そのまま思案を巡らせるように唇の横辺りに人差し指を置く。
むにっと凹んだ口元と、指に押されて膨らんだ頬が可愛いくて、つんつんしたい衝動が私の体を駆けた。
私の右手が少しだけ動きかけた頃、楓がはっと目を開き、「そうだ!」と言わんばかりにパチンと手を叩いた。
その音でクリオネの動きが一瞬だけ機敏になった気がしたけれど、多分、勘違いね。
「どうしたの?」
「現状に打開策が無い場合は、考えるだけ無駄である。ならば、足を止めるではなく、できることから取り組めばいい」
お父様の教えです、と胸元でガッツポーズをした。
「私はいつも、この言葉に従って動いてます」
「そう、なんだ」
誇らしげに胸を張る様子から、尊敬の念が伝わってくる。
楓のお父さんって、月ノ宮グループの代表取締役よね。
さっきの言葉から、自信と余裕が感じ取れた。
取捨選択をはっきりするべきだ、と言いたいのかも知れない。それか、毎日の積み重ねが大切とも受け取れる。
常人が跳び箱の二十三段を飛ぼうとしても無理だけど、そこで諦めたら『跳び箱の二十三段を飛ぶ』という目的は絶対に達成できない。
でも、できること……例えば、六段から挑戦して、日に日に段を増やしたり、助走の仕方やジャンプ台の位置を工夫して、思いつく限りを実行していけば、いつの日か目標を達成できる日が来る。
一番してはならないことは、『やる前から諦めて立ち止まってしまうこと』とか、耳が痛いわね。
その通りだと思う。
でも、それができるのは『心に余裕があるからだ』とも思う。
私に、心の余裕はない。
あるのは歪に膨れ上がったプライドと、悍ましいほどの欲望……あと、後悔。
ユウちゃんが好きだと気づいてしまったときには既に手遅れで、彼女はもう、佐竹の恋人になったあとだった。
いっそのこと突き放してくれればいいのに、彼女の優しさと、慈愛に満ちた微笑みが、彼女を想う気持ちに拍車を掛けて、諦めることを許してくれない。
太陽のように一定の距離を置いて、私を照らし続ける彼女に手を伸ばしても、恋い焦がれるだけで届かないのに……。
それならばと、蝋で固めた翼で空を舞い、太陽の熱で翼を失ったイカロスのように、深く、更に深く、太陽の光も届かない深淵へ堕ちてしまいたい。
それを『罪』と呼ぶのなら、私は罪人でもいい。
彼女を好きになった私は、そんな罪でさえ受け入れてしまえるくらい、アナタを好きになってしまったのだから。
【備考】
誤字や脱字、誤用などを見つけた場合は『誤字報告』にて報告して頂けると助かります。お手数お掛けしますが宜しくお願い申し上げます。
【誤字報告】
・2021年2月22日……誤字報告による指摘箇所の修正。
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